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点と点

 翌日の土曜日、新興住宅街にある凛花の自宅を、約束どおり外崎さんが訪れた。ゆるめのブルーのパンツに白いふわふわのトップス、白いシューズという爽やかな装い、そこまでは良かったが、やっぱり頭部は対花粉症仕様だった。左脇には、プラスチック製の大きな書類ケースを提げている。

「おじゃばしばず」

 なんとか翻訳できるが、このあとの会話が不安だ。そこまでして無理に外出せんでも、と思いながら、凜花は外崎さんを自室に招いた。ついでにこの際訊ねたところ、外崎さんはスギ、ブタクサ、ヨモギ、カモガヤ等の花粉症ということだった。何だその花粉の役満は。


 凛花の部屋は、一見するとそんなにオタクっぽくは見えない。もともと推し活的なスタイルではなく、作品そのものが大事なタイプなので、あまりアクスタだのグッズ類には興味がないのだ。外崎さんは部屋に入るなり、まず部屋の西面を占拠する本棚に張り付いて、並んだ漫画のタイトルを舐めるようにチェックしていった。挙動は完全に不審者である。


 あらためて自身の漫画ライブラリーを眺めると、なんだか雑多だなと思う。本棚の一角を見るだけで、 中村光「聖★おにいさん」 九井諒子「ダンジョン飯」「竜のかわいい七つの子」 清水玲子「秘密」 長崎ライチ「ふうらい姉妹」 藤井おでこ「幼女社長」 槇えびし「天地明察」 手塚治虫「アドルフに告ぐ」 山本まゆり「魔百合の恐怖報告」 市東亮子「やじきた学園道中記」 荒木飛呂彦「ジョジョの奇妙な冒険」 東洲斎画楽/魚戸おさむ「イリヤッド」 津山ちなみ「ハイスコア」 竹宮惠子「地球へ…」 ほりのぶゆき「江戸むらさき特急」 藤田貴美「ご主人様に甘い林檎のお菓子」 エトセトラ、エトセトラ。これで、蔵書の二割も行ってない。まだ押し入れにも山ほどあるし、漫画のみならず小説も、人文系の本もある。

 もちろん女子高校生ひとりが全部自分で買えた筈はなく、親戚のお兄さんが引っ越す際にもらったものとか、父親が自分で買ったのに難しくて理解できず、自然と凛花の本棚に居着いたもの、母親の蔵書から引っ越してきたものも多い。


 ひととおりチェックし終えた外崎さんは、ニ●リのカーペットに五体投地した。

「師匠と呼ばせでぐだづぁい」

「呼ばなくていいから鼻をかめ!」

 ティッシュ箱を突き出すと、外崎さんはマスクをずらして勢いよく鼻をかんだ。そこそこ可愛い顔立ちのはずだが、鼻も目も真っ赤で、まあナンパされる心配はなさそうである。耳鼻科で処方された点鼻スプレーを噴霧していくらか落ち着いた外崎さんは、恐れをなしたような顔をしていた。

「何なんだろう、混沌としているというか、普通ではないというか…只者でないのは確か」

「まあ、混沌としてるのは否定しないけど」

 改めて他人から言われると、やっぱりそうなのか、と凛花は思った。時代やランキングは関係なく、面白いと思った作品、漫画家を目指すうえで指標にできる作品ばかり集中的に集めているので、どうしても世間からはズレたものになってしまう。極端な話、凜花にとっては自分自身の作品を磨くことが最重要である。


 本棚のことはひとまず置いておいて、コーヒーを淹れているあいだに、外崎さんに今進めている応募作品の、ネームのコピーを読んでもらった。三二ページの少年誌向け、宇宙が舞台のややコメディタッチなSF作品だ。

 漫画を読んでもらうのは、奇妙な感覚だ。自分の心の中の一部を提示する行為であり、自身のセンス、発想力、表現力を批評にかける行為である。思えば、今まで原稿を送った編集部以外、凜花の作品を読んでくれる人はいなかった。コーヒーのトレイをテーブルに置いた時、外崎さんの真剣な表情に凛花は怯んだ。

 ネームを読み終えた外崎さんは、紙を揃えてダブルクリップで留めると、端的に感想を伝えてくれた。

「難しいね」

 その評価を、どう受け止めるべきか凛花は一瞬悩んだ。内容が難しいのか、それともこの内容で評価されるのが難しいという事か。外崎さんは言った。

「細かいことを言うと、ラストで主人公の女の人が賭けに出て作戦を成功させる、そのプロセスの説明が足りないと思う。そこを上手くできれば、展開に締まりが出て来るかも」

 何なんだ、このプロ然とした講評は。そして、それはまさに凜花が悩んでいたポイントだった。外崎さんとは入学以来、会話らしい会話をした事がないけれど、普段はなんとなくボンヤリ、フワフワしているイメージだったので、こうしてストレートな言葉を紡ぐ様子は想像できなかった。

「ストーリーはものすごくよく出来てる。ちょっと玄人好みすぎる感じはあるけど、好きな人には刺さる世界観かもね。正直言うと、これほど完成度が高いとは思ってなかったけど……」

 けど何だ、と凜花が思っていると、コーヒーをひと口飲んで外崎さんは続けた。

「なんていうかこう、表面的にガーンと一発くる、ケレン味が欲しいかな。『進撃の巨人』で言えば、巨人が人間を食べちゃうみたいな、ストレートにショッキングな要素」

「……なるほど」

 それなりに耳に痛い講評ではあったが、凜花としては納得できるものだった。第三者の目からは、そんなふうに見えるのか。だが、これは外崎さん自身も漫画を描いている事が大きいのだろう。そんな人物が、入学してまだ日も浅いとはいえ、クラスメイトだったことに凜花は今さら驚いていた。

「原稿も見せてもらえる?」

「……いいよ」

 といっても、まだ六ページまでのペン入れしか終わっていない。ペン入れのあとはどうするか、思案している最中である。ほんとうはデジタルでやりたいのだが、凜花はまだ自分用のパソコンを持っていない。タブレットだけで全部の作業を完結させる人も今では珍しくないが、いずれにしても一人の女子高校生には資金が足りないのだ。アナログで描かれた原稿を見た外崎さんは、またしても五体投地してきた。

「師匠と呼ばつぇてくだつぁい!」

 また鼻がつまりかけている。原稿に鼻水を垂らされるのが恐いので、それとなく回収した。

「称賛するのか批評するのか、どっちなの」

「ここまで描けるお方だとは知らず、すんずれいすますた!」

 失礼しました。年寄りじみた訛りと鼻詰まりがミックスされて、ほとんど新しい言語が出来上がっている。とにかく、ペン入れに関しては及第点をもらえたようだった。

「すごいなあ…見てよ、わたしの原稿」

 そう言って外崎さんは、書類ケースから自身の生原稿を取り出した。ペン入れだけで終わっている凜花の原稿ではなく、スクリーントーンの仕上げまで終わっている完成原稿だ。

「去年の秋締め切りの新人賞に出して、一次選考で落ちて返ってきた原稿」

 差し出された原稿を、少しだけ震える手で凜花は受け取った。他人の生原稿を手にするのは初めてなのだ。ストーリーはちょっと中国風の、いわゆる貴種流離譚というやつで、とくだん目新しい印象はないが、主人公の少女の性格がけっこう痛快だ。展開はまあ可愛らしいものだが、楽しく読める。原稿そのものの仕上げに関しては、これを中学三年生の時に描いたのだと考えると、凜花は軽いショックを覚えた。自分の当時の原稿は、もっと稚拙だったと思う。

「立派なもんじゃない。これだけ作れるなら、胸張っていいと思うよ」

「……そう思う?」

「そりゃまあ、細かいこと言い出したら色々突っ込む所はあるけど。私はすごいと思うよ」

 凛花は正直、あまりストレートに意見することには尻込みしてしまったが、外崎さんはその細い外見から想像するよりタフだった。

「じゃあ、ダメだと思った所を教えて」

 強い。そう本人が望むからには無碍にもできず、凛花は外崎さんが描いた原稿への感想を述べた。


 同じ志を持つ人間との交流が、これほど刺激的なものだとは、凛花は知らなかった。ひとしきり、漫画について議論に花を咲かせると、ようやくくだけた雑談モードになった。

 外崎さんはオリエンタルなファンタジー、凛花はSFと、ジャンルは異なるが非日常である点と、女の子が奮闘する作品が好きなところは共通していた。そこで、人間以外のモチーフを描くのが難しい、という話に移行した。

「白山姫さん、宇宙船とか描くの上手いよね。私はメカは駄目だわ」

「私は逆に生き物が苦手。たとえば……」

 そう言って、外崎さんが描いた原稿をめくった時、そこに描かれていたものに凛花は背筋を引きつらせた。それは、主人公の心情を表すために背景に描かれた、真っ白な龍だった。

 昨日、下校時に氷露咲公園で出会った、巌鬼山の頂上から飛来した、あの真っ白な龍神。忘れていたわけではなかったが、現実感がなさすぎて心の片隅に押し込めていた体験を、まだ稚拙さの見える外崎さんの線画で凛花は思い出した。

「白い龍神……」

「え?」

 外崎さんの声で、凛花は我に返った。

「いっ、いえ、空想の生き物って、描くのが難しそうだな、って」

「うーん、逆に実在の生き物の方が厄介じゃない?本物の比較対象があるわけだし。誤魔化しができない」

 実在の生き物。では、昨日見たあの龍神は、実在しているのか。それとも、凛花の心が生み出した幻覚、妄想だったのか。だとすると、統合失調症か何かの疑いも出てくる。自分自身に不安を覚え始めたとき、凛花のスマートフォンにニュースの通知が入った。気を紛らすために、ふだんさほど興味も持たない通知をタップすると、それは氷露咲市のローカルニュースだった。


『行方不明者これで九人、自動車も発見できず』


 どうやら、先日から続発している行方不明事件に、またひとり加わったらしい。今度は電子機器メーカーの営業担当のおじさんで、営業車ともども夜中のうちに、いずことも知れず消え去ったらしい。スマートフォンも通じないらしかった。

「うちのお父さんも営業なんだよな」

 ふだん、トヨタ・プロボックスで県内外を駆け回っている父を思い浮かべ、凛花は微かに不安を覚えた。外崎さんもスマホを覗き込んで、怪訝そうに首をかしげた。

「今まで行方不明になってる人達って、なにか繋がりあるのかな」

「ないんじゃない?ユーチューバーに営業のおじさん、農家のおじいちゃんに、インプレッサのお兄さんに、バイクのお兄さんに……」

 世代も性別もバラバラだった。だが、凛花はひとつの共通点に気がついた。

「全員、車やバイクに乗ってるね」

「ユーチューバーも?」

「あの人達は、車で全国の自然公園だとかを巡ってるでしょ」

 ひとつの共通点に気付いたところで、凛花はSNSを開いてみた。何か、目撃情報などが上がっていないかを調べるためだ。すると、外崎さんが食いついてきた。

「あっ、白山姫さんツイッターやってるんだ。フォローさせて」

「どうぞ」

 ちなみにアカウント名は『かりん』である。外崎さんのアカウント『まいまい』からのフォロー通知が届いた。

 地域の話題を検索してみるものの、それらしい情報はない。だいたいは桜の話題で埋め尽くされている。もう散ってしまった木とか、山の上でようやく咲き始めた木とか、こんなところに桜があったなんて今年初めて知った、とか。

「へえ、神森遺跡の近くに桜なんてあったんだ」

 それは巌鬼山の麓にある、三千年ほど昔の環状列石で有名な遺跡だった。投稿記事によるとその遺跡は、件の行方不明のユーチューバー達が最後に撮影を行った場所らしい。

 そして次の瞬間、スクロールして現れたその記事への返信に、凛花は慄然とした。


『昔その遺跡近くのお堂みたいなところで、野外ライブやったの思い出しました。懐かしいです』


 遺跡近くのお堂。その文字列に、凛花はなぜか肌が粟立つのを感じた。そして、昨日凛花の頭上に現れた白い龍神の言葉を、凛花はハッキリと思い出した。あの白龍は、凛花にこう告げたのだ。


『龍の声に従いて古の社を訪ねよ』


 と。


 遺跡近くのお堂、というのはなんだかニュアンスが違う気もするが、凛花には白龍が告げた、古の社のイメージが重なった。木々の間にひっそりと建つ、古い社。それがどこにあるのかは知らないし、本当にあるのかもわからないが。

 だが、どうして凛花がそこに行かなくてはならないのか。行ったら何がどうなると言うのか。白龍は何のために、凛花の前に現れたのか。そして、行かなかったらどうなるのか。

 そんなことを考えながら、さらにスクロールしていくと、市内か近辺のアカウントの、奇妙な書き込みが数件あることに気付いた。


『なんか地鳴りみたいな音したけど、あれ何?』

『低い音が響いてきて、絶対地震だと思ったけど、何も揺れてない。耳鼻科行ったほうがいいのかな』

『地面から唸り声聞こえてきて、でかい犬でもいるのかと思ってびびったけど何もなかった』


 こんな内容の書き込みを、複数のアカウントが投稿しているのだ。日付はだいたい二日前から今日にかけてだ。そのうち何件かは、音を聞いたという場所の写真まで載せていたのだが、その全てに共通する、あるものに凛花の視線は釘付けになった。何かというと、一連の投稿写真の撮影場所、それは畑の脇の空き地だったり、道路端だったり様々なのだが、その風景の奥には、同じ角度から写った巌鬼山がそびえているのだ。

 巌鬼山は、氷露咲公園から見ると綺麗な三叉の形をしているが、ちょっと場所が移ると、同じ山なのかと思うほどに形が変わる。いま見ている投稿写真の巌鬼山は、山頂の三叉部分がほぼ一体化しかけている角度だった。少なくともこの写真を投稿した人たちは、おそらくひとつの直線上の土地で、謎の低音を聞いたということになる。

 

 行方不明の多発、謎の音、凜花の前に現れた白い龍神。奇妙な事が同時に起きて、これらの点と点は線でつながるのか、まったく関係がないのか、ひとりの少女にはわかる筈もなかった。


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