東京都千代田区。立ち飲み焼き肉屋のお酒と日本酒。
JR神田駅東口をおりていくらもしない場所に、その店はひっそりと存在した。
本当に、一分も歩かないような場所にあるのだ。
お店自体が小さいから、うっかりするとそのお店の存在自体に気づかずに通り過ぎてしまいそうになる。
そんなお店を通過せずにしっかりと見つけ、すぐに中に入っていくのはタスッタさんのおいしいものを嗅ぎつける独特の感覚のせいであろう。
タスッタさんにしてみればたまたま通りかかったときに見つけた、少し気になる程度のお店であったわけだが。
中を覗き込んで、タスッタさんはすぐに、
「まだ入れますか?」
と訊ねてしまう。
間口から想像するよりも、ずっと狭いお店だったのだ。
十名も入れば満杯になってしまうのではないだろうか。
「何名様ですか?」
「ひとりです」
「今、入れます。
どうぞ」
という店員さんとのやりとりのあと、タスッタさんは中に通される。
店内に椅子はなく、そのかわり七輪が二台置いてある。
その二台の七輪をシェアして、お肉を焼いて食べるらしい。
居酒屋なのか焼肉屋なのか、判然としないお店だった。
それに、煙もすごい。
二台の七輪からは絶えず火柱があがっていた。
どうも、お肉の脂が燃えているらしい。
そんな樣子でも誰も騒がないのは、そうした状況がこのお店の平常運行だからだろう。
「お飲み物はなんにしますか?」
「えええと、お酒を適当に」
タスッタさんはいった。
「お勧めの日本酒でよろしいですか?」
「ええ、はい。
ではそれで」
早口で確認されたので、タスッタさんはついつい頷いてしまう。
「お勧めの日本酒入りましたぁ!」
「はい、お勧めの日本酒どうぞ!」
すぐにカウンターの中に居た店員さんがグラスに透明な液体を注ぎ、トレーごとタスッタさんに対応してくれた店員さんに手渡す。
「はい、お勧めの日本酒どうぞ!」
「あ。
はい」
タスッタさんがその店員さんからグラスを受け取ると、店内に居合わせたお客さんたちが一斉に、
「カンパーイ!」
と叫びだす。
なんですか、このノリは。
と、タスッタさんは内心で驚きつつ、手渡されたばかりのグラスの中身をちびりと舐める。
あ、おいしい。
と、タスッタさんは思う。
銘柄はわからないが、おそらくは吟醸酒。
それも、かなり質のいいお酒であるということは容易に想像がついた。
一口、口に含んだだけでも、鼻腔に広がっていく風味がこれまでに呑んできたものとはまるで違うのだ。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
お酒を手渡してくれた店員さんが訊ねてくる。
「ええと」
タスッタさんは独特のノリについていけずにまごついていた。
「メニュー、ありますか?」
「特に食べたいものがないのなら、最初は盛り合わせにしておいた方がいいよ」
サラリーマン風のスーツ姿の男性が、そんなタスッタさんの様子を見て助言をしてくれる。
「日によって違う部位が出てくるんだが、それで足りなければ追加で注文をすればいい」
「では、その盛り合わせをお願いします」
タスッタさんはその助言に素直に従って注文をした。
タスッタさんがそんなやり取りをしている間にも、目の前の七輪ではお肉が焼かれている。
網の上に乗せられた肉片からは炎と煙があがっていた。
正直にいって、かなり煙い。
……服に匂いがつくのを嫌がるような人は来ないお店なんだろうな、と、タスッタさんは思う。
タスッタさんの場合は、特別な日以外はだいたいラフな格好をしているので問題はないわけだが。
タスッタさんが頼んだ盛り合わせはすぐに来た。
わりと大きなお皿に、何種類かの部位が乗せられている。
ソーセージもあるし、同じ肉でも白いのとか赤いのとか、意外に彩りが鮮やかだった。
さて、どれから焼きましょうかね。
と少しだけ思案をして、タスッタさんはまず最初に脂身が少なそうな、赤身の肉片を七輪の金網に乗せる。
最初からあまり脂ぎったものを口にしてしまうと、すぐにお腹が膨れてしまうような気がしたからだ。
「おお、赤身にいきますか」
「うん。
最初はそれがいいな」
同じ七輪を囲んでいるおじさんたちが口々にそんなことをいった。
「皆さん、こちらのお店にはよく来られるのですか?」
タスッタさんは訊ねてみる。
「月に一度か二度くらいかな。
この歳になると肉もあまり入らなくてねえ」
「ここはひとりで来てもすぐに馴染めるからいい。
あ、そのお肉、もうひっくり返した方がいいよ」
素直に赤身肉をひっくり返した。
なるほど。
と、タスッタさんは納得した。
肝心のお肉を焼くところが二箇所しかないのならば、どうしても会話は多くなる。
しんみりとひとりで飲む、というときには、このお店にはむかないだろうな。
「今日はたまたま居ないが、女性同士やカップル客で来る人も意外に多いよ、この店は」
「ああ、いるなあ。
おねーちゃん同士、連れだってくる来る人」
「お。
その肉、もういいんじゃない?」
タスッタさんは焼きあがった赤身肉を自分の取り皿に乗せた。
それから少し考えて、塩を少しふっただけで口に運ぶ。
噛むとじわりと熱い肉汁が口の中に広がる。
肉らしい旨味と、意外にさっぱりとした味わい。
うん。
やはりこれが最初でよかったな、と、タスッタさんはそう思い、グラスのお酒をきゅっと煽った。
癖がなくするりと喉を伝って胃の中に落ち、そこでじんわりと酔いが回ってくる。
お肉と日本酒というのも、予想外に合うものらしい。
「いい飲みっぷりだね」
「次はどれを焼く?」
「この綺麗なサシが入ったのを」
そういってタスッタさんは、そのお肉を金網の上に乗せた。
「ザブトンか」
おじさんはいった。
「一頭につき数キロしか取れない希少部位だ。
よく味わって食べなさい」
「それよりもこれ、火が出るからね。
気をつけて」
そんなことをいっているそばから、ザブトンの周囲から盛大に火があがる。
「ここで出すのはどれも新鮮なはずだが、よく火を通して」
いわれるまでもなく、タスッタさんはザブトンの両面を七輪の火でよく炙ったあと、少しタレにつけて口の中にいれた。
先ほどの赤身がさっぱり系だとすればこちらは脂がよく乗ったこってり系。
しかも、その火の通った獣脂が、ひたすら甘い。
かなりいいお肉を使っているな、と、タスッタさんは感心をする。
はふはふいいながらザブトンを咀嚼し、一気に温度があがった口の中にお酒を流し込む。
うん。
やはり、このお酒とお肉は絶妙に合う。
「次は」
タスッタさんはトングを構えた。
「お。
今度はホルモン系にいくか」
「内臓肉もうまいんだよなあ、ここの店」
この夜のお肉と日本酒の宴は、まだまだ終わりそうもない。




