京都府京都市中京区。炭焼きスペイン料理店のアヒージョランチ。
まだ梅雨も明けていないのに、タスッタさんが外出するときにはあまり雨に降られることがなかった。
さてこれは、タスッタさんが幸運なのか、それとも今年の雨量自体が例年に比べて少ないだけか。
この日、タスッタさんは京都市に来ている。
聞くところによるとこの京都という場所は、盆地であるだけに夏場はたいそう蒸す土地柄であるらしいのだが、七月に入ったばかりのこの日はそこまで蒸し暑くも感じなかった。
ただ、晴れていたせいで日差しは強く感じたが。
さて、どうしましょうかね。
と、タスッタさんは例によって悩みはじめる。
当然、これからの食事について、であった。
なにしろ観光地でもあるわけだから、飲食店が混みはじめる正午を回る前にどこかに入りたい。
しかし、いかにも京都らしい和食のお店とかはできれば遠慮したかった。
味については不安はなかったが、観光客向けの値段設定がなされていることを警戒してのことである。
あまり高くはなくて、だけどしっかりおいしいところはありませんかねえ、などと都合のいいことを考えながら、タスッタさんは周囲を見渡す。
現在地は京都市役所の近く。
選り好みしなければ、入ることができる飲食店は多いようだった。
まだ午前十一時を少し過ぎたばかりなので、準備中のお店が少なくないようだったが。
タスッタさんは散歩がてらに周囲をしばらく散策する。
三十分ほど散策して様子を見てみたあと、タスッタさんは一軒のお店に目星をつけた。
店員さんが白い暖簾とスペイン国旗を出しはじめ、ちょうど開店したばかりのようだったので、そのままお店の中に入ることにする。
町家造りというのだろうか、間口が狭い民家を改装し、特に入り口付近が人目に立つ、派手な色合いの塗装が施されてたお店のようだった。
暖簾を潜ろうとすると、国旗を出していた店員さんに、
「ご予約があるお客様ですか?」
と訊ねられる。
「いいえ、ありません」
タスッタさんは即答した。
「予約がなければ入れないお店なのでしょうか?」
「いえ、本日は大丈夫なはずです」
その店員さんもはきはきとした口調で応じる。
「お一人様ですか?
どうぞ中にお入りください」
中に入ると、やはりというかカウンター席に案内をされた。
お店は間口は狭かったが奥行きがある造りで、外観は完全に和風だったが内装は完全に洋風、それもレストランというよりはバル風だった。
タスッタさんがカウンタ席に着くと、どうやらスペイン人らしい中年男性の店員さんがにこやかにお冷とメニューを持ってきてくれる。
メニューを開くと、ランチのコースは値段別に三種類あると書かれていた。
この日、タスッタさんはあっさり目の食事が欲しかったので、一番安い千二百円のコースにしようと、心の中で即決する。
正直なところ、アヒージョではなくパエリアのコースにも心惹かれるところがあったのだが、どのコースにも食べ放題のパンがついてくるそうで、
「パンとお米料理を一度の食事で同時に食べるのは」
という抵抗を感じたために、アヒージョのコースに落ち着くことになった。
そのあとで三百円をプラスすることで飲み物とデザートがつくと書かれていることに気づき、これも頼もうと決意する。
問題は、その一番安いアヒージョのコースでも、料理の内容をいろいろと選べることだった。
アヒージョひとつとっても、具材の違いで三種類も用意されている。
むむむ、と、タスッタさんは思う。
こんなの、悩むに決まっているじゃありませんか。
しばらく悩んだ末、タスッタさんは茄子とあぐー豚ベーコンのアヒージョを頼むことにした。
魚料理は、生ハムのサラダではなく、鱸のカルパッチョ。
肉料理は、鶏肉のプランチャーにしよう。
もちろん一品あたりの量は加減されているのであろうが、この値段でこれだけいろいろなお料理を味わえるのならば、かなりお得なコースのように感じる。
片手をあげて店員さんを呼ぶと、先ほどメニューとお冷を持ってきた白人の店員さんがやってきて、流著な日本語でオーダーを取ってすぐにさがっていく。
タスッタさんがメニューを片手に呻吟している最中にも、お客さんがどんどん入って来る。
タスッタさんと同じように一階部分のカウンターやテーブル席に案内をされている人もいれば、二階席の方にいく様子の人もいた。
どうやら、人数が多い場合は二階に案内されることが多いようだ。
まずは魚料理が運ばれてくる。
想像していた通りのサイズであったが、実際に口にしてみると満足感が高い。
素直に感心できる味だと、そう感じた。
お刺身とオリーブオイルって、意外に相性がいいんだな、と、タスッタさんは思った。
味もさることながら、食感がいいなあ、と素直に感心できた一皿だった。
続いて、茄子とあぐー豚ベーコンのアヒージョと、それにパンが運ばれてきた。
ベーコンの塩気が油分によく溶け込んでいて、一口口にするだけで、
「あああああ」
と小さな吐息が思わず漏れてしまうような味わいを醸し出している。
そのアビージョを、おそらくは自家製の、まだ熱を持っているパンに浸してから食べると、これがまた絶品で。
このパンは、タスッタさんが食べたもの中ではフォッカッチャに近く、もちもちとした弾力のあるタイプのパンである。
単品で食べても十分においしくいただけるのであるが、アビージョを浸して含ませるとそのおいしさが何倍もの増幅されているような気がした。
アビージョがアツアツだったのでがっついて食することは事実上不可能であったが、なんというか、食が進む味わいだ。
タスッタさんが店員さんを呼び止めてパンのおかわりをした直後に、例の白人の店員さんが鶏肉のプランチャーを持ってきた。
これも早速いただく。
表面がパリっと焼きあがっており、フォークで切り分けて口の中に運ぶと中の身はふんわりといい感じに火が通っている。
香辛料と香草で味つけがなされており、食感だけではなく、味も風味もいい。
そうしたアクセントも、決して鶏肉のうまさを邪魔しない程度に留められているのが上品だなと、タスッタさんは関心をする。
すべての料理を完食したところで、見計らったようなタイミングでデザートと飲み物が運ばれてきた。
クアハダという名のミルクプリンの上に蜂蜜をかけたようなデザートと、それにカモミール。
そのデザートのクアハダも甘く、タスッタさんの口の中に溶けていく。
そしてふとカモミールのカップに手を伸ばし、そこではじめてタスッタさんは意外の念に駆られた。
どうしたわけか、そのカモミールだけが熱々ではなく、微妙にぬるかったのだ。