第15章:すれ違う記憶
ある日の放課後。小学校の裏庭、夕焼けに染まった坂道の下で──竹下は一人、下校途中の足を止めていた。
「──昨日のこと、覚えてるか?」
声をかけてきたのは川口達也だった。制服のポケットに手を突っ込み、どこか不安そうな目で竹下を見つめていた。
竹下は、心臓の鼓動を無理やり押さえつけながら、ゆっくりと口を開いた。
「……いや。何も覚えてないよ」
川口は、ほんのわずかに肩の力を抜いたようだった。そして安堵の笑みを浮かべると、それ以上何も言わず、くるりと背を向けて去っていった。
──忘れたふりをすることが、彼にとっての優しさだったのか、それとも自分の防衛本能だったのか。竹下には、もうわからなかった。
それから時が過ぎ、竹下は成長し、結婚し、そして娘──みのよが生まれた。
毎日が静かで、ささやかな幸福に満ちていた。だが、ある朝の新聞が、その均衡を破った。
「……え?」
竹下の手元で、新聞の一面が小さく震えた。
【元警察署長の息子・川口達也氏、山中で事故死】
写真に映るのは、記憶の中と少しだけ違う、老いた川口の顔。しかし、その名前に間違いはなかった。
そして、記事の右下──新たな警察署長就任の報が目に入った。
【白浜署新署長に、西村貴文氏が就任】
その顔を見た瞬間、竹下の手から新聞が滑り落ちた。
「──あの男だ」
30年前、山で見た。達也の後ろから鉄パイプを振りかぶり、無言で襲いかかった、あの“もう一人の男”。
何も知らないフリをしていた、あいつ──今、白浜の警察署長になっている。
その頃、竹下の妻・白石結は病院で、ガンの治療を受けていた。すでに余命宣告を受け、毎日を静かに過ごしていた。
──言えなかった。真実を告げて、何になる?
彼女の心に重荷を背負わせるだけだ。
竹下は、何も言わないと決めた。
ただ、胸の奥に静かに決意だけを仕舞った──“このまま、終わらせない”と。