第三十五話「ガウロンとアシュレイ」
空を斜めに切り裂いて、紅い四つ羽の巨竜がサンクトアレスの大階段に突っ込んだ。
怒号と悲鳴が飛び交い、人々が逃げ惑う。博物館前は一瞬にして、混乱の坩堝と化した。
「騒ぐな!!!!! 愚民ども。死にたくなかったら騒ぐでない」
大階段のてっぺんで腕組みをして、ガウロンが声を張り上げた。その迫力ある大喝にあっけにとられ、その場にいた全員がガウロンを注視する。
「貴様ら何をしとる。一緒になってこっちを見てどうする。さっさと愚民どもを安全な場所に避難させんか!」
兵士たちがあわただしく動き出す。群衆を整理しつつ、守りながら竜から遠ざける。
博物館内から一人の兵士が駆け寄り、アシュレイに何事かを耳打ちした。彼は小声でそれを上司であるガウロンの背に伝える。
「中将、裏口及び地下の館内警備をしている部隊と連絡が付きません」
「やむをえん。捨て置け。今は奴だ」
ガウロンはきつく拳を握り締めた。館内の部隊に何かあったのかもしれない。
ヘタレのアシュレイは、言わずもがなのことを言う。
「中将、まさか正面警備の部隊だけであの竜を迎え撃とうというのですか? 無茶ですよ。やめときましょうよ。死んじゃいますって。死んだら元も子もないですよ」
「正面警備の部隊? 何を言っとる。ワシとお前だけで止めるんじゃ。見ればわかるだろうが。正面警備の連中は愚民どもの避難で手一杯だ」
「そ、そんなぁ。無理だぁ。無理に決まってる。完全に死にますってば、中将。増援を待ちましょうよ。一旦ここは退いて」
「逃げたければ逃げろ。強制はせん。ただし逃げたら即ニートな」
「とほほ。それは困ります。今月中にたまってる家賃払わないと、家追い出されるんですよ。失業してしかも家までなくなるって……」
「そうなりたくなかったら、武器を取れ。大陸政府軍人の誇りを見せろ!」
ガウロンは両のこぶしを打ち鳴らし、気合を入れると、サンクトアレスの大階段から飛ぶが如く身を踊らせた。
「極限にまで鍛えた我が破壊のこぶし、とくと味わうがよい!!」
右肩の筋肉が異様に盛り上がる。ガウロンはその太い腕を、四竜の横っ面に思い切り叩き込んだ。四龍の顔がぐにゃりと歪んだ。だが所詮は人のこぶし、竜に致命打を与えるには至らない。大きくいかつい竜の手が、空中で不安定なガウロンを張り飛ばした。
ガウロンの巨体はたやすく吹っ飛ばされ、博物館の外壁に激突した。外壁には穴が開き、砂埃を立てた。ガウロンの右足だけが、だらりと壁の穴から垂れ下がっているのが見えた。
それを見ていた群衆は、蜘蛛の子を散らすように我先にと逃げ出した。兵士たちの制止も聞かず、逃げ惑う。
「エストナク中尉、このままでは人々が。あっ。竜が群衆の方に顔を向けました。あんなトコに竜の吐息を放たれたら、ひとたまりもありませんよ。何人死傷者が出るか!? どうしますか!? ――って、中尉?!!」
自分に何ができるっていうんだ。相手は最大最強の竜族だ。自分にできることなんて何もない。この場から逃げよう。それが一番賢い選択だ。アシュレイはその場を走り去り、博物館の中に姿を消す。
「ふぅ、やれやれ。やはりヘタレはヘタレか」
少し寂しそうに呟いて、ガウロンはゆらゆらと身を起こした。
あれは遠い昔、思い出されたのは、かつての親友との会話。反政府組織『紫の剣団』団長シーゼリアン・グラッテが、まだ大陸政府軍東方作戦本部に在任していた頃の話だ。
「今年ウチの東部方面軍に配属になった士官候補生どもは粒揃いだぜ、ガウ。レナート士官学校を首席で卒業したソフィア・ラグ、学生の頃から竜殺しの異名をとるサガ・ローウェイン、才色兼ね備えた麗しの魔女ユリシノン・ベーゼといい、今年は当たり年だ。そんでガウ、お前さんの部隊はどいつの配属を希望したんだ?」
廊下を歩いていたガウロンに、後ろから追いついて、シーゼリアンは声を掛けた。二人と同じ濃紺の軍服を着た士官の何人かがすれ違いざまに、大佐二人に敬礼する。
「シアンか。おぬしはどうせユリシノン・ベーゼじゃろう」
「当たり前だ。あんな美人ほっとけねぇっつうんだ。それよりお前はソフィアか? それともサガのヤロウか?」
「どちらでもない。ワシはこやつにすることにした」
と、ガウロンは手に持っていた書類をシーゼリアンに見せた。
「こいつは……確か面接の際、怪我するのも死ぬのもこわいんで、できれば後方勤務に回して下さいって、ふざけたことぬかしてたヘタレ野郎じゃねぇか。なんでまた?」
「どいつもこいつも右へならえで、身命を賭して正義を貫くだの、死をも恐れぬ覚悟で任務を全うする所存ですだの、ソフィア・ラグやサガ・ローウェインのように自身の芯に己が正義を抱えているならまだしも、ただ上官に気に入られようと吐くうわべだけの言葉は聞き飽きたのだ。内容はともかくこのヘタレだけは、本心を偽らなかった。うそつきに背中を預ける気はないのでな」
「ならソフィアかサガにしとけばいいじゃねぇか。あれはホンモノだ」
「ホンモノはすでに出来合だ。ワシが教えることなど何もない。放っておいても己を磨き、さらなる高みを勝手に目指すだろう」
「だからってガウ、いざとなったらあんなヘタレ、ものの役にも立ちゃしないぜ。やばくなったら仲間裏切って、真っ先に逃げるクチだ、ありゃあ。悪いことは言わねぇ。やめときな。モノになりゃしない」
鼻血を乱暴に袖で拭うと、ガウロンは茫と四竜を見遣った。
「シアン、おぬしはああ言ったが、今となれば言えた義理か。軍を去ったおぬしが……」
四竜が鎌首をもたげる。逃げ惑う大衆を凶暴な光を帯びた紅い目が見下ろしていた。
その目を目掛け、博物館の屋上から一人の青年が剣を手に、無謀にもダイブした。涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、悲鳴にも似た雄叫びをあげて、四つ目のひとつに剣を突き立てる。
「――――死ぬほど恐いクセに。逃げればいいものを……あのバカ」
今度は少し嬉しそうに、ガウロンは呟いた。
痛みのせいか、四竜は金切り声でいななき、後ろ足立ちで上体を反らした。そして、はげしく首を振った。鼻先に取り付いたアシュレイを振り落そうと。
「あと三つ。残りの目を潰すまでは、死んでも放すものか」
視界を塞げば、少しは被害を抑えられる。闇雲な攻撃が当たる可能性は低い。竜を倒すことは無理でもせめてもの抵抗だ。アシュレイは必死の形相で、竜のごつごつとした横顔にしがみつく。潰れたカエルみたいな無様な格好だった。けれども、ガウロンには誇らしく見えた。
「うおぉぉぉぉぉぉぉぉっ‼」
己を奮い立たせるように吠え、アシュレイは右側のもう一つの目にも剣を突き立てた。四竜はのけぞる。返り血で鱗を掴んでた手が滑った。アシュレイの体が宙に投げ出される。あと左の目二つなのに……、とアシュレイは届かぬ手を伸ばした。この高さから落ちたら死ぬというのに、そんなことを先に思った。
どうしてこんな分不相応な馬鹿げた真似をする羽目に至ったのだろう? 逃げればよかった。いや、それも無理か。中将の背中をずっと見続けてきたからな。力も伴わないのに、要らぬ大陸政府軍人の誇りとやらだけが、身に付いていたようだ。
「自分には荷が勝ちすぎだったか。ヘタレが何やってんだ。バカみたい……」
同期のサガや中将のような英雄には、どうあがいてもなれないのは、わかっているつもりだったのに。アシュレイは落下しながら、自虐的に微苦笑した。
「おぬしはヘタレでもバカでもない! れっきとした誇り高き大陸政府軍人よ!! よくやった。後はワシにまかせぇい」
どこから取り出したのか、ガウロンは火の点いたダイナマイトを、アシュレイの落下予測地点に無造作に放り投げた。竜の足元でダイナマイトが炸裂。その爆風でアシュレイは真横に吹っ飛ばされ、博物館の壁にぶち当たり、よろよろと地面に落下した。骨の何本かは折れただろうが、あの高さから直接叩き付けられるよりか、いくらか生存確率は上がるだろう。
ダイナマイトの爆発でバランスを崩した四竜に、ガウロンは仕掛ける。鱗で覆われた場所はダメージを与えられずとも、剥き出しのその目なら。アシュレイが教えてくれたことだ。
ガウロンは跳躍した。拳を打ち鳴らし、肩を開き、両腕をめいっぱい広げ、
「このトカゲ野郎が! 目にもの見せてくれるわ!!」
左の紅い二つ目に左右両拳を同時に叩き込んでやった。
四竜は半狂乱でいななき、のた打ち回る。
「あれじゃあ、正面からは博物館に近付けませんね」
強靭な尾を振り回して石段を破壊し、羽をばたつかせて強風を生み出す四竜。無数のガレキを跳ね上げ、狂ったように暴れまわる。それを眺めて、手が付けられぬとばかり、フィガーは首をすくめた。
「仕方ないですね。裏に回りましょうか」
レシアの提案に「そうだな」と返事をしかけたアクスを遮って、不意に轟音と一条の光が博物館の屋根を破壊し、天へと突き抜けた。
逃げ惑う群衆が一瞬足を止める。直後、どよめきが起こった。
立ち昇る光の余韻に不穏な影を認めて、アクスの口からはこう言葉が衝いて出ていた。
「いや、正面突破だ」