第四十七話「神の箱庭」
――気付けば、アクスは真っ白な空間にいた。またこの空間か、と思わなくもない。
背後に、カツカツカツ……とヒールの音を響かせ、多分に心当たりのある誰かさんが近付いてくる。振り返ると案の定、黒髪ツインテールにデカリボン、長身巨乳のネコミミメイドがそこにはいた。
「またお前か。核石砕かれて、てっきり死んだと思ってたのに」
「随分な挨拶だな。我が不死であることを知っておるくせに」
「知ってても、嫌味の一つも言いたくなんだよ」
「我は最初に聞いたはずだ。未来永劫を投げ打つ覚悟はあるか? と。汝が我と同化し、不死となったのは汝が望んだ選択の結果だ」
「ああ、そうだな! そんで、お前のそういう所が嫌味の一つも二つも言いたくなる所だってんだ!」
「わからんな。しかし、相も変わらず汝には進歩がないようだな」
と、肉球手袋を物珍しげに、わしわししながらアゼザルは鼻であしらった。
「いや、進歩というより退化だが、変化はあるか」
「ぶーっ!? お前、なな何やってんだ!!」
おもむろにアゼザルは肉球手袋で、自身の巨乳をもみまくりながら、
「以前よりワンサイズ小さくなっておる。貧乳属性に鞍替えか?」
「うっせぇ、バカ。……んで、何でまたオレはこんなトコに連れて来られてんだ? さっさと解放しやがれ」
「解放するも何も、我を呼び出したのは汝の方であろう」
「オレが?」
「ふむ。理解に苦しむ。自覚が無いとは。まぁいい。どうせ黒き門の先にあるものと『鍵』についての話以外あるまい」
と、アゼザルはさらりと、勝手に切り出した。
「黒き門って……、扉に双頭蛇が刻まれたあの黒い門のことか? 影王シドンが召喚された時に出現した、オレが死に際に見たあの……」
「そうだ」
「あの門の先にあるものって?」
こくんっと喉を鳴らして、食い入るような視線をアゼザルに向け、アクスは訊いた。
黒き門を目にしたときから、そのときの血の騒ぎようを考える度に、門の向こう側に何があるのか、知らなければならないという思いがずっとくすぶっていた。
その思いがアゼザルを呼び寄せたのだろうか? いや、そんなことはない。こちらから何度呼び掛けても反応しなかったヤツだ。なのにこのタイミングで現れたとなると、何かに触発されたか? 考えられるとしたら、ユロの死霊術が呼び水となったのかもしれない。
そもそも死霊術は、本当に死者を蘇らせるための術式なのだろうか? 死者蘇生はただの副産物で、死霊術には何か別の目的が隠されているのではなかろうか?
「黒き門の内側にあるもの……」
どことなく気怠そうに呟いたアゼザルの声で、アクスの思考は一旦中断する。アクスは黙って、アゼザルの次の言葉に耳を傾けた。
「汝も聞いたことはあろう。門の向こう側は狭界だ。この隔界を人界と呼ぶのに対して、狭界は悪魔が封じられた世界――いわゆる魔界というやつだ。黒き門は人界と魔界とを結ぶ関所のようなもの」
「それはオレでも知っている。その先だ! その先に絶対何かあるはず。あの門の向こう側に引き寄せられる力みたいなものを感じる。……うまくいえないけど、血が騒ぐんだ」
「やはり引き合うものなのだな。魂の回帰とでも言おうか……」
「魂の回帰?」
「狭界の果てには『神の箱庭』がある。別称『魂の牢獄』。その名のとおり、そこには我のも含め、汝の魂が囚われておる。死霊術は、狭界への門を開き、『神の箱庭』へと魂を送るための術式。『神の箱庭』に送られた魂は、輪廻の輪から外され、永遠にそこに縛られる」
「つまりそいつは、不死と同じってことじゃねぇのか!?」
「肉体は朽ちようと『死ねない』という点ではな。だが、なおタチが悪いことに、思念体の派生から存在するに等しい我ら悪魔は、自身の自我と魂を引き剥がし、こうしてこの世界に留まることもできようが、通常魂と自我は表裏一体、ゆえに『神の箱庭』に送られた人の魂は、自我を保ったまま、死ぬことも許されず、この世界が終わるまでの永遠に近い時間を、ただそこに縛り付けられることになる。汝やあの男のように我や悪魔に憑りつかれた者は、話は別だが。それがどれほどの苦痛か。想像に難くあるまい。我やあの男が抱える不死の苦痛など高が知れていよう。なんせ考え動かせる体がまだあるのだからな。まだマシだ」
と、アゼザルは淡々と語った。
アクスはバッとアゼザルの胸倉を掴んだ。
「てめぇ! それを知っててユロに死霊術を教えたのかっ!! 『神の箱庭』に送られたイリメラとシシリーの魂がどうなるのかを知ってて」
「魔術や魔導は、魔力的に劣るお前たち人間が考え編み出した技術。理論は理解できても、存在の成り立ち上、我らに魔術――死霊術を扱うことはできぬ。『神の箱庭』に囚われた魂を解放するため、そこに迫るには、唯一『神の箱庭』に干渉することができる死霊術師が必要だったのだ」
「そんな手前勝手な都合で、そんな理由で、……てめぇはユロの思いを利用しやがったのか! ふざけんじゃねぇぞ!!」
激昂したアクスはためらうことすらなく、右の拳を振り抜いた。
スカッ……。
しかし、アゼザルの顔面にめり込むはずだった拳は、むなしく空を切った。胸倉を掴んでいたはずの左手も、いつの間にほどかれたのか、何も握ってはいなかった。
少し離れた位置に、アクスから距離を取って、アゼザルが腕を組んで佇んでいた。
「精神体同士の殴り合いなどナンセンス。お互いそこにあってないようなものなのだから。便宜上、話をするのに、視覚的に姿形がある方が、お互い認識しやすいというだけの記号に過ぎない。それでも汝の気持ちもわからなくもない。だが、汝は決定的に思い違いをしている。我のことを、誰をも無償で助ける善人とでも思っていたのか? 違うだろ? ――要はそういうことだ」
核心を突かれ、アクスは瞬間、言葉に詰まった。が、逆にその一言で、一瞬にして本質に気付いた。
「さっきお前は『神の箱庭』に囚われた魂の解放とか言っていたが、それがお前の目的か? 『神の箱庭』をどうにかすることで、イラメラとシシリーを救うことはできるのか?」
返答如何によっては、噛みつかんばかりの勢いでアゼザルを睨みあげるアクス。
「もちろん。また、汝も人の身に戻ることができよう。そして、今――緋石を代償にした死霊術によって、『神の箱庭』へと続く、魂を送るための道が示された。加えて汝には『神の箱庭』にアクセスするための『鍵』が与えられている」
「『鍵』?」
「汝がいつも首から提げているロザリオ状のあの『鍵』だ。
――つまりここに今、すべて『神の箱庭』に至る条件が揃ったというわけだ」
決断を迫るように、アゼザルは重々しく言った。
「悪いな。もう少し待っててくれ」
白の天井を見上げて、アクスは誰にともなく呟くと、アゼザルの方に向き直った。
「お前の言葉は信用できない。要はそういうことだ」
「なっ……!? こんなチャンス、そうはないのだぞ!」
「改めて言う。お前の言葉は信用できない。お前の言動のすべては『神の箱庭』への誘導だ。はじめからユロを利用するつもりだったのだろう。シオン修道院でお前は、レイパードの斬撃からユロしか守らなかった。イリメラとシシリーを守ることもできたはずなのに」
それがアクスの気付いた本質であった。アゼザルは急にむっつりと押し黙ると、キッとアクスを睨みつけた。その態度からも、アクスの指摘が完全に本質を捉え、図星を突いていると示唆していた。
「今更お前の行いをどうこう言っても仕方ないのはわかっているが!! 一発ぶん殴らないと気が済まねぇ!!」
と、アクスは拳を強く握り、アゼザルの方へと一歩大きく踏み出した。
「まったく無駄なことを。お互い精神体……おぶっ!?」
思いっきりまともにアクスの拳を顔面にもらい、アゼザルは白い床に叩き付けられた。
「な、なぜ? 汝の拳が我に届くのだ!?」
「ここはオレの精神世界なんだろ? だったら、お前の勝手を許さないのは当然だ」
ギロリと挑むようにアクスを睨むと、アゼザルは瞳に冷ややかな色を湛え、
「それで、汝は『神の箱庭』へアプローチする気はあるのか?」
手の甲で殴られた個所を拭うようにして、ゆらりと立ち上がった。不穏な気配が渦巻く。
「その気はない――と、言ったら? お前の話が事実だとしても、オレ一人が行ったところで意味はない。イリメラとシシリーを救えるのはユロだけだ。それに、レイパードにすらかなわなかった今のオレの実力で、ユロを守りながら狭界を渡り、『神の箱庭』へと辿り着ける自信は……悔しいが正直まだない。一度あの門をくぐれば後戻りはできないだろう。歯痒いが、今はそのときじゃない」
「ならば、汝はここで一人おとなしくしていろ。我が行く。汝の身体を乗っ取ってでも!」
「本性を現したか。そうは問屋が卸すかよ! ユロが自分の体の一部と引き換えに、オレに与えてくれたこの身体と命。そう簡単にてめぇなんかに譲れるかっ!! それに、オレはあいつのもとに戻るんだ! こんなクソ白い世界に押し込められてたまるかよっ!!」
二人は果てしなく白い世界で激突した。
と。
アクスが二週間もの間、意識を取り戻さなかったのは、そういうわけだった。だけど、再びこうしてユロのもとに戻って来られたということは、アゼザルの暴走を見事抑え込んだということに他ならない。
「セドーとかなんとかいうアイツが言ってる『鍵』って、もしかして、アクスのその首にかかってるロザリオ・キー、それのことを言ってるじゃ……?」
マリオネットたちの得物が、フィガーの陽動による爆発であがった遠い火に、ギラリと鈍く光る。だが、未だマリオネットたちが動く気配はない。
アクスはアゼザルとの精神世界での経緯をかいつまんでユロに説明した。
「……とはいえ、アゼザルのヤツが話したことが全部真実とは限らない。あいつは喰えない。『神の箱庭』や『鍵』について、隠していたことも多い。だから、オレたち自身で詳しく調べる必要がある。狡猾なヤツだから、まだ決定的な何かを隠しているかもしれない」
周囲への警戒を怠らず、アクスは言った。
あえてイリメラとシシリーのことについては言及を避けた。彼女らのことを告げて、ユロが思い悩んで悲しむのではないかと考えると、その話題に触れられなかった。それゆえ、死霊術についての真実も告げられなかった。
アクスは嘘をついた。
「よかった……。ホント、よかった。ホントよかったよ。イリメラとシシリーは『神の箱庭』で無事に楽しく過ごしてるのね。アクスのおかげで二人を助けるわずかな光明が見えた。この二年間、いろいろ探し回ってもなんの手掛かりも得られなかったのに、すごい前進だよ! ありがとう、アクス」
胸が痛んだ。本当は暗闇の中、二人は震えているかもしれないというのに。オレの力が足りないばかりに。アクスは改めて心に誓う。ユロとイリメラとシシリーの三人を、絶対に笑顔で再会させようと。
「アクスも『神の箱庭』に行けば、ちゃんと人間に戻れるんだよね? ホント、よかった。本当によかったよ」
目の端に涙を浮かべてまで、心の底から喜ぶユロを前にして、アクスは言葉を継げなかった。
もっともっとオレは強くならなければならない。アクスは深く思った。
「実に興味深い話が聞けた。まぁ、話三分程度には信じられそうな、なかなかに面白い話だった。もっとも、これ以上、期待できそうな話も出てこなさそうだから、そろそろ続きを始めるか」
闇の中、セデュー・アロッソンが言った。
「盗み聞きとは趣味が悪い。それも仕方ないか。か弱い女の子一人相手に、自分は姿を隠したまま、これだけのでく人形を動員して遠巻きに囲み、飛び道具で襲おうという、最高に最低なヘタレ野郎だもんな、てめぇはよぉ」
「戯言に付き合っている暇はない。やれ。マリオネットども」
セデューの号令とともに、マリオネットたちは指に挟んだナイフを投擲すべく、ざっと一斉に身構えた。
「ユロ、もっとオレの近くに」
「うん」
素直にユロは頷いて、アクスの背中にしがみついた。やわらかくて暖かい感触。ユロの体温が伝わってくる。甘酸っぱい匂いが、鼻腔をくすぐった。
以前にも似たシーンがあったな。アクスは思い起こす。ちらりと背中のユロを気にする素振りを見せると、ユロも同じシーンを思い起こしたか、
「前にもこんなシチュエーションあったわね」
「そんとき、誰かさんは派手に震えてたっけ」
と、アクスが意地悪く話を振るも、
「そうね。あのときはね」
と、さらりと返される。
だけど、続けて――
「でも、今は震えてないわよ。それは、どうせまたどこかの誰かさんがきっと守ってくれるって、信じ切ってるからね」
アクスの背にぴたっと寄り添いながら、照れているのか、そっぽを向いたユロがそんなことを口にする。はにかむ様子がまた一段と可愛かった。
黒ずくめのマリオネットたちの手からナイフが放たれる。
アクスはまっすぐに迫る闇を凝視し、蒼剣を握る手にぎゅっと力を込めた。おもむろに蒼剣に宿る悪魔の力を解放する。そして、闇を切り裂くが如く一気に振り抜いた!
暗闇を払拭するかのように、八つの閃光が蒼い火花を散らして、夜を照らし出した。
まもなく夜も明けるだろう。止まない雨がないように、明けない夜はない。その夜明けまで――
「お前が大切なものを取り戻すまで。改めてここに誓う。オレがお前を守る!」
「あ、あらためて言われなくっても、わかってるんだから! そ、そんなの当り前なんだから!」
と、ユロは顔を真っ赤にして言った。
生きる目的も夢も何も持たなかった少年は、少女と出会うことで、何か大切なものを手に入れた。
少年は合言葉のように答えた。
「――オレとお前は一蓮托生だもんな!」
読了ありがとうございます。
第一章的なはじまりの物語はここで一旦終了です。
新章に関しては、また構想練って、ある程度書けましたら、連続で投稿していきます。
その前に、並行して書いているもう一つのお話を先にアップしていけたらと思います。
今後ともよろしくお願いします。