第四十五話「迷子」
それから二日。アリアブルグ山のとある渓谷の森の中。
「やっとこさ、左腕のギブスが取れたと思ったら、二十七番遺跡の再探索って。いきなりハードな任務だこと。フェイ、勘は鈍ってないだろうねぇ? 二週間近くも休んでて」
新月の森は暗闇に包まれていた。
アリアは木陰に身を隠し、隣にいるであろうフェイに声を掛けた。作戦決行までまだ時間がある。闇の中、黒のロングコートを纏ったフェイは、完全に闇と同化しており、目視ではそこにいるのかわからなかったが、すぐ近くから返事は返ってきた。
「鈍っとるかい。わいよりお前の方こそ大丈夫なんか?」
「何が?」
アクスのことだ、とも言えず、フェイは口ごもる。
「……いや。何でもあらへん。ともかくお前こそわいの足、引っ張んなや」
「よく言うよ。そっくりそのままあんたに返すよ」
「しかし、またなんで二十七番遺跡の再探索やねん?」
と、わざとフェイは話題を変えた。
「貧乳娘が話してたろ。聖アヌスには頭部が無かったって話、あんたも聞いてたよね? その頭部があのクソ野郎――レイパード・フォン・エルファレオの『合聖神化』の重要なピースってことも。だったらその手掛かりを追うのは当然だろ」
「だからって、二十七番遺跡に手掛かりが残されてるとは、わいは思わんのやけどな。レシアも最初に言ってたやないけ。遺跡と遺物は別時代の物やって。墓荒らしかなんかで運び込まれたって」
「聖櫃の封印は、元紫剣二番隊々長のユリシノン・ベーゼによるものだって話だ。ユリシノンの魔力痕跡を調べれば、何か手掛かりになるかもしれない。長年ユリシノンの封印魔術をかけられていた聖櫃が置かれていた場所だったら、なんらかの痕跡が残っていてもおかしくないって、レシアの考えだ」
「ふ~ん」
と、フェイは気のない返事を返す。
「ところで、さっきから全然ユロの嬢ちゃん、会話に加わってけぇへんけど……普通、アリア、お前の貧乳娘ってくだりで、キレて割り込んで来なアカンのとちゃうんか?」
「初任務で緊張してんじゃない? ……貧乳娘? 返事くらいしたらどうだい?」
「なぁ、アリア。もしかしてユロの嬢ちゃん、わいらとはぐれてもうたんとちゃうのんか?」
「あは。あはははは。フェイ、面白い事言うわねぇ。そんなことあるわけないでしょ。ほら、貧乳娘もなんとか言ったらどう?」
『…………………………』
「――って、ホントにあの貧乳娘、はぐれてんじゃない!? どうすんのよ!」
「どうするって言われてもなぁ……」
そうフェイが首をひねった瞬間、遺跡がある方角から派手な爆発音と閃光があがった。
「フィガーのヤツ、陽動を始めよった」
作戦はこうである。
フィガーが夜の闇にまぎれて空を渡り、あちこちに爆弾を仕掛けて回り、それを時間差で爆発させ、遺跡を警備している大陸政府軍の連中の気を引く。その隙にアリアとフェイがユロを守りながら、遺跡に侵入する。
そして、評議会出席で忙しいレシアに代わり、ユロが聖櫃の置かれていた場所の魔力痕跡を調べ、速やかに離脱するというのが本作戦の全容である。魔力痕跡を調べる術式はさほど難しくないので、へっぽこ魔術師のユロにも簡単に扱える。とはいえ、魔術師でなければ難しいので、ユロに白羽の矢が立ったのだ。
まぁ誰もが思い付く、いたってシンプルな陽動作戦だからこそ、そんなバカな真似をするヤツはいまいと、かえって引っ掛かりやすいものだ。
そんな単純明快な陽動の上に成り立つ今回の作戦だが――
「陽動云々の前にこの作戦は失敗だよ! 迷子って大層間抜けな理由でね!」
「キレとる場合か。ともかくユロの嬢ちゃん探して回収し、ずらかるしかない」
「レシアになんて報告すんだい……ったく、あの貧乳娘、やらかしてくれたよ」
「アリア、ユロさんは?」
「ひやっ!? レシア……」
暗闇の中、突如聞こえたレシアの声に、アリアは肝を潰さんばかりに驚いた。
「……ど、どうしてレシアがここに?」
「転移術か? レシア、お前、連日の評議会出席で教皇庁を出られへんのとちゃうかったんか?」
「それどころじゃなくて! アリア、それでユロさんは? どこなの? 一緒じゃないの?」
再び派手な爆発と閃光で、レシアの姿が闇の中から浮かび上がる。レシアはアリアの両腕を掴んで、ユロの所在を尋ねた。アリアはふと目を逸らした。
「いや、ちょっと色々あって……」
「アリア、はぐらかしてどないすんねん! レシア、悪い。わいらユロの嬢ちゃんとはぐれてもうたんや」
「はぐれたの!?」
「ごめん、レシア」
「ところで、そないに血相変えて、何があったんや? ユロの嬢ちゃんを探しとうのと、何か関係があんのんか?」
「アクスがいなくなったの! 病室から。教皇庁内を探し回ったんだけど、見つからなくて。もしかしたらユロさんのもとに向かったんじゃないかと思って」
「――って、教皇庁からここまで早馬でも一日はかかるぞ」
魔術師でもなんでもないアクスは、レシアと違って転移術など使えない。フェイはその移動に必要な時間的な事を言っていた。
「今朝はちゃんと病室にいたんだけど、夜にはいなくなってて。いつアクスがいなくなったのか、わからないの」
「朝からおらんようなったとしたら、ここまで来てる可能性もあるっちゅうことか」
「所在の知れないアクスより、とにかくまずは貧乳娘を探さないと」
アリアが言い終わらぬうちに、遺跡のある方角から、また派手に爆発と閃光があがった。
「……フィガーのヤツ、派手にやっとるな。あいつ、どないする?」
「そんなの後回しよ!」
「そんなの、って……フィガーも報われんな」
と、フェイは誰ともなくぼやいた。
かといって、フィガーのために何かをしてやるつもりもない。
それより気にかかるのは、目覚めたアクスが以前の記憶や人格を有しているのかということだが……。わいが心配しても始まらんか。どうせあいつのことや。意識や人格があろうが失われてようが、きっとやることは変わらんのやろうな。そう思うと、なんか心配した自分がアホらしくなって、フェイは闇の中、ひとり苦笑した。
「ほな、行きますか。ユロの嬢ちゃん探しに」
「フェイ、なんか楽しそうだね。二人がいなくなったっていうのに」
「あいつのことや。きっと大丈夫やって。そないな気がしてな」
「フェイ……、うん。そうだね。そうだよね!」
「でも、それはそれで複雑だよね? アクスは目覚めて、いの一番で貧乳娘のもとに行くってんだから」
「――それもそうね。私ってものがありながら……」
と、ぶつぶつとひとりごちるレシアの周囲が、急に暗くなったような気がした。闇の中でも一際暗いオーラのようなものが、立ち昇っているようにも、フェイには見えた。
「目覚めた早々、女難とはあいつも災難やな」
やれやれとばかりに、フェイは首をすくめた。