表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
38/47

第三十八話「聖櫃解呪」

 聖櫃(せいひつ)からは(まばゆ)い光が立ち昇っていた。やや高くなった台座に無造作に安置されているそれは、もはや単に美しいだけの芸術品の仮面を外され、()()()()()()ばかりに見る者を戦慄(せんりつ)させるに足る様相(ようそう)(てい)していた。


 台座から下へと垂れ込める冷気で、手足が冷える。言葉もなかった。


「ヒャハハハハハハハ!!」


 青い司祭服のゼノンが背を()()らせ、狂ったように笑った。その笑い声でユロは我に返る。先程から風の渦に足をとられて、全く身動きが取れなかった。離れた位置からでは、聖櫃の中身を確認できない。


「そこにあるものは何? 本当にそこには聖アヌスの聖骸(せいがい)(おさ)められてるの?」


 亡くなっているとはいえ、聖人が放つ魔力場はかくも絶大なものかと、またこんなにも言い知れぬおぞましさを感じさせるものかと、ユロは眉を寄せた。


 聖人とは、教えの最高峰であり、人々の救いの象徴であり、慈悲深き存在と、彼女もご多分(たぶん)()れず想像していただけに、理想との温度差を感じずにはいられなかった。


「もちろん。しかし、箱に納められていたのは、希望でも絶望でもなかったですけどね。納められていたのは蠱惑(こわく)的な欲望――私の眠れる野望を揺り起こす、忘れかけていた野心がむくむくと鎌首(かまくび)をもたげ始めるほどに、なんともはや圧倒的かつ強圧的ですらある力。きっとこの力があれば、ロアを滅ぼし、聖地ベルネチアを奪還し、イーア・メノスを世界宗教とすることも可能でしょう」

 と、ゼノンは台座の聖櫃を押し(いただ)くように、両手を広げた。


「ゼノン! 貴様、レイパード様を裏切るつもりか!!」

 鋭く叫んだのは、半身を血に染めたアギレラだった。動く右手で腰の剣を引き抜くと、ゼノンを睨み上げた。


所詮(しょせん)()びついた野心は身を(ほろ)ぼす。わきまえてますよ」

 ゼノンは奥の間をちらりと一瞥(いちべつ)した。


「それが懸命だ」


 ふらりと右(ほお)(むらさき)に染めたレイパードが姿を現す。左腕が肩口から無かった。にもかかわらず、傷口からびちゃびちゃと床に多量に垂れる鮮血(せんけつ)を気にもせず、涼しい顔でレイパードは台座へと歩を進めた。それほどの大怪我をしながら、意外に足取りはしっかりとしていた。


「左腕一本だけですか」

 言外(げんがい)に残念そうな響きを含んだ言い方だった。


「あの男をガレキの下に沈め、沈黙させるのに、これくらいの代価で済んだのは幸運だったよ。異端審問局(いたんしんもんきょく)のキミにとっては、面白い結果じゃないだろうけどね、ゼノン」


「そうですね。あなたの傷があと少し深かったなら、私の錆びついた野心ももしかすれば成就(じょうじゅ)していたかも……なんて思ったりしてますから」


「ゼノン、貴様っ!!」


「冗談ですよ」


 ポンと肩を叩かれた。いつの間に間合いを詰められたのか。ゼノンはアギレラの横を影のように通り過ぎながら、ふと先程自分たちが入ってきた暗い廊下の方に目を()った。


 一瞬ゼノンが目を向けた廊下の方を一瞥(いちべつ)して、すれ違いざま、レイパードはゼノンに向かって言った。


「キミも気付いているだろ、ゼノン。どうもねずみが迷い込んだようだ」


「では、私が害獣駆除にでも行きましょうかね。ここでのお役目ももう済んだことですし」

 と、皮肉交じりの視線をレイパードに向けても、その(めい)は変わらない。無言の瞳は「行け」と指示していた。ここで逆らえば、一刀のもとに斬り捨てられるだろうか。


 格の違いなど()うにわかっているつもりだった。 しかし、錆びついた野心がわずかに指先を動かした。その機先を制して、

「妙な料簡(りょうけん)は起こさぬ方が身のためだよ、ゼノン」

 と、レイパードが裂けるように微笑んだおかげで、ゼノンは(むくろ)にならずに済んだ。笑うというより、深い闇が口を開けているようで、慄然(りつぜん)として動けなかった。


 ゼノンは長い息を吐くと、錫杖(しゃくじょう)で床を小突(こづ)き、ユロの足にまとわりついていた風の渦をおもむろに解いた。そして何も言わず、そのまま足早に広間を出て行った。


「さてと、ボクが渡しておいた賢者の石もどきは持ってるかい? 早速仕事に取り掛かってもらおうか。ぼさっとしてないでね」


 レイパードがユロを(うなが)す。だが、彼女は動かなかった。睨むようにレイパードの肩口の傷を見詰めていた。


「キミも期待しても無駄だよ。この程度の傷で、ボクがぶっ倒れるわけはないから」


「そんな風にしか考えられないなんて、アンタってある意味、可哀想ね」

 言って、ツインテールを乱暴に振り、ユロは聖櫃が置かれてある台座へと向かった。


「レイパード様、傷の手当てを」


 自分も傷付いているのに、アギレラが心配顔で寄ってきた。レイパードはユロの背を眺めながらぞんざいに答える。


「必要ない」


「せめて止血だけでもなさらないと……」


「必要ないと言っている。()()()()()()()()()()()()()()()、余計なことを」

 吐き捨てるようにレイパード。


 アギレラは口をつぐんだ。


 胸に刺さる一言だった。

 オレのことを知りもしないくせに……


 ユロも同じことを言われたことがある。肩越しに二人の会話を耳にして、ユロはアクスのことを思い出していた。本当にそうだ。アタシはアクスのことをなにも知らないで、身勝手に生き返らせて、自分の都合で振り回して、結局アクスに二度も死の恐怖を味あわせるなんて。最低だ。きっとアクスはアタシを恨んでる。だけど、これがアタシが選んだ道なんだ。どんな犠牲を払っても、イリメラとシシリーを生き返らせるんだ。


 ユロは迷いを振り払うように軽く頭を振って、聖櫃を(のぞ)き込んだ。(まばゆ)い光に目を細める。


 中には、発光する中背(ちゅうぜい)のミイラが横たえられていた。干からびた両腕が茶褐色の胸の上で組まれている。


「頭が無い……」


 その魔が魔がしいミイラには頭部が無かった。それと左の脇腹が少し(えぐ)れている。


「気にする必要はないよ。擬似(ぎじ)的であれ、生きてるという状況を作り出せさえすればいい」


 階段の下から、(こと)も無げに言うレイパードを睨んで、

「――コイツを蘇生させたら、イリメラとシシリー、修道院にいる三人には手出ししないって約束してちょうだい」


 眉間(みけん)に深い(しわ)を刻んで、ユロは言った。この約束にどれほどの拘束力があるのか。さしてレイパードを縛るものでないのはわかりきっていた。


「なんだ、そんなことか。いいよ。それくらい」

 と、やはり即答でレイパード。


「さぁ、それじゃあ早速」


 そんなこと……それくらい……コイツにとってはイリメラやシシリーはその程度でしかないんだ。と、ユロはそのとき改めて理解した。


 手の中の『緋石(ひせき)』に目を落とす。血のように赤い(あか)をした石。その石をミイラの胸元に置いた。そしてユロは(しゅ)(かな)でる。ある決意を秘めて。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ