第七話「初対面の挨拶は後ろ回し蹴り」
見慣れないシミだらけの天井が――そこにはあった。
簡素なベッド。ちゃちな木製の丸机に椅子が二脚。机の上には一輪挿しに貧素な青い造花が飾られてある。安っぽい宿屋の一室で、ユロは目を覚ました。
ズキッとわずかに胸が痛んだ。
ちゅん、ちゅん。ちゅん、ちゅん、ちゅん。
愛らしい小鳥たちのさえずり。目を向けると、三羽のスズメが窓辺で戯れていた。
「姉妹かな?」
スズメたちは楽しげに、仲良く跳ね回って遊ぶ。その穏やかな朝の光景に、優しげでいて、どこか悲しげな眼差しを浮かべるユロ。
「あっ……」
風が吹く。カーテンの揺れに驚いたスズメたちは、一斉に飛び去ってしまった。
出し抜けにカチャリと戸が開いた。一人の少年が無遠慮に部屋の中へと入ってきた。
年の頃はユロと同じくらい、十代半ばといったところだろうか。とんでもなく目付きが悪い。ボサボサの赤髪に緑眼。腰に剣。そして、胸元には黒いロザリオ状の鍵。
「お。気が付いたか。気分はどうだ?」
ユロの顔を覗き込んで、アクスは聞いた。
黒目がちな大きな瞳が、じーっと見つめ返す。長く美しい黒髪がシーツに広がる様はまるで花びら。白い頬にはやや紅が注し、ぷっくりとした唇が妙に艶めかしかった。
「……き、気分は悪くないか?」
頬を上気させ、なんとなくアクスは目を逸らした。気恥ずかしいのか、後ろ頭をポリポリと掻いてるといきなり、こめかみに衝撃が走った――!!???
ユロの完璧なフォームでの後ろ回し蹴りが、こめかみにクリーンヒットしたのだった。見事な弧を描いてすっ飛ばされるアクス。どんがらがっしゃん! ハデな破壊音を響かせ、ちゃちな机と椅子はあっさり木片と化した。
「いってぇー!? えっ、何? 何なの、これ? どっかの部族に伝わるアイサツ? いきなり後ろ回し蹴りが? ないない。あり得ない、普通はあり得ないよ。オレ、よく考えて」
頭を振り振り、アクスは困惑を隠し切れずにいた。
「……痛い? どういうこと? あり得ないわ。アンタ、石のアゼザル? いや、違うわね。アイツはずっと沈黙してるし……ホントどういうこと?」
「めっちゃ驚いてるんですけどぉー。くわっぱぁって、目とか見開いたりして。
とりあえず落ち着け、オレ。きっと何かの手違いだ。そうだ。ハグしようとして、勢い余って後ろ回し蹴りとか」
そう自分を強引に納得させつつ、かつて机と椅子だった木片をどかして、アクスは立ち上がる。どこの世界にハグしようとして、フルパワーで後ろ回し蹴りをかます美少女がいるというのだ。勢いも余り過ぎと言うか、それ、もう単純に勢いとかの問題じゃないし。
「あのさ。その……ちょっといいか?」
「なによっ!!」
「目の保養というか、目のやり場に困るというか……その格好」
左腕とつつましやかな胸は包帯で隠されているものの、下はパンティ一丁のあられもない姿で、ユロは腰に手を当て、ベッドからアクスを見下ろしていた。
「はえ? えっ。ななななな、なんで!? ア、ア、アンタ、まさか……」
あわててシーツを手繰り寄せて、体を覆い、手近にある枕や水差し、その辺に置かれていたよくわからない置物など、アクス目掛けて投げつけるユロ。
「バカ! 死ね! 変態! ケダモノ!!」
目を潤ませて、キッとアクスを睨み付け、ユロは手当たり次第、なんでもかんでもぶつけまくった。百発百中、巧みなコントロール。
「ちょ、ぶべっ。ちょっと待て。ち、違う!? 誤解、がべっ。ふぼっ。とにかく、あべしっ。落ち着……ぐえっ。オレは何もしてない! ど。医者だ、魔術医なんだっ……べぼっ」
カエルに羽と毛が生えたような気色の悪い置物が、鼻っ柱に直撃。アクスはその場にうずくまった。
「……魔術医?」
「そ、そう。たまたま旅の魔術医がこの村に来てたから、そいつに診てもらった。お前が何度も血を吐いてたから」
鼻声になりながら、アクスは説明した。
「そんで吐血の原因は、右の肺が失われてるそうで――」
「そう」
意外にあっさりとした反応。本人も承知済みのことなのだろうか?
「……でもまぁ、経過は良好みたいだな。それだけ動けりゃ。しかし、おかげで路銀はほぼ尽きた。あのドレッド魔術医、ボリ過ぎなんだよ! ……って、それはともかく着替えるか。話はそれからだ。そこに服、置いてるから。血が付いてたから洗濯しといた。オレ、一旦外出とくから、着替え終わって、少し落ち着いたら呼んでくれ」
アクスは早口にそう言うと、そそくさと部屋を一旦出ていった。