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未来方程式  作者: 銀嶺浜
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未来と今日

「あの壁の向こう側に行きたい」


 この気持ちは私の心の中で真っ赤に染み付いていた。忘れたくてもふとした時に目立つシャツの汚れみたいに胸の中で主張してくる。四方を『壁』に囲まれたこの世界の、さらにその向こう側に行きたいという情熱が私にはあった。初めて『壁』を見た時にごく自然とそう思った。そう思い焦がれ続けている。『壁』とは超えるべきものなのだから。「向こう側には何があるんだろう」と。


 はぁ、とため息が漏れる。今まで誰にもこんなことを言ったことはなかった。少なくとも両親から聞き分けのない子供を宥めるように(というか実際その通りに)「おとなになったら行けるといいね」と言われたその日から固く口を閉ざしてきたつもりだったのに。


「みんなが山と呼ぶあの世界の終点のその向こう側。そこに行けたら素敵ってだけよ」


 半分やけっぱちになりながら力説する。これが私の人生の夢だ。笑いたければ笑うがいい。最近話題の乱用薬物ナチュラルドラッグでもやってるのかだとか意外と不思議ちゃんなんだねとか好きに言えばいい。どうせ中学の頃だって周りから浮いてたんだし明るく楽しいリア充高校生活ができると期待してたわけじゃない。


「ウワァ!見ろよ本音率90パーセント?今日一の数字じゃん!」

 こんなことになったのは✗✗✗✗✗✗(くそったれ)インチキ嘘発見アプリケーションのせいだ。悪ノリと騒がしさだけが取り柄の頭が軽いクラスメイトのせいだ。何が親睦会だ。何が腹を割って話そうだ。シェアされた数字が電子眼鏡(グラス)の仮想モニター越しに私の感情をデジタルに変換する。怒り:40パーセント。上等だ。そしてなにより私が憎い。全部私が悪い。


 別に彼らに悪意はなかった。むしろ心配してくれていたくらいだ。せっかく高校入学早々クラスみんなで集まろうとカラオケボックスまで来たのに。確かにクラス全員出席とはいかなかったけどみんなでこれからをやっていこうという雰囲気はできていた。そんな中一人だけお通夜みたいなしょぼくれた顔をした奴がいたら不満をぶつけられても仕方がない……。結果や過程はともかく原因は私だ。


「あはは緊張してる?そんなところで暗くなってないでこっちおいでよ」「未来ちゃんも語ってよ将来の夢!」「ほらぁ、本音率30パーって低すぎでしょ!」「『この人はなにか隠し事をしているようです』だって!あははははは!」

 全く彼らの彼らなりの思いやりにはぞっとするが……結局全部台無しにしてしまったのは私だ。こうなるんだったら、こんなことをしてしまうんだったら、ソリが合わなそうだと予感していたのだったら最初からついていかなければよかったのだ。高校になったら新しく人間関係を始めるんだなんて意気込んでいたから頑張ってしまった。

 

 笑われると分かっていたのならちょっとしたジョークとして流せばそれで終わりだったのに。心の柔らかい部分にいきなり触られたような気がして思わず過剰に反応してしまった。普通に話すつもりだったのに普段栓をしているところを外してしまったから溜まっていた激情が濁流となって溢れてしまった。八つ当たり気味に当たり散らすような言い方をした。(どうせあんたたちは子どもみたいって言うんでしょうね!でも『夢』なんてそんなものでしょう!)


 失敗した……「私自身」ではなく発した言葉や態度だけが消費される雰囲気ってわかる?「あいつ〇〇なんて言ってたんだぜ」って笑いものにされる感じ。そういうコンテンツしてのみ注目されていてもはや本当の私がどんな人間かなんて二度と顧みられなくなる。でもこれからの1年間を楽しくやっていこうという手探りながらも悪くはなさそうだったクラス会の雰囲気をぶち壊したのは私だ。ひび割れたガラスのように下手に触ったらキレそうな空気にした責任がある。「イジることで笑い話にする」方向に話題をシフトさせたあのひょうきんな男子には優しさに感謝するべきだろう。


「へーw 山の向こう側に行きたいとか面白いこと考えるじゃん」

 徐々に会話が戻り始める

「なあ、これって本気の夢ってこと?将来の?」

 私を置いてけぼりにして

「俺、このアプリでここまでの数字出せたことないぜ~」

 私自身には腫れ物に触るような扱いをして

「山が『壁』?ぷーっぷぷ。俺も小学生の頃は宇宙人と会いたいって毎日空を眺めてたんだぜ」

 知り合い同士でアクシデントを消化して、さあ次の話題に行こう

「こういうのって小学生のうちに卒業しないとねー」

 帰ろう。みんなに一言謝って


「でも未来ちゃん良いこと言ったよね~」


 え?がやがやとした喧騒の中でもその声は凛と通った。ちょっと低めだけどかわいい声。


「私は夢に嘘をついて騙すために大人になるわけじゃない。私はまだ大人の理屈ってやつに納得できてないから。自分でも納得できてない嘘を他人に語ることなんてできない。ってところ」


 客観的に聞いてみると本当に支離滅裂じゃないかしら。感情に任せて言いたいこと言ってるだけで本当に恥ずかしい。でも彼女からはバカにしているニュアンスは全く感じ取れなかった。本当に感心しているみたいだった。


「だってそうでしょ?私達なんてまだ15やそこらの子どもなのよ。賢しらげにサンタクロースなんていないなんて叫んでどうするのよ」


 一度意識してしまうとすごい存在感のある子だった。髪型が派手だとか美人だったからだとかじゃないのに思わず眺めてしまうというか人を魅了させるオーラが出てるとしか思えない。


「何かを信じることって大切よ?見えない何かを信じることがそんなに難しいから本音判定アプリがこんなに流行してるんでしょ?私は本当に信じている心の拠り所なんてなにももってないもの。それがあるって素敵なことだと思うわ」

だいたい夢も希望もないんだったら苦労して受験勉強なんてしないでしょ?そういって私の方を向きほんの少し口角を上げる。


 さっきまで、確実に血の気が引いて体が冷たくなっていたはずだったけれど、こうやって直視されると途端に気恥ずかしさがむずむずと湧き上がってきた。顔が耳たぶまで真っ赤になるのを感じる。そんな信念だとか確固とした人生哲学があったわけじゃない。むしろ諦観が泥のように積み上がってできたものでしかないのにまさかそれが褒められるなんて。


 少しだけ冷静になって周囲の顔を見ることもできた。悲観していたほどひどいヤツだと思われているわけではなさそうだった。精々がもしかして俺たち女子に対して言い過ぎちゃった?とかあっちの方で何かトラブルでもあったのかしら?とかの興味はあるがそこまで真剣ではない目つきだけだった。私はなんとかつばを飲み込んだ。


「ええと、ありがとう……そんなふうに言ってもらえるなんて」

 私には彼女の真意は分からなかった。助けてくれたのか。本当に感銘したのか。はたまたクラス内でのポジションを取るための政治的な発言だったのか。どちらにせよ私の感謝を形にするために彼女の名前を聞いた。

粒良桔梗(つぶらききょう)。桔梗ちゃんって呼んで」

 現代的な明るいおしゃれさをもった彼女の見た目に反して古風な名前だなと思った。

「ありがとう桔梗さん」

「桔梗ちゃん」

「さっきも言ったけどあんなふうに褒めてもらえるなんて思わなくて」

「桔梗ちゃん」

「え?」

「桔梗ちゃんって呼んでね」

 有無を言わせない口調だった。


「一年間よろしくね桔梗ちゃん」

「こちらこそ未来ちゃん。高校生活、楽しみだね」


  彼女はすでに私の名前を覚えてくれていたようだ。こうして私はなるべくして桔梗ちゃんという将来の親友と出会ったのだった。


 それはそれとして。最終的に新学期初めてのクラス会の評価は「まずまず」といったところになった。つまりあの致命的な失態―――勝手にトラウマを刺激されて名前と顔が一致しないような相手にヒステリックに叫ぶ―――を経たうえで私は最上級の結果を手に入れた。自己紹介して連絡先を交換してどんな部活に入りたいかなんかを周りの人たちとおしゃべりをすることができた。


「私そんなふうに好意的に受け取ってもらえるなんて思わなかった。かなりわがままに振る舞って、最初に怒り出したのは私なのに」


 それもこれも桔梗ちゃんのおかげだ。今は男子たちがノリノリでアニソンを歌っている。周囲の子も自分たちの話題で盛り上がっていてこちらをことさらに気にしているような雰囲気はない。


「仲間の夢は応援するものって言うあたり前のことを言っただけよ。私にも夢があるからね」

 にこやかで穏やかな彼女の返答は少しズレたものに感じたがわざわざ指摘することでもないように思えた。


 桔梗ちゃんと会話をしながら、最初の自己紹介とともに作られたクラスチャットに目を向ける。すでにかなり盛り上がっているようだった。1カラオケボックス内にはほぼクラスの半分の人数がいるのだから自然と口で会話するより文字を選ぶ。もちろん歌が止まって会話する雰囲気だったら口に出すし、わざわざチャットするより無意識に口に出ることもある。だけどクラスが2部屋に分けられている現状部屋間の情報交換という側面もありチャット(ムダ話)は口を使うよりテキストのほうが楽だ。追加の自己紹介とか共通の話題の掘り下げとかのスレッド化されたやりとりは脇に置いてメインチャンネルを見る。羞恥と後悔でパニックになっていた時は気づけなかったけど私と桔梗ちゃんのやりとりの間も少し発言がついている。


[ごめん、からかうつもりじゃなかっただけど]

[ダイキ、女子相手に本音アプリ使うのはセクハラだって]

[うっせーな奏多、いやでも俺もごめん]

[ちょっと言い過ぎたかも]

[確かに将来のために苦労して高校に来たのは全員同じだよな。俺だって植物学者になりたいんだぜ]


 SNSが当たり前の若者は、言葉にし難いことは文字で送りがちだ。謝罪とか感謝とか照れくさいこととか。もちろんさらにちょっと遡ればもう少しだけ辛辣な発言もあっただろう。それにクラスチャットとは別にすでに小グループのチャットもできてるみたいだしその部屋の中でどんなふうに語られているのかは検討もつかない。まあ今日の私は少し被害妄想が過ぎるだけかもしれない。そもそも最初から私が思うほどにパーティーの空気をぶち壊したってわけじゃなかったかも。

 だからまあいいじゃないか。私宛にリンクされたいくつかのメッセージを眺めながら返事の仕方を考える。


「ごめん、桔梗ちゃん会話の途中だけどちょっと待ってね」

 桔梗ちゃんはにっこりと口角を上げた。まるで今から私が何をすることを理解してそれでいいって応援してくれてる顔だ。もしくは桔梗ちゃんと呼ばれて満足したっていう顔。


「[こっちこそごめんなさい!]」


 声と文字が重なる。まだ顔と名前が一致しないみんなからはそれでも温かいリアクションが返ってきた。隣の部屋の人たちは何があったか分かっていないらしく心配してくれている。最初に本音判定アプリを使って場を盛り上げてたダイキくんと適当に(つまり適切に)会話をする。彼がクラスの中心になるタイプなんだろうなと思った。きっとクラスリーダーになりそうだ。ちょっとテンションが行き過ぎてしまっただけで普通に気遣いも運動もできそうだし女子にモテそうな感じ。


私らの世代(モダンネイティブ)的にはさ、スマホ使ってた時代すらも想像できないくらいの情報をインターネットから得れるからさ。眼の前の人間からの情報―――表情とか声だけじゃ不安になっちゃうんだよね。それだけだと頼りなさすぎて」

 ダイキくんが元の席に戻っていくのを尻目に桔梗ちゃんが喋りだした。彼の使っていたアプリ「本音くん」を表示してつつく。

 「だからこんなのが欲しくなる。確かめて保証されたいだけなんだよね。相手がどんな人間なのか正しい情報を。人間関係なんてゆっくりわかり合っていくしかないのにね」


 この手のアプリは今ではまるっきりありふれたものとなっている。掛けている電子眼鏡の体調管理データから脈拍や体温、呼気の成分あるいは普段との声調の差が分析され私達の気持ちというのは簡単に丸裸にされてしまう。もちろん勝手に相手側デバイスのデータを利用できないようになってはいるからわざわざ開陳しようとしなければそこまで精度はでない。逆に視覚データのみを利用した感情可視化アプリの常時使用なんてそれこそ大抵の人は普通にやってる。


 だからどのくらいの温度感で桔梗ちゃんが本音アプリを否定しているのか分からない。私も感情可視化アプリ(黄金のオウム)はあんまり使ってないから。それこそなんとなく気に入らないだけだけど。彼女の清々しい顔を見ていたら今更オンにするのも野暮な気がする。

 

 それでも私の両の目で見たところ彼女だってノリノリで好きな男子のタイプを発表して場を盛り上げていたし、本音アプリを使うことそれ自体に忌避感があるわけじゃなさそうだった。それに彼らの無意識に本当にそんな人間関係の不安が根ざしているのかだってわからない。それこそ心の奥の話だし。ほぼ初対面同士がカラオケでちょっとした遊びをしようとなって自己紹介を軸にしたパーティーゲームをする。


 うん、そういうもんじゃない?たしかに心の深い部分は深い関係の相手以外には晒したくないとは思うけどね。嘘発見器を騙すのは得意じゃないから。


[私は余裕だけどね]

[桔梗ちゃんはポーカーフェイスも得意そうだよね]

[初対面のくせに分かったようなこと言うじゃん]


 軽く肩にパンチを入れられながら私は笑う。ちょっと乾いた笑いだった。


 眼の前のトラブルが解決しても私の問題が解決したわけじゃない。私が落ち込んでいる大本の原因がなくなったわけじゃない。私以外の人たちにとって世界は真四角の立方体だ。人の心のと同じ閉じ込められた形。


 でもそう考えているのは私だけだ。私が勝手に世界が限られていると考えている。私だけがその外側を夢想している。いや、していたと過去形で語らなければいけない。私は今朝、挫折したのだった。

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