ep.27 アイム・ホーム、マイライフ
トーナメント戦を終え、見事優勝という成績を収めた俺たちは、何故か俺の部屋で打ち上げを行った。
そして夜も更け、リリアと二人きりになった時に、俺はリリアから実はお嬢様であることを聞いた。
想像さえしなかった事態に、困惑する俺だが、よく思いかえせばそんな節もあった気もする……。
休日には故郷に帰省するというリリア。俺も、帰ってみようかな。
そうして、俺は自分の家に続く転移術式の中に足を踏み入れたのだった。
☆ ☆ ☆
目覚め。
それは、確かな目覚め。朝のお穏やかな太陽の光に刺激され、意識が覚醒し、思考が研ぎ澄まされる感覚。
しかし、今日はいつもと違っていた。
感じているのは春の肌寒い気温、雀の小合唱、いつもよりも少し硬いベッドの感触。
このすべてを感じて、目を覚ました俺は仰向けのまま思う。
───帰って、来たんだ。
少し目を動かして部屋を見渡してみれば、そこは久しぶりに見る俺の部屋だった。机も、鞄も、出しっぱなしの衣類もそのまんま。常浜学園の入学式前日のまんまだったのだ。
そして今日はその当日。昨日はなんだかんだですぐに寝てしまったのだけど、そのときの出来事はよく覚えていない。
覚えているのは、むこうでの出来事。
「夢……じゃ、ないよな?」
布団をかぶったまま、そう呟く。一人だけの空間に空しく響く声は、心なしか重苦しく俺にのしかかった。
この約半年の出来事が、全て夢だったんじゃないかと思うと、逆になんだか俺ってすごいヤツな気がしてきた。だって、あったとしても1週間ほどの夢で覚めるものだろ。というか、そう考えると何時間寝ていたことになるんだ? ……うーむ、頭が少し混乱しているぞ。まったく、朝から考える問題じゃなかったな。
それでも俺は、どうしても事実を確かめたくて人差し指を天井に伸ばした。
「……───ファイア」
頭の中で、指先に灯る小さな炎をイメージしてみる……が、案の定結果は芳しくはなかった。指は冷たい空気に晒されたまま、ゆっくりと力なく折り曲げられる。
やっぱりな……。結局、こんな確認の仕方じゃ無意味かもしれない。仮に今までの出来事が夢じゃなかったとしても、現界で魔法なんか使えるはずはないんだ。たとえ俺が全属性と呼ばれていようが。もっと、形に残っているものがあれば確証を得られるんだけど……。
そう思いながら首をひねって周囲を見渡してみる。床に落ちているものは鞄、筆箱、本、クッション、ゲーム各種……。あらゆるものが散乱している所を見て、片付けしないヤツだな、と自虐してみる。
「……本?」
少し引っかかりを覚えて、もう一度床に落ちているその本に焦点を当てる。分厚くて古臭い、異国の雰囲気を醸し出すハードカバー。間違いなく俺が買ったものではない代物だった。
俺は反射的に布団の中から出て、その本を手に取る。
『Admissions dans les écoles』
表紙には、こう書いてあった。
読むことはできなかったが、俺は感覚的にこの文字がなんという意味かを感じ取っていた。それと同時に、自然と頬が緩んだ。
夢じゃ、なかった。
今までの出来事は、夢なんかじゃなかったんだって。そう思うと、なんだか朝の気だるさが吹き飛んだ気がした。
さて、おかしな懸念も晴れたことだし、朝飯でも食べるか。
そうして俺は部屋のドアを開け、階段を下りて1階へ向かう。
思えば、母さんの作る朝ごはんを食べるのは半年振りだな、感覚的には。実際はどうかは知らないけどね。だから尚更、このありふれた朝の出来事が心躍るイベントに思えて仕方がない。
リビングに下りてドアを開けると、既に母さんが食卓にいくつか皿を並べていた。
「おはよう、母さん」
「あら悠斗、おはよう。今日は随分と早いわね。入学式が待ちきれないのかしら?」
母さんはそう言って、くすくすと笑い声を立てた。
俺はその何気ない会話に安心しつつ、そのままイスに腰掛ける。と、一つの事に気づいた。
……やっぱり、父さんはいない、か。
4人用のテーブルの一角、そこにいるべき人は今はおらず、ずっと空席を作ったままだ。以前の俺なら、またどっか行ったのか、とそれほど気にしないで流していただろうが、今はそういうワケにもいかない。
───知ってしまったからな。父さんの放浪癖の真実。魔法界にいるかもしれないってことを。もしそうだったら、俺は父さんを探さなくちゃいけない。それは、子として当然の義務だと思うんだ。
頭の中で意志を固めていると、テーブルの上にどんどんとやってくる料理の数々。朝からこれはさすがに胃がもたれそうだといわんばかりに並べられるそれを見ると、本当に帰ってきたんだと実感できる。
「久しぶりなだあ、母さんの作った朝ごはん」
「? 何言ってるの悠斗、お母さんが作った朝ごはんは昨日も食べたじゃないの」
「あ……あはは、冗談冗談。ただ、昨日の時間の経過がいつもより遅く感じたせいかなー、なんて……」
そうだった、俺の方では半年近く食べていなかったにもかかわらず、こっちではほんの1日しか経っていないんだった。危ない危ない、もう少しでおかしな人決定だった。
俺のよく分からない言い訳に、母さんは少し首をかしげながら、次々と皿を並べていく。実際はあながち嘘ではないのだけど、あまり気にしなかったようで助かった。問いただされたりしたら、俺の口からは今は変な笑い声しかでないぞ。それはさながら壊れた録音機のように同じ言葉をリピートするような感じで、俺もずっと笑い続ける。正直、問い詰められたら弱い。
やがて皿が全て並び終わったところで、母さんもイスに座って箸を手に取る。そういえば、魔法界には箸ってなかったな。アジアの影響はまったく受けていない場所だったからなあ。……俺、ちゃんと使えるだろうか。
そんな自身の妙なブランクを感じながら、朝のひと時は過ぎていくのだった。
* *
再び2階に戻り、真新しい黒の学生服に身を包む。これも半年前くらいに既にやってたっけ。向こうのはなんだか変わったデザインだったけど、それもまたよし。これはこれで味があるってもんだ。転校生の気分って、こんな感じなのだろうか?
鏡を見てどこか変なところがないか確認をしてみる。入学式だもんな、最初くらいはビシッと決めないと。……それにしても、向こうに半年もいたっていうのに、髪の毛は一向に伸びないんだな。一度も気にしなかったけど。発育止まってんのかな……おお怖っ。
「悠斗ー、そろそろ準備しないとー」
下から母さんの声が階段を伝ってやや反響気味に響く。それに鏡を見たまま「分かってるー」と生返事。丹念にチェックしたあと、鞄を持ってそのまま1階に降りていった。
「……うーむ」
さて、と……そして今はリビングのソファでくつろいでいるわけなのだが。どうしたことか、我が常浜学園への通学経路が頭の中からすっぽりと抜け落ちてしまっている。このままじゃ辿り着くことはおろか、出発することさえままならない。今の状態で出発したら、なんだか北海道とかの森の中にでも迷い込んでしまいそうな勢いだ。
どうしようどうしようどうしよう……! いざ行こうとするものの、俺はソファの上からまったく立てない状態で、ひざの上にグッと握り拳を作ったまま微動だにしない……いや、することができない。焦りと羞恥の思いから全身に汗が湧き出てくる時点で、くつろいでいるのとは少し違う気がするのだけど。ああどうしよう、本当にどうしよう……!
「悠斗……そろそろ行かなくて大丈夫なの?」
「だ、大丈夫だヨ! まだ余裕があるハズだからっ」
「でも、電車通学でしょ?」
「───へ!?」
「あれ、違ったかしら? 確か高校は電車で20分したあと歩いて20分のところにあるって……」
「あーーーそーだった! 思い出したっ! 行ってきまーーす!!」
「え……あ、ちょっと、悠斗!?」
忘れていた記憶を掘り起こして重要な部分を思い出したとき、俺は母さんの制止も聞かずに玄関に向かってダッシュした。朝だけどあのご飯のおかげで必要なエネルギーはマックス通り越して有り余るほどだ。もはや溢れんばかりの勢いである。ここらで使っておきたい気分だ。
乱暴にスニーカーを履いて、そのまま玄関のドアを蹴破る勢いで開けると、
「ぅわひゃあっ!?」
「へ……」
一人の女の子が、ドアの前で身を縮めて飛び上がっていた。
「…………」
「ぅ……うぅ……」
え、えーと? 一体どういった状況だ、これは?
勢いよくドアを開けていい感じのロケットスタートを切ったはいいものの、途端にエンストを起こしたような失速感。それと同時に頭の中がだんだんとクリアになっていく。
とりあえず、落ち着いてこの場を分析しよう。そう思って、彼女を再び見ると……どこかで見たことのある風貌だった。
小さめの黒い皮靴にすらりとした細い足を黒のニーソックスが優しく包んでいる。そよ風に控えめに揺れる短めのスカート、黒のブレザーの下には、清潔な白いYシャツで、その襟には赤いリボンが蝶々結びで可愛らしくあしらわれている。その背中に垂れる茶色めの髪の毛は朝の日差しにより輝きを増し、後頭部の少し上のほうで白のリボンによってしっかりと結ばれていて、束になってゆらゆら揺れている。それは俗に言うポニーテールというヤツで……、
「……リリア?」
気がつけば、そう口にしていた。
目の前でおびえた様子で目を瞑って、両手を頭に抱えている彼女は、非常にリリアに酷似していた。そのキャッチーな髪型もそうだし、すらりとした体躯も、どこか幼さの残った年相応の顔も、ほとんどがそっくりだ。
それでいて、やっぱり可愛かったのだ。
ついつい押し黙って、彼女を見つめてしまう……。
そういえば、どうしてこの娘は俺の家に来ているんだろう。それにこの制服……。
「同級生、か?」
そう思ったのは襟元のリボンからだ。赤いリボン。俺の制服の胸ポケットにも赤いラインが入っているので多分同学年だろう。そして制服の色も同じだ。
そうやって無意識に彼女を観察していると、やっと女の子はおそるおそる目を開けた。
「ゆ、悠ちゃん……?」
「むぬっ───!!」
ゆ、悠ちゃんとな───!? なんだそのむず痒い呼び方はっ!? だってそんな、「~ちゃん」って親しい仲でないとまずありえない呼び方だろう。それとも、この娘と俺はそれほどに親しい仲だったのか!?
というか俺はこの子のことを覚えていないのか? 一方的に俺を知っているみたいな感じじゃなさそうだし……可能性としてお隣さんとか近所の娘とか幼馴染とかならこんなシチュエーションもありえるというか───。
ん? 幼馴染? お隣さん? ……近所?
「あ、あの……悠ちゃん? その、ち、近い……」
「………あ、」
気がつけば、俺はいつの間にかその女の子の顔の数センチ前まで顔を近づけていたようだ。女の子は恥ずかしそうに頬を桜色に染め、視線を泳がせて苦笑いをしている。
思えばこの状況、誰がどう見ても非常にアブナイわけで……。
「ご、ごめん───!」
俺は咄嗟に、弾かれたように弓反りになって彼女から離れた。
……失態だ。
出会って早々の失態を犯したぞ、これは。なに見知らぬ女の子に無言で迫ってるんだ! というか、向こうは俺のことを知ってるのだから俺も知っているはずでは……いや、それよりなにか喋りながらってのも余計に悪い気が。おいさっきまでの事は声に出てなかったよな間違っても般若心経とか呟いてなかったよな!?
「……う、うん。何も言ってなかったよ」
「今のが声に出てたか───!?」
「般若心経じゃなくて、寿限無を呟いてた気がする」
「いつの間にか日本文学早口言葉を楽しんでいた!?」
い、いやいやいや、それはさすがにないだろ。「俺、実は黙るとつい喋っちゃうんだ」とかそんな酷い体質は抱えちゃいないぞ。
「ていうか……悠ちゃん、さっきまでのことって、一体なに考えてたの?」
「うっ……」
一芝居も束の間、痛いところを突かれて今度は逆に彼女に迫られ、形勢逆転。顔を寄せられるのではなく、歩いてくる。歩いてくるので、俺はただ後ずさるしかないわけで。おかげで開いたままのドアを潜り抜け、家の中にまで入って来てしまった。
「ゆうちゃぁん……?」
「は、ははは……」
じとっとした目で見つめてくるあたり、やっぱりコイツはリリアに似ている。というか、名前なんていったっけ……?
俺の中では、この世界に強制的に別れを告げてもうかれこれ半年。久々に帰ってきたはいいが、単に俺が忘れっぽいだけなのか、覚えていないことが多い気がする。
とにかく、今はこんなことをしている暇はないはずだ。なんとかしてこの状況を切り抜けないと、間違いなく俺は…いや、俺たちは入学式当日から遅刻という目に余る所行を犯すことになる。
じりじりと間合いを詰めてくる女の子。これ以上は靴を脱がないと逃げられないぞ……!
「またどーせ変なこと考えてたんでしょ?」
「また……? へ、変なことって何のことだよ」
「とぼけちゃって……変なことは変なことでしょっ」
「い、一体何のことを言っているんだお前、具体的に話してくれないと分からないぞ」
「そ、そそ…そんなの、言えるわけないでしょっ!」
また顔を赤くして、女の子は急に大きな声を上げた。ちょ、ここ家の中……!
「あ、あまり大きな声出すなって……」
すかさず声を潜めて、手を立て女の子に注意した。俺としては、家の中で女の子とくんずほくれつな場面を親に晒すわけにはいかないわけで。そんなことになったら登校どころの話じゃなくなるわけで。
な、なんとかしてこの娘を玄関の外に出さないと……。
「ま、まあそのなんだ、落ち着いてさ……ほら、外にでも出てゆっくり話そうぜ」
「ちょっと、こら、なにすんのよ───」
「あーーほら、早くしないと学校に遅れちまうぞー」
彼女の両肩を掴んでくるっと反転。そして強引に外に向かって電車ごっこよろしく前進させる。今はなんとしてもここから逃げなくてはいけな───
「───あら、彩ちゃん。おはよう」
「あー来ちまった……って、ん?」
───彩ちゃん?
「あ、おばさん。おはようございまーす」
「え?」
母さん、もしかしてこの娘を知ってるのか?
振り向いてにこやかに挨拶をする女の子、彩……って、あ。
───思い出した。
思い出したぞ、コイツの名前。
そうだ、俺の家の隣に住んでいる、小学校から長い付き合いの幼馴染……日野守 彩。小学からずっと同じクラスで、進学校まで同じという、所謂腐れ縁というに相応しい女の子だ。故に、母さんと面識があるのは当然である。
そして、俺のあだ名も小さい頃からずっと変わらず「悠ちゃん」である、と……いい加減に直して欲しいんだけどなあ。
「今日から学校ね、楽しんでいってらっしゃいね」
「はい、おじゃましました」
「悠斗も、遅れないように気をつけてね」
「……はいはい」
俺はなんだか親の顔を見たくなくて、振り向くことなくそのまま彩を家の中から押し出した。
そして俺は玄関から出てすぐにドアを閉めて、そのままよさりかかってため息を漏らした。
……どうして、こんなに忙しいんだ。現界にきて初日、早速精神的ダメージを負ってしまった。朝からおかしな汗が出てくるのはどうしてだ。
「もう……悠ちゃんってば強引すぎだよ」
「あーいや、その、はは……悪かったな」
彩はズレた制服の位置を直して、ため息混じりにそう言った。若干強引な仕方だったかもしれないけど、あの場は仕方がないと思ってくれ……。反省してるから。
「それより、ほら、早く行かないと電車乗り遅れるぞ」
「うぅ……そうだけどぉ……って、ちょっと待ってよ悠ちゃん!」
言いながら歩き出した俺を追いかけるように、彩はしぶしぶといった様子で置いてあった自分の鞄を持って、駆け足で俺の横に並んだ。
やっと、始まるんだな。本当の俺の学園生活が。
……これが、いつも通りの日常だったんだ。
昨日までは、こんな日々が続くものだと信じてやまなかった俺がいたんだ。俺たちが今日向かう、この常浜学園に通うことを心待ちにして春休みの最終日を過ごしていた俺が。
でも。
今は少し、心のどこかで気持ちが揺らいでいるような気がする。
肌寒い春風と朝の陽気を感じながら、俺たちは長く伸びた影を連れて歩き出す。
───本当に、これでよかったのか?
今章は日本での出来事、日本人との絡みが主体なので、Google翻訳によるサブタイトルはなしです。
期待していた方がいましたらすいません。
結構あれで書くの遅くなっていたりするのはここだけの話。