婚約破棄された令嬢は不倫王子を見限り、隣国の氷の皇太子に拾われ溺愛されつつ全てを奪い返すことにしました
――それは、あまりにも唐突だった。
「リゼリア・フォン・アルヴェルト! お前との婚約を、ここに破棄する!」
煌びやかな夜会の中央で、王太子アルディオンはそう言い放った。
空気が、凍る。
視線が、集まる。
ざわめきが、波のように広がっていく。
リゼリアは静かに、瞬きを一つした。
「……理由を、お聞きしても?」
声音は、驚くほど落ち着いていた。
けれど、その指先はほんの僅かに震えている。
アルディオンは鼻で笑った。
「白々しいな。お前のような冷たい女では、王妃は務まらん。それに――」
彼は隣に立つ女の肩を抱いた。
甘く、絡みつくように。
「私はすでに、真実の愛を見つけたのだ」
その女――カミラ・ローゼンは、勝ち誇った笑みを浮かべた。
柔らかな金髪を揺らし、わざとらしくリゼリアを見下ろす。
「ごめんなさいねぇ? でも、殿下は私のものだから」
――なるほど。
リゼリアの胸の奥で、何かがすっと冷えた。
噂は聞いていた。
だが、ここまで堂々とやるとは思わなかった。
「つまり……不倫、ということですね」
静かに言うと、周囲がざわつく。
アルディオンの顔が僅かに歪んだ。
「なっ……!」
「婚約中の殿下が他の女性と関係を持つ。それを理由に婚約破棄を正当化する……随分と、都合の良い話ですこと」
言葉は柔らかい。
だが、刃のように鋭い。
カミラが苛立ったように声を荒げた。
「何よその言い方! あなたが魅力ないから殿下は私を選んだのよ!」
「……そうですか」
リゼリアは、微笑んだ。
それは、温度のない笑みだった。
「では、どうぞお幸せに」
その一言に、逆に場が凍る。
泣き崩れるでもなく、縋るでもなく。
あまりにもあっさりとした別れ。
それが、逆に不気味だった。
リゼリアはくるりと背を向けた。
もう、この場に用はない。
――だが。
「……面白いな」
低く、よく通る声が響いた。
視線が一斉に集まる。
そこにいたのは、黒髪の青年。
隣国ゼルヴァニアの皇太子――レオンハルトだった。
氷の皇太子、と呼ばれる男。
誰にも笑わぬ、冷酷無比の存在。
その彼が、わずかに口元を歪めていた。
「そこの令嬢。名は?」
「……リゼリア・フォン・アルヴェルトでございます」
振り返り、礼を取る。
レオンハルトはじっと彼女を見つめた。
「ならばリゼリア。お前――行く当てはあるか?」
「……ございませんわね」
家に戻れば、責任を問われる。
社交界では笑い者。
行き場など、ない。
「ならば来い」
あまりにも簡単に、彼は言った。
「我が国で保護してやる」
ざわめきが、爆発する。
カミラが叫んだ。
「ちょっと!? そんな女――!」
「黙れ」
一言だった。
それだけで、場の温度が数度下がる。
カミラは震え、口を閉じた。
レオンハルトはリゼリアへ手を差し出す。
「どうする?」
問われて、リゼリアは一瞬だけ目を伏せた。
――全てを失った。
ならば。
利用できるものは、全て使う。
顔を上げる。
その瞳には、静かな炎が宿っていた。
「……お言葉に、甘えさせていただきます」
彼の手を取る。
その瞬間。
何かが、始まった。
それから、数ヶ月。
ゼルヴァニア帝国。
豪奢な宮殿の一室で、リゼリアは紅茶を口にしていた。
「随分と、様になってきたな」
向かいに座るレオンハルトが言う。
「おかげさまで」
淡々と返す。
だが、その実。
彼の庇護は絶大だった。
教育、衣装、人脈。
全てが用意されていた。
「……復讐、するのだろう?」
ふいに、彼が言う。
リゼリアはカップを置いた。
「はい」
迷いはない。
「アルディオン殿下と、カミラ嬢。……全てを、失っていただきます」
静かな声音。
だが、その奥には確かな怒りがある。
レオンハルトは満足げに笑った。
「いい顔だ」
そして、椅子から立ち上がる。
「ならば手を貸そう」
「……よろしいのですか?」
「当然だ」
彼はあっさりと言った。
「お前は、俺のものだからな」
一瞬、言葉を失う。
そして。
「……随分と、強引ですこと」
「嫌か?」
「いいえ」
リゼリアは微笑んだ。
今度は、少しだけ温度のある笑み。
「むしろ、好都合ですわ」
そして――舞台は再び、王国へ。
リゼリアは帰ってきた。
ゼルヴァニア皇太子の“婚約者”として。
社交界は騒然となる。
かつて捨てられた令嬢が、圧倒的な地位を得て帰還したのだから。
「な、なんであんたが……!」
顔を青ざめさせるカミラ。
その隣で、アルディオンも言葉を失っている。
リゼリアはゆっくりと歩み寄った。
「お久しぶりですわ」
にこりと笑う。
それだけで、二人は後ずさった。
「さて――」
彼女は告げる。
「不倫の証拠、全て揃っておりますの」
書類が、ばさりと広げられる。
密会記録、金銭の流れ、証言。
逃げ場はない。
「う、嘘よ! そんなの――!」
「王家への背信行為として、正式に告発させていただきます」
その言葉で、終わった。
アルディオンは失脚。
カミラもまた、全てを失う。
かつて自分たちがリゼリアにしたこと、そのままの形で。
夜。
バルコニーで風に当たるリゼリアに、レオンハルトが近づく。
「終わったな」
「ええ」
静かに頷く。
胸の中は、不思議なほど穏やかだった。
「……これからは?」
問われて、少し考える。
そして。
「穏やかに、生きたいですわ」
そう答えた。
レオンハルトは小さく笑う。
「ならば、隣にいろ」
「命令ですか?」
「願いだ」
その一言に、リゼリアは目を瞬いた。
そして――
「……仕方ありませんわね」
くすりと笑う。
「お受けいたします」
夜風が、二人を包む。
復讐の先にあったのは、静かな幸福だった。
――そしてそれは、溺れるほど甘い日々の始まりでもあった。




