第三編『夢の行く末』/第四章(最終章)「福後 信二」
あれから数日が経った。仕事で使う資料をまとめ終え、他に予定もないからと、怠惰で潰す休日の午前。自室でデスクに座ったまま、呆気なく終わった絵画探索に思いを馳せる。ずっと知りたかった絵画の詳細とその作者について、少しは知ることができたが、結局少し止まりに終わってしまった。はたしてこの取材には意味があったのか。人生において意味のない時間など腐るほどあるとわかってはいるけれど、私はどうしてもそんなことを考えてしまう。
私はこの取材を通してなにを得たのか。なにを見たのか。歌井さん、井本、春林さん、西森さん、芝さん、それはどれも私のなれなかった姿だった。ならば私はなにになれるのか。
そんなどうしようもなく思えることを考えながら隣の窓を見やると、春の午前に薄く私の姿が映る。少し垂れ目で名称すらなさげな無難な髪型をし、客観的に見て特にカッコ良くもカッコ悪くもない中肉中背の男がそこにいた。内面に目を向けれど、少し卑屈ではありつつも特筆すべきほどではなく、人当たりは悪くないだろうが、かと言って清い心があるわけではなく、頭も悪くはないが特別良いというほどではなく、仕事もできなくはないが特別できるわけではなく、唯一、人からよく真面目だとは言われるが、これまた特別そうというほどではなく、友達も多くはないが普通にいるし、恋人も今はいないうえに交際経験も少ない方だとは思うが普通にいたし、良くも悪くもどこまでも“普通”な男がそこにいた。こんな私にできることなど、あるのだろうか。
そうして薄い自分の姿を見ながら取材の録音を聴き返していると、芝さんの取材の様子が流れた。そして取材後の雑談中にくださった言葉が耳に入り込む。私は改めて考える。井本と共に『とりめし』というコンビで活動したあの時間も、その前に大学の友人と『親ネットワーク』という変な名前のコンビで少しだけ活動したあの時間も、本当に無意味ではなかったのだろうか。もし本当にそうなのだとしたならば、私は無意味に思えるあの時間で、なにを得たのか。私の夢の行く末には、なにが残ったのか。そしてこれから私になにができるのか。こんな普通な私になにかできることはあるのか。私は改めて考えた。
かつての夢を追った日々と今回の取材を通じて私が改めて知ったこと、それは自分が“普通”だということだった。それがあの日々を経て得た数少ないものだった。正直に言えばそんなこと、別に知りたくはなかったし、それを知ったことも含めて全て無駄だったと、そう思っていた。しかし、そうではないのかもしれない。特別な人間ではないからこそ、こんな普通な私だからこそ、できることがあり、わかる人の気持ちがあり、書ける記事や文章があるのかもしれない。あの日々は実際ほとんど無駄だった。それは変わらない。しかし、なにもかも全てが無駄だったというわけではなかった。私は過去や無力さに囚われて、そんな簡単なことにさえ気づけていなかったのだ。
しかし、私は今ようやく、その答えを見つけることができた。それが大事で、それでいいんだ。
窓に映る薄い自分の姿からその背景たる窓外の春にフォーカスを移し、その様を眺めていると、パソコンに一つの通知が届いた。確認するとそれは竹野さんからのメッセージだった。芝さん経由での朝川さんからのメッセージが届いた際に、竹野さんには事情を説明して取材が終わったことをお礼と共に伝え、既にやり取りも終わっていたので、どういう要件だろうかと不思議に思いながらメッセージを開くと、そこには、出張から帰宅して自宅にある朝川さん作の絵画の写真を撮れたことが書かれており、続けて「妹に確認してみたら見せても大丈夫ってことだったのでいくつかお送りさせていただきます。最初の二枚は妹が僕に描いてくれた絵で、家に飾ってあるものです。それ以外は妹が僕の家に来た際に持ってきて忘れていき、僕が預かってあるスケッチブックの絵です。後者は高校時代に描いたものもあるみたいです。」という文章と共に、いくつかの絵画の写真が添付されていた。それはどれも『夢の行く末』同様すごく魅力的な作品ばかりで、私は一枚一枚に見惚れていた。すると最後に一つ、『夢の行く末』と同じように一際引き込まれる作品があった。それは穏やかで綺麗な川を描いた絵で、絵の下には『学校近くの川』という文字が書かれていた。
そうしてその絵にひたすら見惚れていると、いつの間にか私はその川にいた。ふと空を見上げるとそこにはあの美しいパステルカラーが広がっており、なにか清々しさを感じて深呼吸をすると春の空気が肺を満たした。前を向くとそこには川に沿ってひたすらまっすぐな道が続いており、その道を歩きながら側の川を見下ろすとそこには綺麗な白い粒が流れていた。川面に浮かぶ無数の花びらは上流に咲く桜の年輪を物語り、私は少し早歩きになった。




