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第三編『夢の行く末』/第一章「歌井 六九(うたい ろく)/井本 滋洋(いもと しげひろ)」

パステルカラーの空に浮かぶ私の周りを見知らぬ少女が舞い踊るようにして飛び回る。私は少女に道を尋ね、しかしながら彼女は言葉を持たぬのかこちらに微笑みかけてくるばかりで、じきに彼女はそのまま空の霞に消える。するといつの間にか辺りは暗くなり、私は途方に暮れながらも不安定な足取りで少女の痕跡を辿り始める。なかなか白まぬ濃紺の夜空を長い間歩み続けていると、ふいに自分が地上にいることに気づく。そうして地についた足を見やったのち、顔を上げるといつの間にか朝になっており、上空を見上げると視界いっぱいにあのパステルカラーが映り、その中であの少女は相変わらず飛び回っていた。ふいに彼女がこちらを見下ろしているように見え、私は彼女になにかを語りかけようとしたが、やがて彼女は再び空の霞になった。彼女がどのような表情をしていたのか、私には見えなかった。



二〇三一年春


私がその絵画と出会ったのはもう数年前のことになる。ドラマチックでもなんでもない現代では至極ありふれた出会い方だったのもあり、もう詳細には覚えていないが、たしか仕事で扱うものをインターネットで調べていたときに、なにかの画像の関連画像としてその絵画が表示されたのだったと記憶している。

はじめてその絵画を目にした瞬間の感情をどう言い表せばいいのか私にはわからない。衝撃とは違い、感動ではあるようで、しかしながらその一言で片付けられる感情ではなかった。とにかく、私はその空を舞い踊るように飛んでいる少女が描かれた絵画にひたすら魅了されたのだ。サブカルチャーなどを扱う雑誌の記者という私の職業柄、多少ながら絵画やイラストなどに触れる機会はあったものの、芸術というものに関してはそもそもほとんど知識がないし、このような感情を抱いたのは間違いなく人生ではじめてのことだった。

そうして私はどうしてもその絵画が何者なのか気になり、その絵画の画像が掲載されているページを開いてみると、そのサイトは街やインターネット上で見かけた絵を転載しているだけの、おそらく誰かが自分用に保存するついでに掲載しているだけのサイトのようで、一部の作品を除き、ほとんどのものにはその作品の詳細と言えるものが記載されていなかった。例に漏れず私の見つけたその絵画も何処の誰が描いた作品なのかという情報は一切記載されておらず、そこにはただ、『夢の行く末』というその絵画のタイトルであろうものしか記されていなかった。

なにか手掛かりがないかと先程の絵画を画像検索にかけて類似画像を探してみると、見た目が似通っただけのまるで関係のない様々なものが表示されている中に、一枚だけその絵画と全く同じタッチで描かれた、同じ作者のものであろう別の絵画が表示されていた。そうしてその絵画が掲載されているページを開くと、そこにはある高等学校の名前が記されており、どうやらその絵画はその高校に所属している、もしくは所属していた生徒が描いたものらしかった。しかしながらこちらにも作者の名前は記されておらず、先程のサイトやこちらのサイトに問い合わせてみようかとも思ったが、そもそもサイト上に問い合わせフォームなるものもなく、私は少々の悶々とした気持ちを抱えながらも探訪を終えた。

しかしそれからというもの、時折唐突に思い出しては絵画のことをインターネットで調べ始め、しかしながらまるで得られる情報もなく、その都度諦めながらも少ししてはまた同様というのを何度も繰り返し、時には前述のサイトに記載されていた高校にメールで尋ねてみたり、仕舞いにはインターネットでは無理だと、芸術などに興味を持っている友人に尋ねてみたりと、私は自分でも不思議なほどにその絵画に執着しており、気づけば友人や知人に会う度にその絵画について尋ねてみるというのがもはや習慣化していた。とにかくその絵画の作者が知りたく、さらにはその絵画についてのあらゆることが知りたかった。しかしながらどれも空振りに終わり、偶然インターネットで見かけた絵画のことを知っている人などそうそういるはずもなく、ほとんど諦めながらも、新しく知り合って親しくなった仕事関係の人や、久しぶりに再会する友人などに念の為尋ねてみるというのを低頻度ながら続けていた。

そうして数年が経ち、さすがにその絵画のこともほとんど考えなくなっていた頃、私が記者になる前から親交のある歌井(うたい)さんという先輩と久しぶりに再会した。

歌井さんはアーティストとして活動している方で、『HORN(ホーン) BRACES(ブレイシーズ)』というバンドでボーカルを務めており、私がそのバンドのファンであったことから少しずつ交流が深まり、いつの間にかよく飲みに行く関係になっていた。昔は少なくとも二ヶ月に一度は飲みに連れて行ってもらっていたが、お互い忙しくなったこともあり、電子上でのやり取りは時折交わしていたものの、会ったのは数年ぶりだった。

新宿の居酒屋でテーブルの対岸に座り、「信二(しんじ)、お前はいつも真面目すぎんだよ」と少し芝居がかった口調で私の名前を呼びながら笑う歌井さんの姿はあの頃とそう変わっておらず、だから私もほとんどあの頃のままだったと思う。

そうしてしばらく近況報告やなんのためにもならないような話に花を咲かせながら飲み続けたのち、ふとあの絵画のことを思い出し、一応尋ねておこうかと、歌井さんに携帯で絵画の画像を見せながら知っているかどうかを尋ねてみたが、「俺絵とか全然わかんねえからさ」とやはり知らないようだった。しかし、私が諦めながら「なんか◯◯高校ってとこの生徒が書いたっぽいんですけど、全然詳細がなくて」と呟くと歌井さんは、「◯◯?んーなんか聞いたことある気ぃするけど、なんだっけ」と言い始め、私が思わず「えっ」と声を漏らした直後、歌井さんは「あれだ!モモネだ!」となにかを思い出したようで、続けて私の目を見ながら「モモネ!」とよくわからないことを言ってきた。そして私が首を傾げると歌井さんはなにかに気づいたようで、「あそっか、お前知らねえか。あのーライブの音響やってる知り合いでモモネって奴がいてさ、俺らのライブとかもたまに色々やってもらってんだけど、そのモモネがたしか◯◯高校ってとこ出身とか言ってた気ぃするわ」と思わぬ情報を提示してきた。歌井さんは交友関係が広いし、冷静になって考えると別にないこともないくらいのことではあったが、これまで何一つと言っていいほど絵画にまつわる情報を得られてこなかった私にはそれがもはや“奇跡”くらいに感じた。

そうして色々と話を伺っていくと、歌井さんの知り合いだというその『モモネ』こと『春林(はるばやし) 桃音(ももね)』さんという女性は、私と同じ二十九歳で、私の追い求めているあの絵画の作者がおそらく在籍していたであろう高校の元生徒だということであった。なので私はわがままながらその方にこの絵画のことを尋ねてほしいとお願いすると、歌井さんはすぐにメッセージで絵画の画像と詳細を送って尋ねてくれた。

そうしてそれから返信を待つがてらまた少し飲んでいると、歌井さんに返信が届き、なんとその春林さんはその絵画自体は知らないものの、画風から作者に心当たりがあるかもしれないということらしく、なので私が以前その絵画に出会った時に画像検索を用いてみつけた同じ作者のものであろうもう一枚の絵画の画像を歌井さんに送ってもらうと、なんと春林さんはそのもう一枚の絵画を高校時代に見たことがあり、その絵画の作者は当時の部活の後輩だということだった。こればかりは今度こそ本当に“奇跡”で、私は驚きのあまり「えっ」と太い声を出して固まり、それを見て歌井さんは笑っていた。

そうしてその後歌井さんから春林さんにメッセージで事情を話してもらい、私がその絵画や作者のことについて伺いたいと言っていると伝えてもらうと、「お力になれるかわかりませんが、明日であればリモートでお話できます」とのことで、歌井さんから連絡先を教えていただき、改めて春林さんにメッセージでご挨拶とお礼を申し上げ、リモートでお話を伺わせていただけることが決まった。


そうしてその後も少しばかり歌井さんと楽しく話したのち、居酒屋を出て歌井さんとは解散した。会計で財布を出そうとする私をすぐに制してお金を払ってくれる歌井さんの姿も、「じゃあまたな!信二!」と天に手を振り上げて笑顔で言う歌井さんの姿も、やっぱりあの頃のままで、あの人はこれからも夢を追ってずっとまっすぐに音楽を続けていくのだろうなと勝手ながら思い、今日の出来事についての感謝と彼への敬意を込め、去り行く歌井さんの背に深々と頭を下げた。

その帰り道、ふと見覚えのあるやや小柄で坊主頭の男が目に入った。それは私がかつてお笑い芸人として活動していた時の相方で、今は『どてら』という名前でインターネット配信者として活動している、井本(いもと)という男だった。私が彼を見ているとやがて彼もこちらの視線に気づいたようで、なにか訝しげにこちらを睨みつけながら私の前までやってきて、そこでようやく視線を送る謎の男が私だと気がついたようで、「ああお前か」と吐き捨てるように言って目線を逸らした。私が「久しぶり」と声をかけると、井本はぶっきらぼうに「うん」とだけ言いながらこちらに背を向けて再び歩き始めたかと思うと、踵を返して「あ、金貸してくんない?」と言ってきた。私が思わず「え?」と漏らすと、「金、今月配信の収入あんまなかったんだよ」とまたおおよそお金を借りようとしている人とは思えないような態度で吐き捨ててきて、しかしながらあの頃からなにも変わらぬ井本のその様になにか懐かしさを感じていた。ただ、彼が借りた金を容易に返すような人間でないことは重々承知なので、「いや金はちょっと」と断ると、井本は「ん」と溜め息を吐くように言って再度踵を返して歩き始めた。その背中を見ながら、一応彼にも訊いておこうかと思い声をかけると、井本は眉を顰めながら「なに?」と言って振り返った。私が「一個訊きたいことあるんだけど」と言うと、井本は鬱陶しそうに溜め息を吐いたのち、なにか思いついたように「あ、じゃあ金貸して。質問答えるから、金」と返答してきた。私は心中で「いやそれは...」と思いながらも、一応「いくら?」と訊くと井本は、まさかこちらが話に乗ってくるとは思っていなかったようで、少しばかり動揺を見せながらも「じゃあ一万」と提示してきた。私はさすがにそんなに払ってまでするような質問なわけがないなと思い、「じゃあまあ大丈夫、ごめん、足止めさせて」と返すと、井本も一旦は納得したものの、やがて「じゃあ五千は?」と言いだし、私がもう一度「いやごめん、どうせ大した質問じゃないし、もう大丈夫」と返すと、またも金額を下げて交渉をしてきて、それが何度か続いたのち、最終的に井本は「...じゃあ千円」となにか焦るように言ってきて、面倒臭かったのもあって私が「...んまあ千円ならいいよ」と返すと、井本は少しホッとしたように「おお」と息を吐いた。よっぽど金に困っているのであろうその様子があの頃のままで、またなにか懐かしく感じていると、井本が眉を顰めながら「で、なに?」と尋ねてきたので、私が急いで携帯であの絵画の画像を開き、「この絵見たことある?」と尋ねると、井本は携帯の画面を見てすぐに「いや」と首を振る。高校名に関しても尋ねたが心当たりがないようで同様の反応を示したのち、依然鬱陶しそうに「もういい?」と言ってきたので、私は頷き、財布から千円を取り出すと、井本はまた「ん」とだけ言ってそれを受け取り、その千円札をスキニージーンズのポケットにくしゃくしゃにしてねじ込み、そのまま再びこちらに背を向けて去って行った。アレが私のもとに帰ってくることはもうないのだろう。あまりにも無駄な出費に終わったが、高収入には程遠かれど、アルバイトのみで生計を立てていたお笑い芸人時代に比べれば収入が増えて安定している現在の私にとって、一度きりの千円など後悔に値するほどのものではなかった。やはり私はもう、あの頃とは変わっているはずなのだ。


私が井本と共にお笑い芸人として夢を追っていた日々について、ここでわざわざ語るつもりはない。私が夢を諦めた理由も、ただ普通に私に才能がなく、ただ普通に心が折れたという、それだけのごくありふれた語るに足らぬものだ。私はただひたすらに普通だった。私のあの夢を追いかけた数年間に特筆すべきことなどなにもないのだ。

しかしながらそんな私には、あの夢を諦めてから今に至るまで、一向に答えの見つからぬことがある。それは、自分がなんの才能もないあまりに普通の人間だとわかったうえで、夢を諦めて捨てたうえで、生きがいもなにもないこの状態で、私はいったいなんのためにどう生きていけばいいのか、というこれまたありふれた疑問に対する答えである。十代の若者みたいな悩みだなと自分でも思う。しかしどうしても考えてしまうのだ。雑誌の記者という現在の仕事に不満があるわけではない。やりがいだって感じるときもある。しかしながら人生の意味という大きなものには未だ成り得ていないのもまた事実なのだ。

そしてもう一つ問題がある。私は未だに、あの夢とあの日々が無駄であったと受け入れることができないでいるのだ。少しも上手くいくことなく、なんの記録にも、そしておそらく誰の記憶にも残ることができなかったということは諦めという形でなんとか受け入れられても、夢を追いかけたあの数年間が、自分にとっても真に無意味だったのかもしれないということが、どうしてもギリギリのところで受け入れられないでいる。生きていればそういうことだってあるし、損切りという重要な考え方からすれば、こんなこと、わざわざ考える必要などないのだともわかっている。それこそ井本のように生きてゆくべきだとも思う。彼はこんな無駄なこと、これっぽっちも考えずに生きていっているだろう。数年間隣にいた身として、なんとなくそうわかる。別にそれでいいのだ。むしろきっとその方がいいのだ。しかしそうわかったうえで、夢破れたあの日からずっと、砂嵐が脳内で渦巻いては騒がしい。

私はあの日々とこの人生に、ただ意味が欲しい。

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