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雪霊 ver.2  作者: 謎村ノン


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3/3

(3)

 その後の流れは、現実の速度で進んだ。

 キクリンが「男の顔と、つながった場所を覚えている」と言った。

 私は、どこかで「覚えてしまった」のだと思った。彼女の体内の水が、男の履歴を記録したのだとしたら、忘れるほうが不自然だ。

 私が、警察に連絡した。最初は、相手にされなかった。しかし、キクリンが泣きながら話し、先生が理屈をぼかしながら説明し、そして何より、男の居場所の手がかりが具体的だったことで、動きが生まれた。

 数日後、男は錯乱した状態で捕まった。ニュースの映像で見る顔は、霧の中の輪郭に似ていた。目がどこにも焦点を結ばず、口が意味のない言葉を吐いていた。何かに追われている顔だった。

 そして、その家の床下から、女の子の遺体が見つかったという。

 私は、その報せを聞いたとき、吐き気がした。胃の底が冷え、喉が締まった。キクリンは泣いた。先生に連絡すると、沈黙された。

 ……誰も勝利の顔をしなかった。復讐が正しかったかどうかより、その正しさが現実になってしまったことが怖かった。

 あの『ママ』は、あちらに行ってから犯人が分かったと言った。つまり、死者が、死後に知り得た情報を、こちらへ持ち込んだのだ。それが本当なら、本当に、境界とやらが薄くなってしまったのかもしれない、と思った。

 だからこそ、私たちは動画をぼかした。

 事件性が強すぎた。人の不幸が「撮れ高」になる速度が怖い――ネットは祝福も罵倒も同じ熱で投げるから。あの女の子の死を、数字に変換してしまう。

 キクリンは悩んだ末に、“かなりぼかした形”でユー○ューブにアップした。白い霞。音声のノイズ。解説も慎重にした。そして、最後に『ママ』と女の子の冥福を祈った。普段の彼女のテンションではない。静かな声。目の下のクマが濃かった。泣いた後の顔だった。

 動画の再生数は、伸びた。伸びたことが、気持ち悪かった。世間はこういうものを求める。怖がりたい。真実に触れたい……安全な画面の向こうで。


 そして――先生の装置は、壊れた。

 ブレーカーで突然停止して以来、どうやっても起動しなかった。電源ユニットを替え、配線を見直し、レーザーの発振器を点検し、ソフトも入れ直した。どこにも異常が見つからないのに、起動しない。起動するべき場所で、反応がなかった。

 先生は、研究室で何度もスイッチを押した。押すたび、指が少しずつ震えていった。私は、その姿を見て、背筋が冷えた。科学者の敗北ではない。敗北よりもっと嫌なものだ。装置が壊れたのではなく、「それ」が逃げたように見えたからだ。

 先生は、ぽつりと呟いた。

「……止まったのではない。閉じたのだ」

「閉じた?」

「こちらから止めたつもりで、実際は向こうが“もういい”と判断しただけかもしれない。……揃いすぎて、きっと、滑った、ということだろう」

 滑る。あの言葉がまた胸に刺さる。

 私は、研究室の机の上に残った氷の欠片を見つめた。六角の模様が、薄く光っている。記憶が結晶化するなら、ここには、まだ残っているのだろうか? あの声、あの霧、あの復讐の手触りが……。

 私は、思った。もう一度起動したら、また繋がるのだろうか? 繋がった先から、今度は何が滑ってくるのだろうか。

 そして、最悪なのは――その答えを、私が少しだけ知りたがっていることだった。


***


 事件のあと、時間は何事もなかった顔をして進んだ。

 ニュースは次の話題へ移り、キクリンのチャンネルの動画は「すごい心霊回だったね」と軽く消費され、コメント欄の熱も別の炎へ流れていった。

 しかし、私の中では、あの研究室の霧と悲鳴が、まだ湿ったまま残っていた。夜、コップに水を注ぐと、透明なはずの水面に、うっすら白い膜が張る気がした。もちろん錯覚だ。冷えたグラスの結露が、光を変に反射しているだけだと分かっている。それでも、指先が濡れるたび、私の思考は、どこかへ滑りかけた。


 キクリンは、事件のあと、少しだけ変わった。霊感が増したと笑っていた。

 いや、最初から変わっていたのかもしれない。違いは、それが「分かりやすくなった」ことだ。

 私は、研究をサボって、キクリンのマネージャー的なことを手伝うようになっていた。

 テレビの世界は、私が、想像していたより早くて鈍かった。

 早いのは、時間の流れだ。企画が決まり、ロケが決まり、台本が配られ、収録が終わるまでが一瞬で過ぎていった。

 鈍いのは、感覚だった。怖さも悲しみも、番組の尺に収まる形へ丸められた。人の涙も、CM前の盛り上がりに使われた。


 そんな場所で、キクリンは、なぜか息ができてしまった。

 彼女は、もともと、空気を支配する人だった。笑いで場を変え、叫びで視線を集め、視聴者の感情を手のひらの上で転がす。けれど、事件以降、そこに別の「重さ」が加わった。言葉が当たる。怖がるポイントが的確すぎる。場所へ入った瞬間に、スタッフの誰も気づいていない異変を言い当てる。

「そこ、濡れてる。触らないほうがいい」

 廃校ロケで彼女がそう言ったとき、誰も信じなかった。しかし、数分後、天井の隅から水が滴り落ち、機材にかかって一部が故障した。偶然だ。そう笑うことはできる。でも偶然が重なると、笑いは薄くなる。

 別の日、病院跡のロケで、彼女は暗い廊下の突き当たりを見つめて言った。

「誰か、呼んでる。白い子がいる」

 スタッフがざわつく。カメラが向く。ライトが揺れる。視聴者が喜ぶ。そういう段取りに見えた。ところが、そこにいたのは「幽霊」ではなく、迷い込んだ小さな野良猫だった。白い毛が汚れて、怯えて震えていた。

 キクリンはその猫を抱き上げて、泣きそうな顔で撫でた。

「怖かったね」

 そのときの声が、ひどく低かった。私はモニター越しに、それを聞いて背筋が冷えた。キクリンの声ではない、とまでは言い切れない。けれど、母親が幼子へ向けるような、湿った優しさが混じっていた。


 それでも、番組は成立する。むしろ「ガチで見える人」として彼女の価値は上がった。ネットは「本物だ」と叫び、アンチは「演出だ」と叩く。どちらも数字になる。数字になった時点で、現象は勝手に強くなる。人の関心が集まるほど、境目は薄くなる気がした。


 結局、私は、大学を辞めた。

 研究を捨てた、というより、研究室の蛍光灯の下で平気な顔をして数式を書けなくなったのだ。あの装置が示したものが、私の世界観の端を剥がした。剥がれた端から冷気が入り、元の場所へ戻るとずっと寒い。

 指導教員には「映像関係の仕事をします」とだけ言った。半分は本当で、半分は嘘だった。

 私が、やりたいのは「映像関係」ではない。映画を撮りたい、と思った。監督になりたい。高校の頃に抱いた夢を、いい加減、言い訳なしで拾い直したかった。

 そして、現実的な理由として、キクリンのそばにいたほうが安全だと思った。笑ってしまうほど皮肉だ。危険の近くへいるほど安全だと感じるのは、既に感覚が歪んでいる証拠なのに。


 私は、キクリンのマネージャー兼恋人になった。

 書類仕事、スケジュール調整、撮影の段取り、スポンサーへの連絡、移動の手配。忙しさは、確かに私を救った。余計なことを考える時間が減るからだ。けれど、その忙しさの中で、私は、彼女の「揺れ」を何度も見た。

 笑い声が途中で途切れ、別の笑い方に変わる瞬間。目の焦点がふっと遠くへ移り、そこにいない誰かと会話するみたいに頷く瞬間。手を洗う回数が増え、やたら水を飲むようになる変化。水。記憶。感染。先生の言葉が頭の隅で反芻された。

 ある夜、収録帰りの車内で、キクリンが突然言った。

「ねえ。会いたい子がいる」

 助手席で、窓の外を見ていた彼女の横顔は、ライトに照らされて硬かった。普段なら冗談めかして言うはずの一言が、まっすぐに落ちた。

 私は、ハンドルを握ったまま、ミラー越しに彼女の目を見た。そこには珍しく、飾り気のない不安があった。

「誰?」

 私が問うと、彼女は小さく息を吐き、スマホを開いた。

 メモアプリに住所が表示された。どこでそれを手に入れたのか分からない。けれど、その画面を見た瞬間、私の胸の中に冷たい石が落ちた。

「東北の旅館でさ。あのとき、見かけたカップルがいたでしょ?」

 私は、すぐに思い出した。宿泊客が少ないロビーと薪ストーブ。窓の外の白い闇。あの中で、どこか場違いに若いカップルがいた。疲れた顔の男と、柔らかいのに影のある女だった。

「覚えているよ」

「その人たちの……子」

 子、という単語の響きが、何か湿っているように思えた。

「どうして、会いたいの?」

 私が慎重に聞くと、キクリンは、笑おうとした。しかし、笑いが途中で崩れた。

「分かんない。でも……行かなきゃ、って思う」

「分かった」

 私は、嫌な予感を抱えたまま、アクセルを踏んだ。

 翌日、私たちはその住所へ向かった。コインパーキングに車を停めて、彼女が見つけた住所まで歩くと、住宅地の中に、小さな公園があった。

 鉄棒、滑り台、砂場、ブランコ。夕方の光が斜めに差し、遊具の影が長く伸びる。周囲の家からは夕飯の匂いが漂い、子どもの笑い声が飛ぶ。平凡で、穏やかで、何も起きないはずの場所だった。

 それなのに、私の胸が、ざわついた。

 ブランコの近くに、若い父母がいた。

 見覚えがあった。間違いない。あの旅館で見かけた二人だ。男は背が高く、視線が鋭い。女は、柔らかい雰囲気なのに、なにか陰があるように思えた。

 二人の間に、ちいさな女の子がいた。髪は黒く、頬が赤かった。走り回り、砂を掴み、笑う。普通の子どもに見える。

 けれど、私は見てしまった。

 彼女がブランコの鎖を握った瞬間、指先が一瞬だけ白く透けた気がした。夕陽の反射だ、と理屈では思えた。しかし、感情が否定した。あの透け方は、湯気の中で見た白に似ている、と思った。

 キクリンは、藤棚の前で立ち止まった。息が詰まったように肩が揺れる。次の瞬間、彼女はぽろぽろと涙をこぼし始めた。何の前触れもない涙だった。驚くほど静かに、次々と落ちる。頬を伝い、顎から滴り、アスファルトに小さな点を作る。

「……よかった」

 彼女は、そう言った。声が低かった。

 私は、決定的に確信してしまった。彼女の中には、まだ「何か」がいる。あの研究室で繋がった声、霧の中で笑った母親のような存在――水の記録が感染した状態が、完全には解けていないのだ。

 だから、私は、恐る恐る口にした。

「……ひょっとして、まだ君の中に『ママ』がいるのか?」

 言った瞬間、空気がひやりとした。風が止まったように感じた。公園の子どもの声が遠くなる。ブランコの軋みが遅れる。世界の時間が一拍ずれる感覚。

 キクリンは立ち上がり、私のほうを見た。

 にやり、と笑った。

 いつもの軽い笑いではない。口角だけが上がって、目が笑っていない笑い。薄い氷が割れる直前の、危うい微笑み。

「さあね」

 その声は、キクリンのものだった。けれど、声の奥に、もう一つ別の声が重なっている気がした。ハスキーで、優しくて、底意地の悪い声。

 私は、あの実験室の雪を思いだしていた。


(了)

これは、ほとんどメモ書きみたいな状態から話を作っていった感じですね。ちょっと『板子』と関連ある感じです。それでは、また!

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