埼玉県浦和市。休日の三食焼きそば。
「平和だ」
選択や掃除など、一通りの家事を終えた門脇莞爾は呟いた。
姉と奥さんは女二人でショッピングモールに出かけてしまったし、すぐそこにある甥と娘は近くの児童公園で遊んでいる。
連休も最終日に近くなると、もうなにもすることがない。
先ほど思わず口に出してしまった通りに、平和だった。
今のうちに買い物にでも出てくるかな、とか莞爾は思う。
今このうちの女二人が出かけているようなショッピングではなく、近くのスーパーに買い出しに、である。
しかし、今朝、家を出るとき、姉から、
「晩の用意はしなくていいから」
ともいわれていたしな、と、すぐに思い直す。
おそらくは、甥の節句も兼ねて、それなりに豪華な惣菜かなにかを買って帰るつもりなのだろう。
と、いうことは、昼の分だけどうにかすればいいわけか。
そんなことを思いつつ、さて冷蔵庫の中にはなにが残っていたかなと点検しようとしたとき、唐突に玄関の扉が開いた。
「たっだーまーっ!」
小学三年生になる甥の翔太が、大きな声で挨拶をする。
「おお、もう帰ったのか」
冷蔵庫の扉に手をかけたまま玄関の方に顔をむけた莞爾は、そこで動作を止めた。
「なあ翔太。
こういうおねーさんをナンパしてくるのは、十年早いと思うぞ」
翔太のうしろには年齢国籍不詳の美人さんが立っており、莞爾の娘である三歳児のあきらがその美人さんお足に抱きついてた。
「こちらのお子さんに、すっかり懐かれてしまいまして」
タスッタと名乗った美人さんが説明してくれる。
「見ての通り、足に抱きついて離れなくなってしまって、ですね」
かなり流暢な日本語だった。
ネイティブ並といってもいい。
「ああ、それは、うちの娘がご迷惑をかけました」
莞爾は麦茶を勧めながら頭をさげた。
「普段はこんなことはしない子なんですがね。
そのうちに飽きて離れると思うので、もしよろしければしばらく寛いでいってください。
見ての通り、なにもないところですが」
「はぁ」
タスッタさんは戸惑った様子で頷く。
「それはいいんですが、ご迷惑ではないですか?」
そういう間にも、あきらはタスッタさんの膝の上に座っている。
莞爾が強引に引き離そうとすると大声で泣きはじめるので、しかたがなくその位置で落ち着くことになった。
「ご迷惑をおかけしているのは、むしろうちの娘の方で」
莞爾は苦笑いを浮かべながら、そういう。
「しかし、本当にどうしたもんかな。
いつもはこんなわがままをいう子ではないのに」
本当ならばそんなわがままを許すわけもなく、莞爾があきらを抱えてこのタスッタさんに退場願うところなのだが、当のタスッタさんがしばらくはこのままでいいと主張した。
そのため、莞爾も戸惑いつつタスッタさんという存在を受け入れている形であった。
莞爾はちらりと壁にかけてある時計で時刻を確認する。
「もう昼前ですし、もしよろしければ昼飯をこちらで用意させていただきますけど、どうしますか?」
遠慮がちに、莞爾はそう申し出てみる。
「え」
タスッタさんは顔を輝かせて身を乗り出した。
「いいんですか!」
「ええ、まあ」
その勢いに若干引き気味になりながら、莞爾は答える。
「なんかご迷惑をおかけしちゃっていますし。
ピザかなにかでも取りましょか?」
「もしよろしければ、ですね」
タスッタさんは真剣な面持ちでいった。
「普段の休日に作るような、ありあわせの材料で作る食事ねえ」
冷蔵庫の中身を確認しながら、莞爾は小さく呟く。
「変わったリクエストだなあ」
ともあれ、ゲストであるタスッタさんがそれを所望している以上、莞爾としてもそのリクエストにはできるだけ応えなければならない。
しかし、流石は連休最終日、ろくなものが残っていないな、と、莞爾は思う。
キャベツが半玉にもやしに玉ねぎが少し。
玉子もあるな。
あとは……お。
三食焼きそばの麺と、なぜか天カスまである。
冷凍庫には合いびき肉が少々、と。
これだけの材料が残っていれば、買い出しにいかなくても十分一食くらいにはなるか。
「本当に、ありあわせで作るような料理でいいんですね?」
莞爾はもう一度、タスッタさんに確認してから、冷蔵庫に残っていた材料を出しはじめた。
玉ねぎをみじん切りに、キャベツをざく切りにしてから、中華鍋をよく熱して油を注ぎ、十分になじませて湯気がたってから解凍した合いびき肉を鍋の中に入れる。
強火でよく火を通し、ひき肉から十分に油を出してから、切ってあった玉ねぎやキャベツを投入。
さらに、天かすを投入。
十分に火が通ってきてからもやしも入れ、もやしが少ししんなりとしてきてから、鍋の中央部分を空けて、三食分の麺を投入する。
しばらくそのまま放置して、麺に軽く焦げ目をつけてから麺をほぐして、野菜類と混ぜあわせる。
麺に火が通ったことを確認して、粉末のソースをふりかけて撹拌。
三食焼きそばの説明書にはここで少量の水を入れて蒸し焼きにすると書かれているのだが、莞爾はこの工程は省くことにしている。
粉末ソースをうまいこと麺全体に絡めることさえできれば、仕上がったものの味は大して変わらないからだ。
最初に合いびき肉をよく炒めていることもあって鍋の中身は油ギタギタ、今さら水を加えなくても、粉末ソースはすぐに液状化してしまう。
これを麺や具材全体にうまくなじませて、完成。
普通の皿二枚と子供用の小さな皿二枚を出して取り合わけ、テーブルに並べる。
「もうちょっと待ってくださいね」
莞爾は中華鍋をシンクに置き、かわりにフライパンを出して強火にかけて、素早く四玉の目玉焼きを作った。
今度は適当に火が通ったところで少量の水を入れて蓋をし、しばらく待ってから蓋をあけてフライ返しの先で目玉焼きを切り分け、ひと玉分ずつ焼きそばの上に乗せる。
「はい。
これで完成です」
うん。
ちょうどいい具合に半熟になっているな、と莞爾は思う。
「これが、日本における典型的な、休日のお料理なのですか?」
中華鍋とフライパンを手早く洗いはじめた莞爾の背に、タスッタさんが声をかけてくる。
「典型的かどうかはわかりませんが、この焼きそばはかなり昔から売っていますし、よく売れてはいるようです」
タオルで手を拭いながら、莞爾は慎重な口ぶりで答えた。
「見ての通り、手早く出来る半完成品ですし、なにより値段も安い。
カップ麺ほどにはお手軽ではないけど、でも、誰にでも作れる手抜き料理の代表格ではあるでしょうね」
そういえば、親父も、昔作ってくれたことがあったなあ、と、莞爾は不意に思い出した。
なにかの用事で、おふくろが不在のときだった。 当時、莞爾はおそらく小学生だったと思う。
二十年以上前の、これまで思い出す必要もなかった記憶が、不意に生々しく思い出された。
「ご覧の通りたいしたものでもありませんが、冷めないうちにおあがりください」
莞爾はそういってタスッタさんをうながす。
お世辞にも上品な料理であるとはいえなかった。
油分が強く、味も濃い。
天かすなどを入れているから、それが油分を吸ってなおさらしつこく感じられた。
でも、そんなしつこさがこの料理の魅力なのかもしれない。
ジャンクな味わい、とでもいおうか。
確かにこれは、あまり上等ではないタイプの家庭料理なのでしょうね、と、タスッタさんは思う。
でもこれも、日本の食文化の一部ではあるのだ。
粉末ソースによる味つけは確かにしつこく感じられたが、半熟の目玉焼きを潰して黄身を麺に絡めると、黄身の甘みと相殺して、ちょうどよい感じになる。
おいしいことはおいしいが、あまり常食したくはないタイプのおいしさでもあった。
ふとみると翔太もあきらも、小さな皿に盛られた焼きそばを一心不乱に食べている。
小さな子には、こういうわかりやすい味の方が受けるのかもしれませんね、と、タスッタさんは思う。
タスッタさんが冷たい麦茶といっしょに焼きそばを食していると周囲に電子音が響いて、莞爾が、
「失礼」
と小さく断りいれてから、スマホを取り出した。
「ああ、そうそう。
今、丁度、昼を食べているところで。
うん、そう。
冷蔵庫の残り物で、適当に焼きそばを作った。
ええと、実は今、うちに不意のお客さんが来ていて。
うん。うん。
いやそれは、なぜかあきらが抱きついて離れなかったからで。
うん。うん」
不意に莞爾はタスッタさんの方をむき、手にしていたスマホを差し出してくる。
「うちの奥さんがご挨拶をしたいそうで。
出てあげてくれませんか?」
と、莞爾はいった。




