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天国終了

作者: 雉白書屋

 ある死んだ男。彼は戸惑っていた。自分が死んだことに対してではない。また、天国に辿り着いたことに驚いたわけでもなかった。人間というのは、どこかで自分を善人だと信じ込んでいるものだ。

 彼が困惑したのは、天国の様子だった。どこかおかしい。住人たちは慌ただしく行き交い、不安げな表情を浮かべている。穏やかで安寧に満ちた場所――そんな天国のイメージとはかけ離れていた。まる火災に見舞われた町のような騒がしさだ。

 彼は近くを通りかかった住人を呼び止め、訊ねた。


「あの、すみません、何か事件でもあったんですか?」


「何? あんた、来たばかりの人?」


 住人の男はしかめっ面で彼を見て、重たいため息をついた。


「天国が閉鎖するんですよ」


「えっ、閉鎖!?」


「そう、サービス終了です。お疲れ様」


「ど、どうしてそんなことに……?」


「そりゃあ、利用者が少なくなったからでしょう。なんでも、運営費が足りなくなったとか。はーあ」


「え、運営費って……天国の運営にお金がかかるんですか?」


「まあ、実際に金なのかはわかりませんけどね。それに相当する何かなんじゃないですか? なんか、こう、善のエネルギーとか、そんなの。ははは、知りませんけどね。何が善だよ。はあ……」


「は、はあ、そうなんですね……」


 男のため息につられて、彼も思わず息を吐いた。男は不機嫌そうに舌打ちをし、憎々しげに話を続けた。


「天使の話じゃ、最近の人間は善行を積まなくなったらしいんですよ。それで収入が減って、運営が成り立たなくなったんだと。ああ、おかしいと思ったんだよなあ。最近、やけに審査が甘くなったなって。まあ、結局サービス終了ですがね。悪あがきだったんでしょうよ。あーあ、普段ケチなくせに、プレシャスを大量配布するわけだよなあ。溜めずに使っとけばよかったなあ!」


「プレシャス……?」


「天国の通貨みたいなもんですよ。まあ、もうゴミですけどね。へへ、へへへ……」


「あの、それで私たちはどうなるんでしょうか……?」


「ははは、そりゃ決まってるでしょうよ。……地獄行きですよ、はははははは!」


 男は気が狂ったように笑い出した。それは周囲に伝染し、次々に住人たちが壊れたように笑い出した。彼は呆然と立ち尽くし、その光景をただ見つめることしかできなかった。

 やがて、天国が正式に閉鎖され、住人たちは天使に追い立てられるようにして、列を成して地獄へ向かい始めた。彼もその列に加わり、ただぼんやりと歩を進めた。もう、そうするしかなかった。しかし――。


「え!? 地獄も閉鎖するんですか!?」


「おー、そうだよ。維持費がバカにならなくてね」


 地獄の門の柱に腰掛けた悪魔が、苦笑いしながら答えた。


「最近の人間たちは悪行を積むことも減ったんだよ。だから地獄の収入も激減して、運営が立ち行かなくなったんだ」


「そ、それじゃあ、私たちはどこへ行けばいいんです……?」


「さあな、その辺を漂っていればいいんじゃないか?」


 悪魔は面倒くさそうに言い捨てた。

 こうして行き場を失った魂たちは、無限の虚無の中を漂うことになった。善行も悪行も意味を持たない世界で、彼らは何も考えず、ただ存在し続けた。

 彼もまた最後にこう思っただけで、それ以降は何も考えなくなった。


「なんだか、仮想空間に入っていないときの感覚に似ているなあ……」


 現世の人々が仮想空間で積み重ねた善行や悪行は、神の目には届かず、評価の対象にはならなかったのだ。

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