第5話 暗く、湿った街
空に灰色の雲が敷き詰められ、そこから大粒の雨が降り注いでいる。
その雨を避けるために、一組の青年と少女が道端に一本だけ立っている木の下で雨宿りしていた。傍らには句動二輪があり、青年はその傍で何やら作業をしている。
「......いい加減、晴れてくれないかしら」
頭に被せたフードを外しながら少女が呟く。そこから現れたのは長い黒髪を一つにまとめ、濃い赤の瞳を持った美しい少女だった。歳は十代半ばと言ったところだろうか。
少女はその美しい顔を歪め、忌々しげに空を睨んでいる。
「同感です。雨のせいで句動二輪の調子も悪いようですし、何より体に良くない」
少女に同意しながら立ち上がった青年は、雨に濡れた灰色の髪を拭いながら少女と同じように、髪と同じ灰色の瞳を空に向けた。
「メイク、これで何日目?」
黒髪の少女が苛立ちを隠そうともせずに、メイクと呼ばれた青年に問いかける。
「......七日でしょうか。腹が立つのはわかりますが、こればっかりはどうしようも無いですよエレナ」
「わかってるけど......」
少女の溜め息に釣られたかのように溜め息を吐きながら答えるメイクに、不満顔のエレナが呟く。
彼らが言うように、雨は長い日数の間降り続いている。時々止むことはあるのだが、分厚い雲が消えることは無く、数刻もすればまた大粒の雨が降り始めるといった具合だ。おかげで二人は雨が降っては晴れるのを待つ、ということを繰り返している。
初めのうちはそういうこともあるかと考えていた二人だが、それも三日を過ぎたあたりからうんざりし始め、五日を過ぎてからは遅々として先に進めないことに苛立ちを募らせていた。
「まったく、本当だったらとっくに次の街に着いてるのに、こんな調子じゃ次の街に着くのは何時になるかわかったもんじゃないわ」
「そうですね。ですが、地図によればもうすぐ着くはずですよ」
「......はぁ、早く宿でお風呂に浸かりたいわ」
「......天然のシャワーでしたら、毎日長時間浴びているではありませんか」
「殴っていい?」
「エレナに殴られるとシャレにならないのでやめて下さい」
軽口を叩き合っていた二人だが、どちらも溜め息を吐いて座り込んでしまう。
「もういっそ雨に濡れるのを覚悟して、街へ進みますか? 先ほども言いましたが、距離的にはそこまで遠くないはずですし」
「......そうね。そうしても――」
不自然なところで区切られた会話に、訝しげな目をエレナに向けるメイクだったが、その理由はすぐにわかった。雨の音に紛れて聞き取り辛いが、馬車がこちらへ向かっている音が聞こえるのだ。
段々と近づいてくる馬車には幌がかけられ、御者台には御者が一人座っている。雨を遮るためか、御者台には屋根があり、車輪も悪路に強い大きなものが取り付けられている。この地域に住む者か、よく訪れる者であることは間違いないだろう。
大きな麦わら帽子を目深に被っていたせいか、こちらに気づいていなかったらしい御者は、二人が雨宿りしている木の前で慌てて馬車を止めた。
「これはこれは......この地域に句動二輪で来るということは、旅人ですかな?」
「ええ、そのようなものですが......何故わかったんですか?」
「なに、見ての通り雨が多いのでな。本当に用事のあるものは、私のように屋根のある乗り物で来るはずですから」
話しかけてきた御者は、どうやら初老の男性のようだ。整えられた顎鬚を擦りながら、にこやかに答えている。その様子にメイクは肩を竦めた。
「なるほど、確かにそうですね。良ければ私共と、句動二輪を近くの街にまで連れて行ってくださいませんか?」
「構わんさ。とは言っても、トナードまでしか行きませんがよろしいか?」
「ありがとうございます。私達の目的地もそこですから、願ったり叶ったりです」
「それなら、句動二輪を後ろに結んでくれな。お嬢ちゃんは濡れるとイカンから、中へお入り」
その言葉に、エレナは顔を輝かせて幌馬車に乗り込もうとする。メイクは取り出したロープを後ろに結びながらエレナに小声で話しかけた。
「......手伝ってくれないのですか?」
男として情けない言葉に、エレナはニヤリと笑うと、同じく小声で答える。
「お爺さんの親切を無駄にする気はないわ」
「......君の方が力があるのですが」
「たまには力仕事をしないと、体を壊すわよ?」
「雨に濡れても体調を崩すと思うのですが......」
「その時は看病してあげるわ」
エレナはこれ以上、問答するつもりは無いとでもいう風に幌の中に引っこんでしまった。中から御者の老人と楽しそうに話す声が聞こえてくる。
メイクは今日一番大きな溜め息を吐くと、雨の中、句動二輪を馬車に結び付けるという作業に戻るのだった。
***
「男のくせに、だらしない」
句動二輪を馬車に結び付け、幌の中に転がり込むように入ってきたメイクに対するエレナの第一声は辛辣なものだった。
しかし、メイクはその言葉に反論する余裕もないほどに荒い息をしている。
それもそのはず、句動二輪は鉄の塊だけあって、重い。車輪がついているとは言え、一頭の馬と同じかそれ以上の重さがあるモノを、雨で地面が不安定な中、馬車の後ろまで押したのだ。一般的な男性であったとしても息を切らすことだろう。普段から力仕事に縁のないメイクであれば、なおのことである。
「......」
その様子を見たエレナは、うつ伏せに倒れこんで荒い息をついているメイクにタオルを持って近づくと濡れた箇所を拭い始める。
「す......すみません......」
「本当に熱でも出されたら迷惑だから」
「......」
しばらく雨が降り続く音と、整備されていない道を馬車が進む重苦しい音だけが幌の中には響いていたが、気を利かせたのか御者の老人が二人に話しかけてくる。
「二人は駆け落ちなのかね?」
「......なぜ、そう思うんですか?」
「そりゃ、若い男が可愛いお嬢ちゃんと句動二輪みたいな高いモノに乗って旅してる、なんて良いトコの坊ちゃんが想い人連れて駆け落ちぐらいしか、ワシみたいな老体には思い浮かばんしなぁ」
メイクが驚愕の表情で老人に問いかけると、彼はウィンクでもしそうな笑顔で答えた。
「で? どうなんだい」
「残念ながらハズレですね。私たちは仕事上のパートナーであって、ここへも仕事で来ました」
老人の問いかけにメイクは肩を竦めると、少し困った表情で答える。その後ろではエレナが何かを言いたげな顔で黙り込んでいるが、メイクには見えていない。
「仕事? ……はて、こんな片田舎で一体何をするつもりじゃ」
「記録ですよ。私は歴史の語り部ですから」
「なんと! ……そうか、お主らがそうなのか。どうりで句動二輪なんて乗ってるわけじゃのう」
驚きのためか大きく目を開いた老人は、視線を道の向こうへと戻した。
「ところでお爺さんは商人か何かなの?」
馬車内をキョロキョロと見渡していたエレナが口を開いた。
「おや、どうしてかな?」
「えっ、だって移動用にしては大きすぎない? この馬車。それに結構立派な作りだし、そんなお金出せるとしたら商人かなって」
確かに外から見ただけでは分からなかったが、中はかなり頑丈そうな作りをしており、馬車内は揺れも少ない。一農夫が持つにしては少し豪華であるようにも感じる。
「……なかなか鋭いのう、お嬢ちゃん。そうじゃ、ワシはトナードの村におる唯一の商人じゃよ」
「唯一?」
「うむ。村にはワシ以外に算術が出来る者がおらんでな」
「なんていうか……大変なんだね?」
「なに、あとを任せても構わんという者が出るまでの辛抱じゃ」
そういうと老人はカッカッカと笑う。
「そう……普段は何を載せてるの?」
「花じゃ」
「はな? お花?」
「そうじゃ、ワシらの村は豊かとは言えんでのう。農作とは別に、花を育てて売っているのじゃ。村に近づけば見れるじゃろうて」
「へぇー、楽しみだねメイク!」
辺り一面に花畑が広がっている姿を想像したのか、嬉しそうなエレナは笑顔でメイクに話を振る。しかしその笑顔は一気に落胆の顔へと変わっていく。そこには座りながら寝息を立てるメイクがいた。
「なんだかなぁ……」
そう言ってエレナは大きくため息をつくのだった。