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第四編『残桜』/第五章「夜の追憶、風化する教室」

あの頃、あの校舎の端で、あの娘は、どんな顔をしていただろう。そんなことを思い、気づけば十二年前のあの冬だった。



校舎の端で一人、絵を描いている朝川さんがいた。かける言葉がわからなくて絵を覗く。それは、空を舞い踊るように飛んでいる少女の絵だった。すごく綺麗な絵だった。でもやっぱり、申し訳なくて仕方がなかった。ひたすらに申し訳なかった。その絵が、あの自殺旅行の先に見据えていた彼女の望む未来なのだと、そうわかったから。彼女の夢の行く末なのだと、わかったから。

少しして彼女は俺に気づき、いつものように笑った。すっかりいつもの彼女だった。だからこそ、彼女の抱えている、俺が抱えさせたその感情が、わからなかった。


三学期に入ってすぐの頃、気まぐれのように雪が降り、そして積もった。いつもの校舎の端で俺と彼女は二人、真っ白にコーティングされた校舎を眺めていた。彼女は「積もったね」なんて白い息を吐く。そして俺を見上げ、銀世界の中で幼女のように無邪気に笑った。あの日のような光景に少し戸惑いつつも、俺はその彼女の姿を、そのもうすぐ見れなくなる彼女の姿を、少女である彼女の姿を、ただ目に焼き付けた。


二月十四日。休憩時間。卒業をもうそこに控えた俺と彼女は、相変わらずいつもの校舎の端にいた。そうして「はいこれ、バレンタイン」と言って朝川さんが紙袋を渡してきたのだが、俺は勃起していて、バレぬよう、前屈みになりながらそれを受け取る。勃起しながら受け取ってしまったことに複雑な感情を抱きながらも、その手作りの小さなハート型のクッキーを口に運び、少し不安そうな顔をしていた彼女に「めっちゃおいしい」と正直に告げた。すると彼女はその白く綺麗な顔で、満開の桜のように綺麗で可愛らしく微笑んだ。春はもうすぐそこで、でもその春を迎える前に彼女とはお別れなのだ。

そのクッキーの深い香りとほろ苦い味はなにか“大人”といった雰囲気で、十七歳の俺になにか“青春の終わり”を感じさせた。そうして俺はこの時間が永遠に続くことを願った。もうあまり長く続かないとわかっていたから。


放課後に忍び込んだ音楽室。何気なくピアノのイスに座っては、華麗な指さばきで遊ぶようにピアノを鳴らす。その彼女の様が美しかった。

もはや永遠に続くのではないかと思っていた、永遠に続いてくれと願ってすらいた、それでも勿論いずれは終わるとわかっていたその青春という名モラトリアムまたはモラトリアムという名の青春の日々がいよいよ着実と終わっていっていた。終わりはもうすぐそこだった。


三月。ついに卒業を数日後に控えた俺と朝川さんは相変わらずいつもの校舎の端にいた。そうしていつも通りたわいもない話をしていた。彼女はいつもの調子で「そういえばもうすぐ誕生日じゃん!おめでとう」と言い、俺が礼を言うと、彼女は「そうかー、君もようやく十八歳かー」なんてふざけて言って、なにか得意げに笑った。そして俺も笑いながら「そっちももうすぐじゃん、おめでとう」と返すと、彼女は「確かに、四月生まれだからね」と言って笑ったのち、「そうかー、私はもう十九歳かー」と言ってまたさらに笑った。

そしてそれから沈黙が流れ、少しして朝川さんがスカートの端を指で触りながら、「もう卒業だね」と言った。俺はスカートの端を触るその彼女の細い指を意味もなく目で追いながら頷いた。卒業したらもう、彼女とは一生会うことはないのだろうと、ずっとなんとなくわかっていた。俺と彼女の関係はあくまで休憩時間にこの校舎の端で話すだけの関係で、もうそれ以上でもそれ以下でもない。そしてこの距離感でなければならないこともまた事実であった。だから学校の休憩時間というものがなくなれば、卒業してここに来ることがなくなれば、俺と彼女の関係はそれでおしまいなのだ。卒業したら俺と彼女はずっとお別れなのだ。

じきにまた彼女が遠くを見つめながら口を開く。

「私ね、ちゃんと生きてみようと思う。納得のいく人生を目指して」

“ちゃんと生きてみようと思う“という言葉に少し嬉しさのようなものを感じつつも、なんだかなんとも言えない気持ちになって、そうしているうちに今度は”納得のいく人生“という言葉が目前に浮かび、それはどんなものなのだろうと少し考えて、よくわからなくて、一つ短い風が過ぎ、彼女が我が胸に言葉を送る。

「ごめんね。ごめん。でも本当に、本当にありがとね」

俺は泣きそうになった。でも堪えて、俺も彼女に言う。

「ありがとう。ごめん。本当にありがとう」

そうして俺と朝川さんは見つめ合い、いつものように笑った。

彼女のその笑顔は本当に頭を抱えてしまうほど可憐で、俺は寂しさや切なさやらでまた泣いてしまいそうになりながらも、彼女に出会えてよかったなと心から思った。そして今後の彼女の人生が良い方向にゆき、幸せになれますようにと、そう心から願った。

俺は結局、彼女のことをなにも知らなかった。所詮僕らの関係はそれくらいのもので、でもそれくらいのものがなによりも大事に思えた。

じきに僕らは卒業し、地を去り、あの校舎の端に人はいなくなり、思い出を胸に残して最後の冬は去っていった。彼女のその白い肌は冬によく似合っていた。

厳冬の中には冬化粧を纏う朝川さんがいた。そしてそんなまるでパッと消えていってしまいそうな彼女の姿を、ただ見つめるだけの僕がいた。


真っ暗で短いその髪を、最後の春風に靡かせる彼女がいた。

川面に浮かぶ無数の花びらは上流に咲く桜の様を物語り、僕らは少し早歩きになった。

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