第三十四話「それぞれの覚悟と正義」
風の広場では、舌をだらしなく垂らし、青黒い竜が伸びていた。どういう経緯でこの竜が倒されたのかはわからないが、誰が倒したのかならわかる。
広場には、剣を手にした三人の男女が、二頭の竜を相手に激しい戦闘を繰り広げていた。そのうちの一人に見知った顔のヤツがいる。
サガ・ローウェイン――自分を殺した相手の顔を忘れようはずもない。
「アクス、どうしたの?」
急に立ち止まったアクスを、怪訝な顔つきでレシアが顧みた。
肩で息をしながら、サガは自分に向けられている視線に気付いた。そのほんのわずかな油断が、戦場では命取りになることを知っておきながら。
「大佐っ!!」
ヴィノアが叫んだ。鞭のようにしなる竜の太い尾が、サガの目の前に迫っていた。避けようがない。これをまともに喰らえば、よくて全身骨折、悪くて内臓破裂といったところか。いずれにせよ、戦闘不能には違いない、とサガは冷静に思った。
アクスは迷わず剣を抜いた。
「煉鎖一式、開錠。唸れ、蒼き炎狼シュッテンバイン! 魔堂門の三叉火柱!!」
蒼い火柱が竜の尾を跳ね上げた。軌道が逸れる。
「フィガー、私たちも」
「はい。怨鎖三式、開錠。翔けろ、双墜の風鷲ダーダネルス! 魔弾……」
「それには及びません! ヴィノア中尉、シェスカ少尉」
二人の雷鋭剣がそれぞれ竜の硬い鱗を切り裂いた。竜の注意が二人に向く。悲鳴に似た狂おしげな鳴き声を上げ、二頭の竜はぶんっと強く尾を振るった。それを機敏に躱し、ヴィノアとシェスカはヒット・アンド・アウェイ戦法をとる。
竜殺し――ベオフリートの英雄は、ゆっくりとアクスの方を向き直った。至る箇所の紫瘴痕から、惜しげもなく血を流しながらも、そこに立つさまは英雄と呼ぶに相応しい。威風あたりを払う立居姿だ。
「さっきの蒼い炎――私どもが追っていた蒼炎の魔装顕士の正体があなたとは。生きていたのですね。でも、なぜ? 私を殺そうとしていたあなたが、私を助けるのです?」
「シーゼリアンのおっさんを殺したの、あんたじゃなかったんだな」
アクスの胸元で黒いロザリオ・キーが揺れた。
「なるほど。誤解が解けたというわけですか。しかし、あなたがその事実を知っているとなると、唯一あの時の事実を知るレイパード・フォン・エルファレオと、なんらかの接触があったとみるべき。それにあの人造人間と思しき異形の人型のこともあります。あなたから詳しく事情を聴く必要がありそうだ」
冷静な殺気を切れ長の瞳に湛え、静かにサガは右手の白刃を振った。そして、アクスに向かってゆっくりと近付いていく。
「あんたの慧眼には感服するよ。けど、オレにはあんたにかかずらあってるヒマはない。もし、邪魔をするというのなら、あんたを倒してでも、オレは行かねばならない」
と、まっすぐ正面に立つサガの目を見据え、アクスは答えた。そこには強い意志があった。なんとしてもユロを救い出すのだ、という揺るぎない意志。
「一度は私に敗れた身。わかっているとは思いますが、いくら紫瘴化で弱ってるとはいえ、私はそうたやすくないですよ」
二人は睨み合う。サガが提げる白刃がぎらりと鈍い光を放つ。
「レシア、フィガー、二人は手出ししないでくれ」
レシアが何か言おうとしたのを、フィガーは手で制した。サガの手が動いた。
ぎぅんっ!! シュッテンバインとペルギュント、二体の悪魔を封じる魔装の剣が甲高い金属音を響かせた。次の瞬間には、互いの剣尖が互いの首にかかる。わずかに触れる刃先。首筋に血が滲んだ。
「剣を引く気はありませんか?」
「引かねぇよ」
「殺しますよ?」
「殺せるものなら。ユロを救い出すまでは、何があってもオレが倒れることはない」
本気の目だ。静かながらも闘志を湛えた迷いの無い目だ。
ふっとサガは殺気を解いた。
「二年前の私には、今のあなたのような覚悟はなかった。私にあなたを止める資格はなさそうだ。どうぞ好きになさい」
と、サガは道をあけた。
「そうさせてもらう」
と、アクスは彼の脇をすり抜けた。
サガはその背に一言、
「後悔無きよう」
それは誰に向けての言葉であろうか。アクスの背中が過去の自分と重なった。自分の正義も常にああまっすぐありたいものだと思った。サガは再び向き直った。目が霞む。これ以上の魔装開錠は、死を避けられぬものにするだろう。だけど、彼は誇り高き大陸政府軍人である。それでも再び戦場へと臨むのが、サガ・ローウェインという男だった。
叩き付けられた竜の尾が石畳を破壊し、ガレキのブロックを四方へと跳ね上げた。そのうちの一つが、走っていたヴィノアの膝を直撃。大きくバランスを崩し、転倒した彼女の上に巨大な足が!? ――踏み潰される。ヴィノアはぎゅっと目を閉じた。
ぎごっ。いやに鈍い音。そして、次にはシェスカの鋭い声。
「ダンナ!! 無茶だ。もう五発も光の矢を放ってるんだ。いくらなんでもそれ以上、摩装を使い続けたら……」
目を開くと、サガが光のドームで、竜の巨大な足を受け止めていた。しかし、それは魔装ペルギュントの力によって張られた光の盾。瘴気は容赦なく体を蝕む。サガは激しく吐血し、血の塊を吐き出した。紫瘴化はすでに内臓にまで達している証拠。もうさほど長くは持たないだろう。
「……中尉、後はまかせましたよ」
サガが微笑んだ。悲しいまでに、ヴィノアの理解は早かった。サガはなにも彼女を救ったのではない。自分の紫瘴痕と彼女の傷を比べたまでのこと。どちらが生き残る方が、この竜を倒し、街や人々を守れる可能性が高いのかと、冷徹に判断した結果だ。
「さぁ、早く。中尉……」
だが、彼女がサガを置いていけるはずもないことを、彼はわかっていなかった。ヴィノアは優しくサガの背を抱いた。
「あなたをひとりで死なせはしない」
無言で振り返ったサガは、困ったような戸惑った表情を見せた。唇が近い。これで死ぬのならと、ヴィノアは唇を重ねようと顔を近付けた。サガの唇が何かを言おうと動いたが、その声ははげしく風を割く音に遮られた。
サガは音のした方を振り返る。つられてヴィノアもそちらに顔を向けると、無数の矢と弾丸が雨のように二頭の竜に降り注いでいた。
また四方八方から放たれた鎖が竜の巨体にからみつき、その自由を奪う。そして、「えいっ! おー!!」の掛け声とともに、どこから現れたのか、濃紺の軍服を纏った多数の兵士たちが、力任せに鎖を引いた。すると、巨体がどうっと引き倒され、竜は地面に倒れ伏したのだった。
「どうやら間に合ったっすね。しかし大佐、いつものしゅっとした男前が、ムラサキ血みどろで見事なまでに台無しっすね」
レンガ造りのアパートの屋上から、一人の青年がひらりと舞い降りた。みなと同じ濃紺の軍服。細いフレームの金縁眼鏡。腰には十丁近くの銃を差している。両手にも銃を持っており、それをくるくると器用に操りながら歩いてくる。なかなか軽薄そうな色男である。
「リック准尉、どうしてあなたがここに?」
そう言われて、リックはきょとんとした顔をヴィノアに向けた。
「私が独断で部隊を遺跡から召還しました」
ヴィノアはサガが列車を降りたときに呟いた「部隊をサラテールに置いてきたのはまずかったかもしれませんね」というあの言葉を、聞き逃していなかったのだ。
「上官の命なく部隊を動かすなど言語道断です。その結果、私が救われたとしても、重篤な軍規違反を見逃すわけにはいきません」
「ちょっと待って下さいよ、大佐。そりゃないでしょう」
「いいんだ、准尉。悪いのは私だ。申し訳ありません。いかな処罰も甘んじて受ける覚悟です」
ヴィノアは首を垂れ、恭順の態度を示した。
「ただリック准尉以下、部隊の者たちはなんの関係もございません。すべては私の独断」
「いや。だったら実際、部隊を動かしたオレも同罪っす」
「たしかに准尉、あなたもあなたです。ロクに命令書も確認せず、部隊をこんなところまで……あきれてものも言えません。けれど、そんな性格も中尉は見越していたでしょう。主犯はあくまでヴィノア中尉。だから今回は中尉、あなたにだけ二か月の減給三十%を課し、それをもってこの件は不問にします」
「ご寛大な処置、感謝致します」
リックは冷ややかな顔付きでそれを聞いていた。だけど、ヴィノアがそれで満足しているらしかったので、口を挟まなかった――そのとき!?
「准尉、もうもたねぇ! ハンパねぇ力だ。抑えらんねぇ!」
「鎖を放せ! 跳ね上げられんぞ!!」
「一時退避! 竜から離れろ!」
鎖が波間に漂う海草のように、たやすく跳ね上げられ、空を舞う。あれだけの矢と弾丸を喰らっても、まだこうも動けるのか。強引に鎖を引き千切り、竜が起き上がった。
「おい、マジかよ。嘘だろ? とにかく竜の吐息を放たせるな! 口の鎖は死んでも放すんじゃねぇ!」
リックが怒鳴りながら、竜に向かって駆け出すと、サガはぼそりと言った。
「命拾いしました。中尉、あなたのおかげで。私はまた諦めずに済んだ」
「大佐……」
「生きて帰れたら……、減給期間中、毎日ランチをご一緒して下さいな。おごりますよ」
珍しくサガはにっこりとヴィノアに笑いかけた。
ヴィノアはそれだけで舞い上がりそうになった。なのにプラス、これから二か月間毎日、大佐とランチをご一緒できるなんて。最高の減給だ。周囲の女性士官たちの羨む顔が目に浮かぶ。それを想像するだに頬が緩んで仕方がない。絶対にこんな所で死んでたまるか!
「あともうひとふんばり。行きますよ、中尉」
「はい! 大佐」
ヴィノアはいつになく気合の入った返事をし、戦場へと再び臨むのであった。