長崎県雲仙市。お食事処の長崎ちゃんぽん。
いかにも春らしい、快晴の日だった。
わずか数日前には厚着をしていたというのに、昨日からにわかに気温があがったため、タスッタさんも今日から防寒着をしまってパーカーを着用している。
上着だけではなく、今来ている長袖をTシャツにしてもいいくらいの陽気だ。
時期から考えても、まだいずれ寒い日も来るはずだったが、あと数日はこの陽気が続くようだ。
多少歩いても汗ばむほどに暑いわけでもないし、このくらいの空気もさらりと乾燥している。
このくらいの空気がちょうど快適なのかも知れませんね、とか、タスッタさんは思う。
ここ長崎は、かなり爽やかな天候だった。
今、タスッタさんは長崎に来ている。
長崎県雲仙市小浜町というところで、すぐ目の前に橘湾が迫っていた。
逆にいうと、海と海沿いに走る道くらいしかないところといえる。
さて、どうしましょうか。
と、タスッタさんは周囲を見渡して思う。
こんなところに、お店など……と思いかけて、道路沿いに一軒の飲食店らしき建物が目に入る。
あら、あんなところに。
と、タスッタさんは思う。
あまり人通りもなさそうな場所ですが、ちゃんと経営していけるんでしょうか。
などと思いつつ、タスッタさんはそのお店を目指して歩き始める。
他に目的地になりそうな場所がどこにもなかったからだ。
定食屋さん、なんでしょうかね。
そのお店の前にまで移動してきたタスッタさんは、内心で首を傾げる。
白い外壁の、二階建ての建物で、一階部分のひさしだけが青く塗装されていた。
入り口にかかっていたのれんは、紺の地に白抜きで店名らしき文字が染め抜かれているだけであり、なに料理のお店なのかにわかに判断がつかない。
駐車場には半分くらいうまっていて、やはりこの辺も移動の足はほとんど車になる地方であるようだった。
駐車場が空いていないということは、それなりにはやっているお店なのだろう。
そんなことを思いつつ、タスッタさんは引き戸を開けてお店の中に入った。
「いらっしゃいませー」
すぐに、タスッタさんの姿に気づいた中年女性の店員さんが声をかけてきた。
「お一人様ですか?」
と確認をしたあと、そのままカウンター席に案内をしてくれる。
カウンター席に着いたタスッタさんは、卓上に置いてあったメニューを開きながらさりげなく店内の様子を観察した。
壁には隙間なくお品書きの紙が貼られている。
しかし、その品目は和洋中なんでもあれといった具合で、やけに節操がない。
本来は、なんのお店だったんでしょうかね。
と、メニューに目を落としながらタスッタさんはそんなことを思う。
こういう、常連客のリクエストに応えるうちに、どんどん品数を増やしていくお店というのは、特に歴史のあるお店ほど、実は決して珍しくはないのだが。
お客さんが食べている料理も、揚げ物あり中華あり和定食ありで、やはり方向性というものが定かではなかった。
なんとなく、元々は海鮮物がメインのお店であったのではないかという気もするのだが、それもタスッタさんがこの場所柄からなんとなくそう思ったという程度であり、明確な根拠はない。
ここは一応、「定食屋さん」ということにしておきましょう。
タスッタさんは心の中でそう思い、半ば無理矢理疑問を封じることにした。
さて、そうなると。
改めて、タスッタさんはメニューに目を落とす。
このお店はなにを注文するのが正解であるのか、ますます悩むことになりますね。
しばらくして、タスッタさんは店員さんを呼んで、「長崎ちゃんぽん」を注文した。
思い返してみれば、せっかく長崎に来たというのにまだちゃんぽんをまともに食べていない。
それに、海が近いこの場所であれば、大きく失敗することもないだろう。
少なくとも材料の魚介類は新鮮なはずだった。
とんかつ定食など、他のどこでも食べられる物を注文するよりはいい選択、のはずである。
注文したちゃんぽんは、タスッタさんが予想をしていたよりもずっと早く来た。
どんぶりの上にどっかりと野菜たっぷりの具が山となって乗っかっていて、まさしくタスッタさんが想像していたちゃんぽんそのものといった風情である。
わあ、と、タスッタさんは思う。
なんだか、漠然と予想をしていたよりも、ずっとおいしそうに見えた。
これは、ボリュームがありますね。
などと思いつつ箸を取り、タスッタさんはどんぶりの上で山となっている炒めた野菜類に箸をつける。
まずは麺の上に乗っている具を片付けないと、麺を食べることが出来ないからだった。
そうした野菜類は、特に奇をてらった調理法や味付けがなされているわけではなく、普通に美味だった。
ただ、食材として使用されている品目が、やけに多いような気がする。
それに、食べていると、ほのかに海産物の風味が鼻孔を抜けている。
おいしいけど、ただそれだけではなく、かなり複合的な妙味ですね、これは。
と、タスッタさんは思う。
味だけではなく、食材の種類が多いからか、歯ごたえや食感も変化があって飽きが来ない。
それどころか、多く咀嚼しているからか、まだ麺を食べていないのにもかかわらず、うっすらと微妙に満腹感を感じはじめている。
ああ、これはいけない。
そう思ったタスッタさんはレンゲを取り、ようやく見えてきたスープにレンゲを浸して薄く白いスープを掬って味わってみる。
薄味。
いや、塩味か。
塩の風味がメインで、それに、多くの海産物のエキスがぎゅっと詰まっている。
そのスープだけで、かなりおいしかった。
ああ、これは。
と、タスッタさんは思う。
味わっていると、なんだか幸福な気分になってくるスープですね。
こういうのを、滋味と呼ぶのでしょうか。
やさしく、そして、じんわりと胃を通して体の中に染み渡ってくるような旨味が、そのスープにはあった。
いや、これは。
と、タスッタさんは思う。
かなり、おいしいかもしれない。
それも、濃いめの味付けで強調したような、くどいおいしさではなく、じんわりとした、さりげないおいしさだった。
いいなあ、これ。
とか思いながら、タスッタさんは、野菜炒めと、それにたっぷりとそのスープを含んだ麺とを箸に絡めて一気に口の中に入れて、啜った。
うん。
麺を啜りながら、タスッタさんは思う。
こういうのが、いいんですよね。
この手の麺類を食べるときは、豪快に音を立てて啜るのが一番おいしいような気がする。
スープと麺、それに具を一気に食べることが出来るからか。
こうしてなりふり構わず麺を啜っていると、なんだか「食べている!」という実感が沸いてくる。
普通のラーメンでさえそうして食べると味がよくなるような気がするので、このちゃんぽんならさらにおいしさが増すような気分になった。
しかし、このちゃんぽんは。
と、タスッタさんは思う。
ボリュームがあるはずなのに、するすると無理なく食べ続けることができますね。
満足感は十分に感じるのだが、満腹感はまだそれほどでもない。
あとでどっかりとお腹に来るタイプの料理なのでしょうか。
などとも、思う。
とにかく、おいしい。
箸が止まらない。
具も麺もスープも、すべてがおいしい。
これまでタスッタさんはチェーン展開をしているお店の、均一化されたちゃんぽんしか食べてこなかった。
あれはあれで、普通においしいと思ったのですが。
このお店のちゃんぽんと比較すると、なんか別物に感じますね。
素材が違うからか、調理法がいいのか。
タスッタさんにはそのどちらとも判断を着けかねたが、ここまでおいしいちゃんぽんをタスッタさんが食べたのは、これが初めてのことになる。
それだけは、確かであった。
「ふう」
スープまでほとんど飲み干し、完食したあと、タスッタさんはようやく箸を止めて息をついた。
実に、いいお食事でした。
と、タスッタさんは思う。
多分、このお店では、このちゃんぽんは特別なものではなく、ごく普通の料理なのだと思う。
でも、絶対に他では、このちゃんぽんは食べることが出来ない。
いいお店であり、いいちゃんぽんだった。
こういう出会いがあるから、出先でふらりと通りかかったお店に入るのが止められなくなるのだ。
タスッタさんは、そんなことを思う。
おそらく、もう二度とこの土地、このお店の近くに来ることはないだろうけど、ここでおいしいちゃんぽんをいただいた記憶は、いつまでもタスッタさんの中に残るはずだった。




