第八話「襲撃者」
「いいわよ。で、どうして、アンタがしゃべってるのよ?」
アクスは部屋に入ってくるなり、今度は質問をぶつけられた。
「あ~あ、派手に散らかしたもんだ。弁償だな、こりゃ」
改めて部屋の惨状を嘆いて、アクスは肩をすくめる。お手上げだ。また金が飛ぶ。アクスは深いタメ息を吐いた。
「なんで、アンタが話せるワケ? ねぇ、聞いてる?」
ツインテールに髪を結わえたユロは、下してたさっきとは違い、また格別に可愛かった。
「ああ、聞いてるよ。質問の意味はわからんが。それよりオレは、アクス。アクス・フォード。お前は? 名前」
確かに群を抜いて美少女だというのは認めるが、なかなか気が強そうだ。また蹴りを喰らってはかなわないと、アクスは部屋の隅の柱にもたれかけた。
「アタシの質問はスルー? 生意気な態度ね。アゼザルのクセに。まぁ、いいわ。アタシは、ユロ・アロー。死霊術師よ。そんで、アンタはアタシの道具。オーケー?」
「うん。オーケー。オレ、オマエのドウグ。ガンバル」
「それじゃあ、さっそく……」
「――って、なるかぁ! 明らかに今の流れは、犬が『へばっほ』って鳴くくらい不自然だっただろうが。それにドウグってなんだ? ツッコミどころ満載」
「うっさいわね、ぎゃーぎゃー、ぎゃーぎゃー。使い古されたカタコトボケに冴えないノリツッコミ。しかも全くノーセンスの返し。『へばっほ』って何? それのどこにどうやって突っ込めばいいって言うの。そんなのに突っ込んだら、もう果てしない事故よ、事故」
小振りな胸の前で腕を組み、冷ややかにユロは吐き捨てた。
「ああ、もう!!」
どうでもいいのよ、そんなこと――とでも言いたげに、ユロは大きく唸った。そして、バサバサと髪に手櫛を入れる。彼女の悪い癖だ。
「アンタはアンデッドで、アタシは死霊術師。アンデッドは普通、しゃべれもしないし、痛がりもしない。主人である死霊術師にひたすら忠実なもの。それがアンタときたら、ぺらぺらぺらぺらしゃべって、挙句にはこのアタシに意見する。どういうこと!?」
先代アゼザルの黄色骸骨頭は、やや反抗的ではあったがまぁまぁ忠実だった。しゃべれず、痛がりもせず、感情も無かった。けれど、目の前のコイツはどうであろう? 今までにないタイプだ。それでいて、ユロの求めるものの片鱗が見える存在。
「……あんだって?」
「聞こえてんじゃない」
アクスのボケを軽くあしらって、ユロは彼の首にかかるロザリオの先端の凸凹――鍵の部分を見入った。あの黒いロザリオ状の鍵がアゼザル――核石に何らかの干渉をしたように思えたからだ。
「ああ、聞こえてたさ。けど、なんだかな」
アクスでもアンデッドの意味くらいは知っている。かつて生命体であったものが、既に生命を失ったにもかかわらず活動する、いわば生者でも死者でもない者の意だ。
「やっぱりオレは一回死んだんだな?」
「そうよ」
ユロは厳然と事実を伝えた。
そう。確かに彼は死んでいた。
口振りから察するに、本人も『死んだ』自覚はあるようだ。しかし、生前の記憶もちゃんと持っている。けど、きっちり彼は死んでいた。これは死者との対話なのか? アタシは一体、今、誰と話をしているのだろう? 死んだ人間と話しているのか。ユロは奇妙な感覚に襲われた。
「……死ぬとは、どういう感覚?」
無粋なことを聞いてしまったと、言葉に出してからユロは思った。でも、興味が先に立った。聞かずにはいられなかった。
死霊術師は本来、飽くなき生を探求する者にして、死を克服しようとする者。究極の目的は死者蘇生にある。それを何らかの拍子、偶然とはいえ、体現する者が目の前に現れたのだ。「聞くな」という方が無理である。
だが、アクスは彼女の問いかけには答えなかった。深く俯いた彼の感情を窺い知ることはできない。重たい沈黙が場を支配した。
「ああ、もう!!」
ばっさと髪を掻き上げて、ユロが低く唸る。
「さっきまでのテンションはどうしたの!? そう黙ってられたら、陰気なのよ!! なんとか言いなさいよ」
窓からの微風が、レースのカーテンを揺らす。生暖かい風。
「オレが合図したら伏せろ」
俯いたまま、小声でアクスがそう言った。
「えっ?!」
「伏せろっ!!」
声と同時、アクスは身をかがめて駆け出した。反射的にユロは、ベッド脇に伏せた。
柱と壁に、それぞれ二本のナイフが突き立つ。今の今まで二人がいた場所だった。
続けて――窓から黒ずくめの襲撃者が侵入してくる。しかも両手の指に二本ずつ投げナイフを挟んでいる。しかし、二撃目を放つ暇を与えるつもりはない。アクスは剣を抜くや、容赦なく襲撃者を斬り捨てた。声もなく、仰向けに倒れる黒い影。
襲撃者は一人ではない。明確な気配にアクスはすぐさま振り返った。ドアが乱暴に蹴破られ、ナイフが飛来する。
甲高い金属音を響かせて、見事な剣技がその全てを叩き落とした。
――と、アクスはドアの外まで一気に間合いを詰めた。肩を入れ、襲撃者の胸を貫き通す。背中から血に濡れた剣を生やして、二人目も動きを止めた。
「アゼザル、血!? 血が!」
と、ありありと驚愕の表情を浮かべるユロ。
一瞬、気が逸れた。
右肩に鋭い痛みが走る。突き刺さったナイフに、アクスは顔をしかめた。
別のナイフが頬をかすめる。廊下の端に、新手の黒ずくめ。足で死体を引き離し、強引に剣を引き抜くと、アクスは室内へと一時避難した。
「アゼザル、血が……」
「お前のおかげだ。ついでに言っとくが、オレの名前はアクスだ。ア・ク・ス!!」
「ああ、なんか刺さってるわね。アンタの血じゃないし。そんなの、どうでもいいのよ。アンデッドなんだし。ちなみにアタシはユロね、ユロ。言っとくけど、お前じゃないから」
「どうでもって……ツンデレのデレがない方か!?」
「アイツの血、さっきのヤツもそうだけど、血が緑なのよ!! 緑! アイツら人間じゃないわ」
「ああ、どうりで」
ひとり合点がいくアクス。
室内で倒れてる黒ずくめの死体からは、気味の悪い、緑の体液が流れ出ていた。
「何、その反応? アタシがこんなにも驚いてるってのに。なんでアンタはそんな平然としてられるのよ?」
「アイツらの気配や動きが、なんとなくわかるんだ。なぜかと不思議に思ってたんだが、オレも普通じゃないからか?」
自嘲気味にアクスは笑った。ユロはふと、返す言葉が浮かばなかった。
窓の外から、またもナイフが投げ込まれる。部屋の入り口からも。さっきの廊下にいた黒ずくめとさらなる新手か。絶妙なバッドタイミングであった。
アクスはユロの盾となり、投擲されたナイフを防ぐ。
「ちっ。やっぱ、八本は無理があるわ。くそっ。いてぇ……」
右脇腹と左腕に被弾した。残りはなんとか叩き落とした。ボタボタと血が床にこぼれる。
隙を突かれて黒ずくめが二人、部屋に侵入してきた。一人はまたも窓から。ここは二階だというのにご苦労なこった。窓の近くの木をわざわざ登ってまで。
二人ともナイフを手にじわりと半歩、前へ。覆面の下、灰色の目がタイミングを窺う。
「……死ぬわけにいかないの。お願い。アタシを守って」
アクスの服の裾を掴んで、祈るようにユロは呟いた。わずかに声が震えていた。
「もっとオレの近くに」
素直にユロは頷いて、アクスの背中にしがみついた。やわらかくて暖かい感触。甘酸っぱい匂いが、鼻腔をくすぐる。それとわずかな震え……。やむなし。
「宿屋のオヤジにゃ悪いが……」
部屋を吹き飛ばさせてもらうしかない。二階に誰もいないでくれよ――そう祈りつつ、アクスは魔装を開錠した。
「煉鎖三式、開錠! 唸れ、蒼き炎狼シュッテンバイン!!」
力ある言葉に、深淵より呼応する。この世この時、今この場所に顕現せよ、悪魔の力!
彼を中心に、その同心円状に八つの蒼い火球が出現した。まるで鬼火だ。
「喪魔円葬の送り火!!」
アクスが剣を振るのに合わせて、黒ずくめたちは一斉にナイフを放った。
だが、それでは時既に遅し。即時的、八つの火球はいっぺんに拡散。周囲で無差別に爆裂する。壁や柱、放たれたナイフ、黒ずくめに接触した途端、激しい爆発を起こした。
部屋は跡形もなかった。爆風で隣室との間仕切りも吹き飛び、部屋と廊下の境も無くなる。屋根も一部損壊し、雲一つない青空が覗いていた。
襲撃者二人は煙を上げて倒れており、動く気配もない。
「紫瘴痕……アンタ、魔装顕士だったの?」
紫瘴化で紫に変色した部位を紫瘴痕という。右指から右目の下まで、広範囲に紫瘴痕が広がっていた。傷の痛みと併せ、魔装開錠に伴う紫瘴化で、アクスの体は悲鳴を上げる。魔装は自身の身を削って、敵を屠る諸刃の剣。威力に比例して、体への負荷も大きくなるのだ。使い道を誤れば、自身が魔装に喰い殺されることにもなる。
「見ての通りだ。それより逃げるぞ」
彼女の小さな手を握り、移動しようとしたその時、足元が崩れ、二人は一階に落下した。
「…………あいたたたたぁ。アゼザル? 生きてる?」
「いや、死んでる。ついでにアクスだ」
「バカ言ってる場合!」
どうやら一階の客室に落下したようだ。ちょうど何もない部屋の中央。入り口から右側に窓、左奥にベッドがあり、その右にちゃちな木製机に椅子二脚。間取りは上とほぼ同じだった。
「だったらその胸の割に、でかいケツをのけてくれ」
「なんですってぇ!?」
目じりを吊り上げて、マウントポジションからユロは、パンチを繰り出す。アクスはそれを左手でたやすく受け止めて、
「ジョーダンだ」
むっつりとした顔でユロを乗せたまま、上半身を起こした。ユロはずるっと滑って、足をからめて、ちょうど向き合う形になった。
お互いの息遣いがわかるほどに、顔が近かった。ドキッ。ユロの鼓動が一瞬、跳ねた。
突然、アクスはユロの腰に手を回し、ぐっと引き寄せた。息遣いが荒い。
「バ、バカ!? は、放しなさいよ。何してんのよ! 放しなさいってば。主人の命令が聞けないの⁉ バ、バカアゼザル!! 放しなさいって、言ってんでしょうがっ!!」
アクスの胸にぴったりと両手が挟まれていて、ジタバタもできない。
「こ、こんなト、トコで……ななな、何する気よ?」
さっきまでの強気とは一転、拗ねたように唇を尖らせて、ユロはアクスの顔を見上げた。近くで見ると、意外に鼻梁高く、鋭い眼光は鷹の目のようで、その横顔はとても凛々しかった。鋭い眼光などとは、ものは言いようである。ユロの頬が、微熱を帯びたように、紅潮する。こんな風に、男性に強く抱かれたことは、今まで一度もない。ドキドキが止まらなかった。
ツインテールに潤んだ瞳での上目遣い、ぷっくらとした桜色の頬に、極めつけは拗ねたように尖らせた唇と、ユロは破壊力抜群の可愛さだった。しかし、残念なことにアクスは全然見ていなかった。
「一気に駆け抜ける。頭を低くして、しがみ付いとけよ」
「……へっ?」
彼の視線の先には閉じられた窓。すっくと立ち上がると、アクスは躊躇なく、ユロを抱いて、窓に向かって突進した。悲鳴を上げるユロ。否応もない。その背後に、ストトトトンッと幾本ものナイフが、二人を追尾するように床に突き刺さっていった。
上階から新手の黒ずくめが四人。
剣を握った右腕でユロの頭を庇い、肩から窓を突き破って外に転がり出た。
「立てるか? 走れるか? とにかく全力で逃げるぞ! ユロ」
と、歯の根の合わぬユロの手を強引に取って、アクスは容赦なく駆け出したのだった。