停滞を捨てて
あれから空はずっと灰色だ。
「ファイ」
「……お兄様」
私はあれから母様の兄である公爵の家に養子として入ることになった。この家、そして王族の人々は私の秘密を知っているそうでいろいろと配慮してくれているおかげか過ごしやすく快適な日々を過ごさせてもらっている。
「何かご用ですか?」
お兄様の手には絵本がある。恐らく、まだ幼い弟と妹に読み聞かせでもしに行くのだろう。
「今からアーロンとアネモに読み聞かせに行くんだ。ファインも一緒に行かない?」
「……私は遠慮しておきます」
『少し、外でも散歩しに行こうと思っていて』、そんな思ってもないことを口にして笑顔を作る。
「そっ、か……じゃあ、また今度一緒に読み聞かせに行こう。二人とも、ファイによく懐いてるみたいだからさ。ファイが来ると嬉しそうにしてるんだ」
「……はい。また今度にぜひ」
『行く気なんてないくせに』
私の冷たい声が、全てを見透かしたようにそう言った。……その通りだ。行く気なんてない。
(だって、どうせ私は本当の家族じゃないんだから)
適当を言って断った手前、自室に籠る気にもなれず外に出ることにした。
公爵家の庭は広い。小さな森一つも庭の一部として管理されているのだから、つくづく凄いと思う。庭園は特に壮観で咲き誇る花々がいつかの空の上のことを思い出させる。しかしずっと晴れていないからか、植物に元気がないのだと庭師がぼやいていた。
気まぐれに森へと足を向けて、暫く適当に歩いていく。舗装された道を辿るだけの行為に冒険心なんてものはなく、ただ目の前のタスクを消化する感覚に近い。
「……」
森の奥まで来ただろうか、近くの木の幹に寄りかかり座り込む。木の葉から微かに見える燻んだ空の色を眺める。
ふと、視界に影がかかった。
「十歳にも満たないやつが何感傷に浸ってんだ」
視界に私の顔を覗き込む青年が映る。空を眺めていたのは意味もない行動だけど、邪魔をされたらなんだか苛立ちがして私はぶっきらぼうに顔を逸らした。
「……誰、あなた」
「さあな。俺のことを知りたいのか?」
「ここは公爵家の庭、知らない人がいたら素性を問うのは当然の行動でしょ」
睨み上げるもそんなのは効かないと言わんばかりに青年は目の前の岩に腰掛けた。
「警戒心が強いのはいいことだな。……だが惜しい。公爵家という警備の行き届いたはずの場所で不法侵入者がいたらまず最初に危険人物だと思え」
「……じゃああなたも敵と思えばいい?」
「思いたいならそう思えばいい。敵と思ったところでお前に俺は倒せないからな」
「……」
やろうと思えば、以前のような爆発くらいまた簡単に起こせる。だけど、目の前の彼をそれで倒せるかと問われると何故か本能がそれを否定した。
「拒否反応のまま牙を向かない、その点は評価できるな。まあ、いくら取り繕っても中身は変わらないものか」
「……私のことを知ってるなら、放っておいてくれない?」
「断る。こっちがただ興味本位で顔を出してるとでも? お前にそんな価値があると思うなよ。神の子だろうがなんだろうが俺からすればどうだっていい。肝心なのは上からの命令だ」
「上……ああ、あなたが〈協力者〉? 残念だけどあなたの仕事はないよ。……私には誰も、必要ない」
大きなため息が聞こえる。捻くれてるのは重々承知だ。それでも、私はもう誰かが傍に居ることなんて御免。
「まさか母親が死んだのは自分のせい、なんて殊勝に考えてるわけないよな。いや、違うな。そう考えて自分が傷付くことを避けてる頭お花畑なだけか」
くだらない、そう言わんばかりに吐き捨てる青年に私はカッとなって言い返す。
「何が違うの!? 母様は私のせいで死んだ! 私はもう二度と大切な人を失って傷付きたくないの!!」
「はぁ、そりゃあ悲しいお話なことで。……大体な、お前は根本から考えが間違ってんだよ。お前の母さんが死んだのは間違ってもお前のせいではなく、殺した奴らのせい。そして、その上でお前の母さんはそういった死に方をすることも覚悟してお前の傍にいたんだよ」
「……だから仕方ないって言いたいの?」
「早とちりすんな馬鹿。俺が言いたいのはその覚悟を持ってる者を遠ざけるなって話だ。あの坊は家族ごっこがしたくてお前と仲良くしようとしてるんじゃねぇんだよ」
そんなこと、知っている。お兄様はいい人だけど、私を気にかけているのはそれだけじゃないってことくらい。あの人は私と本当に家族になりたいと思っていてくれていることなんて、母様のように優しいあの目を見ればすぐに分かった。
「でも、また失ったら……」
「お前が守ってやれよ。何のためにお前はその力を持ってんだ?」
「……分からないよ。こんな、制御も効かない力をどう使えばいいかなんて」
あの日からずっと空は曇っている。分かっている、これは自分のせいなんてことくらい。でも、どうやればかつての晴れた空が戻ってくるのか分からない。
「__だああ!! あのなぁ、俺はお前みたいな小心者で人を遠ざけて自分の殻に籠るような奴が大っっっ嫌いなんだよ! 俺の知らないどこかで勝手にくたばってて欲しいくらいにはな」
「……」
「でも仕事を私情で放り出すのはもっと嫌いなんだ」
「え……?」
晴れたような声に思わず顔を上げると、彼は爽やかな笑みを浮かべていた。
「だから、俺が鍛えてやる。力の扱い方を教えてやるよ」
「……どうして?」
「何故? そんなの仕事だからに決まってるだろ」
嫌いなら、関わらなければいいのに。仕事だからなんて簡単に割り切れるものなのだろうか。……それが、大人なのだろうか。そう思うと目の前の彼がやけにキラキラと輝いて見えた。
「せいぜい、俺の嫌いな奴からまともな奴になれるよう頑張ってくれよ。途中で泣き言でも言おうもんならぶっ叩くからな」
差し伸べられた手を、取る。
「……うん、頑張る」