第1話 遠く、辺境にある村
左右に森林が広がる街道を、サイドカーを付けた句動二輪が走っている。
「ねぇ、本当にこっちであってるの? 地図に森のマークなんて書かれて無いけど」
「おかしいですね......確かにこちらのはずなんですが......」
サイドカーに乗る黒髪と赤い瞳の少女が、灰色の髪と瞳を持った句動二輪を操る青年に声をかける。どちらもまだ若く、少女は十五、六歳、青年は二十を過ぎたあたりだろうと思われる。
「メイク、やっぱりこの地図間違ってるんじゃない?」
メイクと呼ばれた青年が溜め息をついた。
「エレナ、その地図は仮にもセムジンの都市にある公的機関が一月前に作ったモノです。さすがにそんなことはないでしょう」
しかし、エレナと呼ばれる少女がそう思うのも無理はない。口では否定の言葉を口にしていた青年も、内心ではもしかしてという考えが生まれるほどにこの森林は長く続いているのだ。
森、それもここまで長く続くほどの大森林が作られるの為には、それはそれは長い時間が必要となるのだから。一月前に作られたという地図に載っていないのは確かに変だ。
かと言って、その地図通りに進んできてしまった以上、頼れる物が他に無いのも事実であって、二人は渋々森林の中を走っているわけである。
「......あ! 出口!」
セレナが指さす方向は確かに森が開けている。心の中でホッと安堵の息をついたメイクは、そこに向けて句動二輪を走らせた。
長い森を抜けた先は、黄金色に輝く麦畑が広がっていた。その中にはポツリと小さな村がある。
薄暗い森の中から出たせいか、眩しさに目を細めたメイクが句動二輪を止める。
「......ありましたね。次の村、ヴェヌ」
「早く行きましょ。久々にお湯に浸かりたいし」
メイクは周囲を見渡し、顔をしかめた後セレナの言葉に頷く。
「そうですね。少し聞きたい事もありますし――<限り無く続く脈動>」
起動聖句を唱えると、句動二輪の起動式に光が灯った。その光がまるで心臓の鼓動のように脈打ちながら、全体に走る。
ハンドルを回し発進させたメイクの顔は、何かを考えているようにも見えた。
***
村に到着した二人に村人達が我先にと近づいてきた。
「あんたら行商人かい!」
「あの森を抜けて来たんだろ? 何か危険な目には合わなかったかい!」
「見慣れないモンに乗ってるが、どっかの金持ちか?」
矢継ぎ早にされる質問に呆然としていると、一際大きな声が村人達を止める。
「落ち着いてください! 旅の方々が困っているではないですか!」
声が発せられた方にメイクが目をやると、まだ幼さを残す少女が立っていた。長い茶髪を布で纏め、色褪せた赤い布をスカートの上から腰に巻いている。
「申し訳ありません。私はこの村の長をやっているトゥルーデと言います」
頭を下げて自己紹介する少女にポカンとしていたメイクは、ハッとして頭を下げる。
「これはご丁寧に。私は<歴史の語り部>。名はありませんが、便宜上"メイク"と呼んでください。こちらはエレナ。仕事仲間です」
「<歴史の語り部>......? 政府公認のですか?」
訝しげな顔をする少女に、メイクは肩口に縫い付けられた紋章を見せながら答える。
「はい。こちらが証明証になります」
「......花薄雪草に、本と筆。――<灯々(とうとう)>」
少女の<聖句>に反応し、紋章が淡く光る。
「確かに、公認<歴史の語り部>の方のようですね。まだ、何か聞きたいことがあるのででしょう? お話は我が家でさせていただきますのでこちらへ...皆さん、私が代表して話しますので、家へ戻っていてください」
トゥルーデの言葉に、村人達はどこかがっかりした様子で家へと戻っていく。そして少女自身もメイク達に背を向けて村の中央へと歩を進めている。
エレナが声を潜めてメイクに話かける。
「......あまり歓迎はされてないみたいね」
「そのようですね。ですが、特に私たちを害する気も無いようですし、今は彼女に話を聞きましょう」
句動二輪を押しながら着いて行った先には、他の小屋のような家とは違う、二階のある建物があった。トゥルーデが中に入っていった所を見ると、ここが村長の住まいなのだろう。
外に句動二輪を停めて中に入ると、そこそこ広い空間があった。中央に木の蔓と藁で編まれたソファらしき物があるところを見るに応接間らしい。
「着替えて参りますので、おかけになってお待ちください」
「いえ、そのままで結構ですので、まずはお話を聞かせてください」
少女は何事かを考える素振りを見せた後、「わかりました」と言ってメイク達の対面のソファに腰かける。メイク達が着席したことを確認すると、話を切り出した。
「それで、私たちの村にまだ何か御用ですか?」
「......まだ?」
「ええ、だって一月ほど前にも<歴史の語り部>の方はいらっしゃいましたよ」
トゥルーデの言葉に、エレナが答える。
「そんなはずはないわ。私達はこのあたりの調査が終わってないから派遣されて来たのよ? すでに別の<歴史の語り部>が来てたなんてありえない。ソイツは偽物よ」
しかし、トゥルーデは首を横に振って否定する。
「それこそありえません。右肩にある紋章も、それが<聖句>に反応することも確認しました。......<歴史の語り部>の紋章は、偽造を防ぐために特別な糸で縫われていると聞いていますし、本物であることは間違いないかと」
メイクとエレナは顔を見合わせる。<歴史の語り部>という職に就いている人間は、とても少ない。何があるかわからない旅に、身一つで向かうのだ。そんな危険な職に、たとえ賃金が高かったとしても就く者が少ないのは当然と言える。今回のように地図があることなど、滅多に無いのだから。ゆえに、複数の<歴史の語り部>を同じ地に向かわせることは、まずありえない。
「......わかりました。今回はこちらのミスの可能性があります。しかし、万が一という事も考えて、前に訪れたという<歴史の語り部>の特徴を、覚えている範囲で教えていただけますか」
「はい。いらっしゃったのは一月ほど前です。大柄の男性でした。右目から頬にかけて大きな傷跡があり、帽子は被っていませんでした。メイク...さんのような服を着ていましたが、色は黒です。ただ、上着はコートのように長かったと記憶してます。移動は徒歩でしたが、食糧などが入っていそうな大きな荷物は持っていなかったので変だなとは思いました。この地域のことを事細かに聞いたあと、すぐにセムジンの街に戻ると言って出ていったので、滞在していたのは数刻ほどだと思います」
「そうですか、ありがとうございます。確認を取りますので、少し席を外しますがよろしいでしょうか」
トゥルーデが首を縦に振り、二人が外に出たところでエレナが口を開く。
「怪しすぎない?」
「ええ、確かに変です」
基本的に、<歴史の語り部>の制服というのはメイクのように青い。加えて、移動速度を考慮して句動二輪を必ず使うため、車輪に巻き込まれる可能性が高い裾が長いというのもおかしい。そのため、徒歩でヴェヌまで来たというのもありえない。そして何より、一度訪れた街へと引き返すというのは絶対に無い。<歴史の語り部>が道を引き返すのは、これ以上は進めないときだけのため、こんな中途半端な場所で戻ることは無いし、戻るとしても調査の効率を上げるため別のルートで本部まで帰るのだ。
エレナが問いかける。
「顔に傷のある大柄な男の<歴史の語り部>に心辺りは無いの?」
「無いですね。私もすべての業務員と会ったわけではないのですが......とりあえずはいつも通りの業務を行いましょう。トゥルーデさんには通達ミスがあったことにして」
「真実を記すべき<歴史の語り部>が嘘なんか言っていいの?」
「手厳しいですね。ですが、私の嘘は公に残る物ではありませんからね」
エレナの辛口に、メイクは肩を竦めながら答える。
「それに、気になることもありますしね」
そう言うと、メイクはエレナを伴って中へと入る。中ではトゥルーデが座ったまま、こちらの話が終わるのを待っていた。
「お待たせしました。どうも通達ミスがあったようです。ですが、私たちも手ぶらでは帰れませんので、一応お話だけ聞かせていただけますか」
「......ええ、わかりました」
こちらのミスがあったことを言うと、トゥルーデはあからさまにホッとした様子で頷いた。
メイクは腰にあるポーチから一冊の本を取り出し、何も書かれていないページを開くと左端に人差し指を置く。
「ではまず、こちらの地方について聞きたいのですが――」