千葉県銚子市。定食屋の金目鯛御膳。
「せっかく海の近くに来たんですから、やはり海産物を頂きたいものですよねえ」
銚子電気鉄道というかなりローカルな鉄道の神野駅という場所で降りてしばらく周囲を散策していたタスッタさんは、お昼の時間が近づくにつれてそんな風に思い出した。
この銚子電気鉄道というのがどれほどローカルな鉄道なのかというと、駅舎の中でたこ焼きやぬれせん、たい焼きなどを販売して赤字解消に務めているほどにローカルな鉄道なのである。
少し離れたところに牛久大仏があるがそれ以外に見るべきものはほとんどない、そんな場所であった。
それでも銚子漁港に面したあたりはいくつかの飲食店が見えている。
どれも、新鮮な海産物を扱うお店であった。
漁港に面した場所からは市場食堂という幟も見えていたが、そうしたお店にいけばまず間違いがなくおいしいものをいただけるであろうことは確実であり、ここではひとつあえてそこ以外のお店を捜して見ますか、とか、タスッタさんは思う。
探すまでもなく、ほんの少し歩いてふと角を折れたところに目線をやったところ、赤地に白抜きの文字で「金目鯛づけ丼」と染め抜かれた幟が目に入ってきた。
お店の建物もいい感じに風格が出ていて、こうした場所で長く続けているお店ならばまず間違いはないだろう、と見当をつけ、タスッタさんはそのお店に入ることにする。
店に入るとすぐにお年を召した女性店員さんに案内をされ、カウンター席に着く。
そしてすぐに、
「お料理が出てくるまでに少しお時間がかかりますが、それでもよろしいでしょうか?」
と確認をされた。
なんでも、注文を受けてから、一から調理をするため、物によっては出てくるまでかなり待たされるのだという。
タスッタさんは、
「それでもいいです」
と軽く頷いて、メニューを手にした。
「マグロと金目鯛の専門店、ですか」
メニューを開いてから、タスッタさんはそのことにはじめて気づいた。
さて、どうするか、などと迷う間もなく、タスッタさんは、
「ここでは金目鯛でいこう」
と決める。
マグロはどこでも食することができるが、おいしい金目鯛が食べられる場所というのは少ないからだ。
幟にあった、づけ丼でいくか、それとも。
「せっかくここまで来たのだから、いろいろな金目鯛が食べたいですねえ」
タスッタさんは、誰にともなくそう呟いて、注文をする品を決めた。
まずお通しとして、まず金目鯛の卵が運ばれてくる。
タスッタさんはこれまでにも魚卵を何種類か試してきているのだが、その中でも一、二を争うほどに味が濃かった。
老嬢の店員さんに注文をしてから、確かにかなり待たされた。
二十分以上、三十分近くも待たされただろうか。
しかし、待たされることは事前に聞かされていたので、タスッタさんは持参した文庫本などをパラパラと眺めながら気長に待ち続ける。
幸いなことに、このときはあまり空腹でもなかった。
そして、かなり待たされてから、タスッタさんが注文した品を盛った御膳を持って、店員さんがやって来る。
金目鯛御膳。
そぼろ、中落ちと背骨の胡麻和え、味噌和え、刺身、フライ、づけなど料理が、お盆の上に乗せられている。
いろいろな金目鯛の料理を食べたいと思ったタスッタさんが選んだのが、これだった。
これは、金目鯛料理のフルコースだな、と、タスッタさんは思う。
三千円近い値段であり、昼食としては決して安くはないのだが、新鮮な鮮魚料理がぎっしりと四角いお盆の中に並んでいるのを見ると、それでも安いくらいかなと、とも、思った。
「ご飯がおかわり自由ですから」
という言葉を残して、店員さんは去っていった。
これほど盛り沢山だと、確かにご飯が足りなくなるかも知れませんね、と、タスッタさんは思う。
まずは甘辛く煮詰めたそぼろをご飯の上に乗せて、一口。
案の定、ご飯に合う。
これだけでもいい。
そう思えるくらいだ。
続けて、中落ちと背骨の胡麻和えをいただく。
柔らかくてねっとりとした感触だった。
続けて箸をのばしたお刺身、これが絶品だった。
意外に分厚くて、なによりも脂が乗っている。
そして、新鮮なせいか、ひどく甘い。
金目鯛の煮つけは、以前にも食べたことがあったが、それとはまた違った種類のおいしさだった。
ああ。
と、タスッタさんは思う。
これは、贅沢だなあ、と。
そして、フライ。
これはヒレつきのカマをそのままフライにしたもので、箸でうまく掴めないような形状をしていた。
どうしようかなと少し考えた末、ポン酢を少し漬けた上で、お行儀が悪いが指で摘んでかぶりつく。
サクッ、シャリッ、とした食感で、そしてヒレまで食べることができた。
あ。
と、タスッタさんは驚く。
数ある揚げ物の中でも、これ、一番おいしいかも。
そう思ってしまうほど、おいしく思えのだ。
お刺身といい、フライといい、金目鯛というお魚はどこまでおいしいのか。
味噌和えをつつきながらそんなことを考えているとすぐに茶碗の中のご飯はなくなり、ちょうど声をかけてきた店員さんにおかわりをお願いする。
どれもこれも、おいしいなあ。
と、タスッタさんは思う。
この場で身悶えしたくなるくらい、おいしかった。
新鮮なお魚というものは、ここまでおいしいものだったのか。
この味噌和えも、面白いように箸が進む。
このままではづけを食べる前にお腹がいっぱいになってしまうと、自重するほどだ。
気がつくと、御膳の上の料理は半分以上、なくなっていた。
さて、あとご飯一杯で残りのすべてをいただきましょうか。
タスッタさんはそう決意をし、まるまる残っていた金目鯛のづけをおかわりでやってきたご飯茶碗の上に乗せ、即席のづけ丼を作る。
その上で、残った料理をときおり摘みつつ、づけ丼を一心不乱にかきこみはじめた。
至福だ。
と、タスッタさんはそう感じる。