第6話 暗く、湿った街 2
「うわぁ、すごい! すごいよメイク起きて!」
エレナの喜ぶ声に目を覚ましたメイクは、大きく欠伸を一つしてから凝り固まった体を伸ばすと幌の隙間から外を見た。
「これは……確かに素晴らしい景色ですね」
「そうじゃろう。この辺りを一望できるのがこの丘じゃが、今日は一段と良い景色じゃのう」
メイクが感嘆の溜め息をつくと、御者台の老人が説明してくれた。
メイクの視線の先には、分厚い雲の隙間から差し込んだ光が、周囲に広がる花畑を明るく照らし出している絵画のような景色だった。視界の右側には咲き誇る黄色い花々が、左側には静かに風に揺られている紫の花達が美しいコントラストを醸し出しており、それがどこまでも続いているように見える。そして空気全体が花の香りに満ちていた。二つの花の香りが混ざっているにも関わらず、不快どころか落ち着く香りになっていた。
「この辺りは昔から雨が多くてのう。おかげで作物は根腐れしてしまうし、家畜もうまく育たなんだ。しかし、何故かこの花たちだけは雨ばかりで日が全く差し込まないこの地でも元気に育ちおる。それに良い香りじゃろう? おかげで街に持っていけば安くない値段で売れる。ワシは街へ行き、花を売って食料を買い込んで戻ってくるわけじゃ」
老人の説明になるほどと頷くエレナだったが、その隣ではメイクが首をかしげていた。
「今回はその大事な食料を積んでいないようですが?」
「あ、ああ……今回は新しい街に、花の売り込みに行っておったんじゃ。少なめの花を持っていき、これを売るからそれを許可してくれとな」
老人の説明に納得したのか、メイクは細かく頷くと外の景色に目を戻した。そのため、ホッとしたかのように胸を撫で下ろした老人に気づくことは無かった。
***
しばらく花の景色を堪能したあと、馬車はメイク達の目的地であるトナードの村についていた。あれから雨が降ることはなく、それどころか今では、僅かではあるが雲間から青い空も覗いていた。
「ここまで運んでくれてありがとう、お爺さん」
「なに、賑やかな道中でこちらも楽しかったよ」
「そう言ってくれると助かるわ」
「じゃが、お前さんら、あまり長く滞在しないほうがいい。見たところ食料なんかもあまり持っていなさそうじゃからのう。ここにも宿はあるにはあるが、食料が貴重じゃから食事が出んでな」
「あの人がもうちょっと力持ちなら良かったんだけどね……」
そう言ってエレナは、馬車の後ろで句動二輪を縛りつけたロープと格闘しているメイクを見ると、溜め息をつく。
「とにかく、教えてくれてありがとう。少ないけどこれ、取っておいて」
老人に向き直ったエレナは腰につけたポーチをあさると、皮の袋を一つ取り出した。
「これは?」
「ちょっと遠い地にある茶葉。売ればそこそこの値段になるだろうし、飲んでもおいしいわ」
「おお、これはすまんのう」
「いえいえ、それくらいのお礼はさせてください。あの雨には辟易としていましたし、ここまで乗せてくれた老人には本当に感謝しているのです」
老人がすまなそうに茶葉を受け取ると、ロープを片手に戻ってきたメイクが応えた。
「そうか、それでは遠慮なく……そういえば自己紹介をしてなんだ。ワシはスタという」
「これは失念してました。彼女はエレナ、私は名を持ちませんが、便宜上メイクと呼ばれています」
「そうか、それではお二人さん。茶葉の礼にもう一つだけ教えてやる。今日はこれから雨が降るが、明日の昼には止み、またしばらくの間は晴れるじゃろう。何日も持たんが、乗ってきたモノで行けば晴れてる間にこの地域を抜けられるじゃろうて」
「それは貴重な情報をありがとうございます。それでは明日にここを発つことにいたしましょう」
老人に深々と頭を下げたメイクを見て、慌てて自分も頭を下げたエレナの姿にスタはニカッと笑うと、馬に鞭を入れてそのまま集落の中に消えていった。
老人を見送った二人は、先ほどから見えていた宿の看板がかけてある建物へと入った。中はガランとしており、受付らしき場所にすら人は見えない。どうやらこの村を訪れる人は本当に極少ないため、来ない客を待って受付に立つのはバカバカしいのだろう。
「すいません! どなたかいませんか!」
メイクを声をかけてようやく裏手らしきところから一人の老婆が出てきた。老婆は二人を一瞥するとフンと鼻を鳴らす。
「……一晩一部屋で三十イスクだよ」
「ちょっと! 高過ぎよ!」
老婆の言葉にエレナが声を荒げる。それも仕方ない。三十イスクと言ったら、まともな都市であれば一つの月を朝晩の二食と湯浴みまでつけて過ごすことができる。しかし、エレナの声に動じた様子もない老婆はもう一度フンと鼻を鳴らすと言った。
「それが嫌なら出ていきな。言っとくがこの辺りに宿はここしかないよ。雨の降る中、野宿でもするがいいさ」
「なんですって……!」
「少し落ち着いてくださいエレナ」
老婆の見下した態度に腹を立てたエレナが一歩踏み出そうとすると、メイクがそれを制した。困惑と怒りを顔に浮かべたエレナを、チラリと見やってからメイクは言葉を続ける。
「宿代は物品でお支払いできるでしょうか」
「メイク!」
「エレナ、ここは私が話しますので」
メイクの言葉に、エレナがさらに声を荒げると真剣な声音でさらに制した。老婆はメイクの言葉に少し考え込むと頷く。
「いいだろう、アンタは話が分かりそうだしね。三十イスク分、今ここで払いな」
「交渉成立ですね」
そう言って微笑むと、メイクは腰に付けた革袋から一粒の赤石を取り出し、受付に置いた。
「柘榴石です。原石ではありますが、都市へ持っていけば四十イスク以上になるでしょう」
置かれたそれを、老婆はサッと手に取ると片目を閉じてしばらく見つめる。しばらくすると納得したのか鍵を一つ投げ渡してきた。
「階段を上って、一番奥にある部屋を使いな」
「ありがとうございます」
老婆はメイクの感謝も碌に聞かず、早々に裏へと引っ込んでしまった。
「はぁ……それじゃあ行きましょうか、エレナ」
メイクは溜め息をついてからエレナに向き直る。しかし、エレナはメイクを睨んだかと思うと、奥にある階段へと速足で向かって行ってしまう。その姿にメイクはもう一度、深い溜め息をつくとそのあとを追いかけた。
部屋にあった暖炉にに火を熾し、濡れてしまった服を乾かす間もエレナの機嫌は直っていなかった。気まずい雰囲気に耐え切れなくなったメイクが口を開く。
「そろそろ機嫌を直してくれませんか、エレナ」
「……どうしてあんなバカみたいな料金払ったの?」
「いつも言っているでしょう。現地との揉め事は極力控えてくださいと」
「でも―――」
「それに、私たちはあまり歓迎されていないようですし」
メイクの不穏な言葉にエレナは眉を顰める。
「なんで?」
「私たちがここに来たとき、しばらく雨が止んでいたのにも関わらず誰一人として外にいませんでした。きっと警戒されているのでしょう」
「……それだけ?」
「あとは勘、ですかね」
「スタさんに自分から名乗らなかったのも、そのせい?」
「……ええ、まあ」
その言葉にエレナは溜め息をつくと立ち上がった。
「なるほどね、わかったわ」
「それはよかった。ところで、寝る場所なんですが―――」
「毛布は貸してあげるわ」
「……それはありがたい」
ニコリと笑顔を向けながら答えるエレナに対し、メイクは苦笑いを浮かべると窓を見た。メイクの顔が映るガラスには、さっきまで止んでいたはずの雨が、打ち付けられていた。