第三編『夢の行く末』/第三章「芝 一郎」
「二十歳くらいの頃、当時東京に住んでたんですけど、ちょっとした用事でこっちへ帰ってきたんですよ。それで用事ついでに久しぶりに高校時代の友達と遊んだんですけど、流れでちょっと母校に行ってみようぜって話になって、卒業以来に母校であるその高校に行ったんですよ。それで廊下を歩いてたら、保健室の入口横の壁にこの絵が額縁に入れて掛けられて飾ってあって、前に文化祭の展示とかでさくらの絵を見たことあったんで、すぐにさくらの描いたやつじゃないかなって思って、実際さくらに連絡して訊いてみたらやっぱりそうで、あいつ身体があんまり強くないんで高校時代よく保健室に行ってたんですけど、それもあって保健室の先生とすごい仲良かったみたいで、卒業する時にその先生に似顔絵をプレゼントしたらしいんですけど、その似顔絵ともう一枚、自分のスケッチブックを先生に見せて好きな絵を一枚選んでもらって、それもプレゼントしたらしくて、それがこの『夢の行く末』っていう絵だったみたいなんですよ。卒業前あたりに描いた絵らしくて、ただ、詳しくは訊かなかったんですけど、本人的にはなんか複雑な絵みたいで、“描くべきじゃなかったのかもしれない絵”とか、なんかそんなこと言ってましたね」
「“描くべきじゃなかったのかもしれない絵”?」
「はい。正直僕もよくわかんないですし、本人があんまり話せないって言ってたんでそれ以上は訊いてないんですけど、...あ、あとなんか...”こんな思いを持っていたからある人に迷惑をかけちゃった“とか、そんなことも言ってましたね」
「...なるほど、ありがとうございます。...とりあえず少し話戻しますけど、高校の保健室の入口横に飾られてあったっていう話でしたけど、ということはもしかしたらこの絵ってまだその場所にありそうですかね?」
「いやー高校にはもうしばらく行ってないんでわからないですね。ただ、その保健室の先生、確かご結婚されたみたいなんで、もしかしたらそれと同時にもう退職されてるかもしれないですし、そうでなくとも転勤されてたりするかもしれないんで、まだ学校にある可能性は低いんじゃないですかね」
「そうですか。それと、朝川さくらさんは、なにか絵などのお仕事をされていたりするんでしょうか?」
「いやしてないと思いますね。よく会いますけど、そういう話は聞いたことないんで」
「あ、今でもお会いになられてるんですか?」
「はい。卒業してからは僕が役者やるために東京行ったり、何年かしてこっちへ帰ってきてからも、ちょっと僕が調子悪くてひきこもり気味になっちゃったり、逆に向こうが精神的に結構調子悪い時期があったりで、たまに連絡取るくらいで結構長いこと会ってなかったんですけど、ここ最近は向こうの調子も良くなってきたっていうのもあって割とよく会ってますね」
そこまで芝さんの話を聞いて私は絵画の作者に対して、「本当にいるんだ」と、そんなことを思った。というのも、私は何故か、もしかしたらこの絵画の作者はもうこの世にいないのではないか、そんなことを勝手に少しだけ思っていたからだ。
そうして芝さんへの取材を進めていったが、芝さんも絵画についてはそれ以上知らないらしかった。しかしながら、現在でもよく会う間柄ということもあり、作者である朝川さんの連絡先を知っているとのことだったので、本人に確認を取って連絡先を教えていただきたいと申し出ると、芝さんは「あいつ基本的にメッセージの通知切ってるんで、もしかしたら返信二、三日後とかになっちゃうんですけど、電話だったらすぐ出ると思うんで、もし急ぎだったら電話しましょうか?」と言ってくださったが、急ぐ必要もないのでメッセージを送っていただいて待たせていただくことにした。すると芝さんは早速朝川さんへ確認のメッセージを送ってくださり、さらに「あ、僕さくらのお兄さんとも仲良いんですけど、お兄さんなら多分今日中に連絡返ってくると思うんで、一応なにか知ってるか訊いてみましょうか?」と言ってくださったので、正直もう作者本人に繋がれそうなので必要があるかはわからなかったが、一応お願いさせていただいた。
そうして取材を終えてお礼を言おうとしたとき、少しばかり無言の間が空いてしまったのを気づかってなのか、芝さんが「福後さんって記者になられてもう長いんですか?」と問いかけてきたので、「いや、まだ数年なんで、まあ長いってほどではないですね」と私が答えると、続けて「その前はなにかやられてたんですか?」と質問してきたので、少しばかり言うか迷ったのち、「実はちょっとお笑い芸人をやってたんですよ。もう本当に全く芽が出なかったんで、数年で折れて辞めちゃったんですけど」と答えると、芝さんは少し驚き、それから雑談がてら、少しだけお互いのかつての夢の話をした。そして話の流れで私が「言いにくかったら全然大丈夫なんですけど、芝さんはなんで役者をお辞めになったんですか?」と尋ねると芝さんは、「あーまあきっかけは体調崩したことですね。上京してから結構精神的にしんどい時期が多くて、まあギリギリバイトもできるくらいでしたしなんとかやってたんですけど、段々それが悪化してきちゃって、とりあえず一回だけ休んでまた仕切り直そうって思って、幸い帰れる実家もあったんで、あくまで“一旦”のつもりでこっちへ帰ってきたんですよ。だから最初は全く辞めるつもりなんてなくて、そのうち再上京しようとも思ってたんですけど、そこからまた調子悪くなっちゃってひきこもり気味になっちゃったり、ひきこもりながら色々将来について改めて考えたり、そんなことしてるうちになんとなく諦めがついて、そのままこっちで普通に働いて生きていくことにした感じですね」と話してくださった。そこで私が「こんなこと訊くの申し訳ないんですけど、僕もかつて夢を追ってた人間なんで、単純に思いを知りたくて訊くんですが、その選択に後悔とかってありますか?」と訊くと、芝さんはすぐに「後悔はないですね。悔しさはちょっとありますけど、でも一応、まあやり切ったとまでは言えないかもしれないですけど、夢に対して最低限のやれることはちゃんとやったつもりなんで、それで駄目だったんだからまあしょうがないよなって感じですね」と即答してきて、それに私が「それだけしっかり夢に向き合えてたってことですかね?」と尋ねると芝さんは少し考えたのち、「まあそうだと思いますね。当時は必死だったんで、良くも悪くも自分に厳しくて、もっと頑張らなきゃもっと頑張らなきゃって感じに思ってましたけど、今過去の自分を客観的に振り返ってみると、ちゃんと頑張ってたなって、まあたまにサボったりしちゃってるときもあったとは思うけど、でもちゃんと努力してたなって、やれることはちゃんとやったなって、そうしっかりと思えるんで、そういうことだと思います」とおっしゃり、私は純粋に「この人はすごいな」と、そう思った。
そうして話しながら少しばかり自分のかつての夢と心中で対峙していると、芝さんが「福後さんは芸人を辞めたことに後悔があるんですか?」と訊いてきたので、私は改めてしっかり考えたのち、「多分後悔はあんまりないと思うんですけど、でもなんか未だにもやもやしてる部分があって、ていうのも正直僕は芝さんと違ってほとんど頑張りもせずに中途半端に辞めちゃった人間なんで、努力とかそういうものから学びとったこともないし、思い出っていうほどのこともないし、なんかいつも、あの日々ってなんの意味があったんだろうって、無駄だったのかなって、そんなこと思っちゃうんですよね。そんなこと考えても意味ないんですけど」と正直に答えた。すると少しして芝さんは「無駄じゃなかったと思いますよ」と言い、続けて、「できなかったことから学べることっていっぱいあると思うんです。自分にはこれができなかったから逆にこれはできるかもなとか、あとはそれを経て自分はこういう人間なのかもなとか、大なり小なり絶対なにかはあって、それがいつかは役に立つときが来ると思うんです。もしかしたらそれは使った時間に比べれば大したことないようなものだったりするかもしれないですけど、でも少なくとも、完全に無駄ってことは絶対にないと思います」と言ってくださった。それは私に気遣って言ってくださった言葉だったのかもしれないけれど、改めて人に言われることなんてなかったし、私はその言葉に少し救われた。
そうして話していると早くも芝さんのもとに朝川さんのお兄さんからメッセージの返信が届いたようで、件の絵画を見たことがあるかは記憶が定かではないが、もしかしたらお力になれるかもしれないとのことだったので、芝さんから朝川さんのお兄さんである、竹野剛さんという方の連絡先を教えていただいた。そうして朝川さんからの返信が届き次第またメッセージを送るというお約束を芝さんからいただき、リモート通話を終了した。
通話の終わり際、私が様々なご協力をしていただいたことに対しお礼を言わせていただくと、芝さんは「全然全然」と少し笑った。そして「そういえば西森元気でした?」と尋ねてきたので、「あーまあリモートでお話しさせていただいただけなんであれですけど、お元気だと思いますよ」と言うと芝さんは、「よかった」と少し微笑んだ後、「たまには会いに行ってみるかな」と呟いていた。
その後、竹野さんからメッセージが届き、朝川さんの描いた絵をいくつか持っている為、もしかしたらその中にその絵画があるかもしれないとのことだったが、仕事で数日間遠方にいる為、帰って確認でき次第、またご連絡をくださるとのことだった。さらに、「ややこしくて申し訳ないんで、一応説明させていただくと」との前置きのうえ、妹である朝川さんと名字が異なることに関しては両親が離婚しているからだということも自ら説明してくださった。
そうして少しが経ち、ついに絵画の作者本人にお話を伺えると思っていた矢先、芝さんから「さくらから返信が届いたんですが、件の絵画については色々話せない事情があるみたいで、取材をお受けすることはできないみたいです。何度か説得してみたんですけど、本当にすみません」というメッセージが届いた。目標を目前に突然として訪れたその終わりに私は愕然とするばかりであったが、事情があるからにはこれ以上踏み込むわけにもいかない為、ご協力いただいた芝さんに改めてお礼を申し上げたのち、朝川さんに対してお詫びとお礼を伝言しておいていただきたいとお願いをさせていただいた。すると少ししてまた芝さんからのメッセージが届いた。そのメッセージには、「さくらからの伝言です」という芝さんからの前置きのもと、朝川さん本人からの言葉が書かれており、そこには、取材を受けることができず申し訳ないということや、絵を描くことはあくまで趣味であり、今後も絵描きなどの活動をする予定は今のところないということなどが綴られており、最後には「詳細には話せないのですが」という前置きと共にこう書かれていた。
「『夢の行く末』は、色々なことがあって、私自身が色々なことをしてしまって、駄目なことをしてしまって、大事な人を傷つけてしまって、そんな経験があって色々な感情を込めて描いた作品で、私としては、描くべきじゃなかったのかもしれないとも思っている、私にとって罪のような作品でもあります。私の犯した罪やこの絵を描いたという罪が許されることは今後もなにがあってもありません。それでも、この作品からなにかを感じていただけたのであれば、この作品を描いた意味はあったのかもしれないなと思います。私は改めて今後もこの罪をしっかりと背負って生きていきます。私の作品に出会ってくださり、本当にありがとうございました」




