第三十三話「フェイとアリア」
「随分と出遅れちゃいましたね、フレーディア卿」
フィガーがレシアに話し掛ける横合いから、
「仕方ないだろ。アクスの調子が悪かったんだから」
「すまん」
「走りながらしゃべっとったら、舌噛むで」
大通りから少し外れた、やや細い路地を五人は走っていた。
「ああ、違うって。そういう意味で言ったんじゃあ……」
アリアは言いかけてやめる。ちょうど頭上を巨大な竜が追い越していく。大きな影。
「……大大陸博物館の方に向かってる」
「追いかけよう」
アクスが言ったまさにその瞬間、光の直線が空を割き、次々と竜を射落とした。そのうちの黒い一頭が真っ逆さまに、アクスたちの真上に落ちてくる。
「避けろ!! 巻き込まれるぞ」
アクスが叫んだ。凄まじい轟音と砂煙が上がる。竜の巨躯が周囲のレンガ造りの家々を軽く押し潰した。それはまるで、紙の空き箱がへしゃげるようなあっけなさ。
「フレーディア卿、お怪我はありませんか?」
「うん、私は大丈夫。ありがとう、フィガー」
腕の中のレシアは無傷。一番近くの彼女を抱き抱えて、フィガーは横に跳んでいた。
レシアとフィガーの姿は確認できた。けど、残り二人の姿が無い。
「フェイ、アリア!」
アクスは辺りに呼び掛けた。その返事を遮って、ひと声、竜が高くいなないた。
やばいっ!? この状態では、竜の吐息をまともに喰らう。竜の顎が真上にあるのだ。正面や斜めからの吹きおろしであれば、魔堂門の三叉火柱で防ぎようもあるが、真上ではどうしようもない。地中から垂直に上がる三叉火柱では、自分たちも焼き払う羽目になる。自分はともかくレシアとフィガーがまずい。
そう思考していた矢先、近くの煙突が倒れてきて、竜の顔面に直撃した。竜はバランスを大きく崩し、どうっと横倒しになる。いや、バランスを崩したのではない。崩されたのだ。首に流星錘が絡みついている。アリアによって引き倒されたのだ。
そうだとしたら――
「早よ、行かんかい! ここはわいが引き受けた」
やはり煙突を倒したのは、フェイの仕業か。
「うぇーん、うぇーん。おがあぁさん、おかあさん……」
「一体何が起きたというのだ? アパートで寝ていたと思ったら」
「な、なんだ! あれは。ひぃ、ひいぃぃぃ。ババケモノ!」
「誰か主人を助けて下さい! ガレキの下敷きになってるんです」
もうもうと舞い上がる砂塵で視界が遮られる。複数の住民と思われる人々の声はすれど、向こうの様子はまったく掴めなかった。
「フェイ、アリア、無事か?」
同じく砂煙で姿は見えぬが、声は答えた。アリアの声だ。
「こっちは大丈夫。でも、放ってもおけないから、アクスたちは先行って」
「アリア、お前も行かんかい!」
「そうもいかないだろ。フィガー、レシアを頼んだよ」
「もちろん。命に代えてもフレーディア卿はぼくが守ります」
「くれぐれも頼むよ。さぁ、焼かれないうちに行きな。あいつの気は私らで引くから」
再び竜が鋭くいなないた。それは全てを焼き尽くす竜の吐息の前兆だ。竜の顎がアクスたちの方を向いていた。
「レシア、フィガー、ここは二人に任せて行こう」
「言われなくてもわかってます。さぁ、フレーディア卿、お手を。行きましょう」
「アリア、フェイ、絶対死んじゃダメなんだからね! いなくなったら許さないんだから」
後ろ髪引かれる思いでレシアは二人を残し、その場を後にした。
アリアは流星錘を竜の鼻先の角に引っ掛けると、無理なく竜の首の可動域に合わせて、ちょうど鼻輪の付いた牛を引くような感じでひもを引いた。すると、竜の顔がやや左に傾いた。アクスたちは二人を信じ、背中を預ける。竜の吐息が放たれたものの、わずかに逸れた。振り返りもせず、アクスたちはまっすぐ駆けて行った。
「絶対死ぬなだってよ。難しい注文だな」
そう言うフェイは満身創痍であった。近くの子供を庇い、もろにガレキの直撃を喰らっていた。
「ガラスの破片であんた、ハリネズミみたいだしね。出血多量でぽっくり逝くんじゃないよ」
どうにか立っている状態だった。
「わいのことなんか放っといたらええのに、お前も物好きやな」
「そうしたいのはやまやまだったんだけどね。そもそも私がいなかったら、さっきの竜の吐息はどうしてたんだい? って話だよ」
「なんとかしとったわ」
「そうだろうねぇ。けど、その命を投げ出して、だろ?」
アリアにはすべて見透かされていた。ぐうの音も出ないフェイを横目で睨み、彼女は二の句を継いだ。
「それにあんたみたいのでも、いなくなるとレシアが悲しむからね。でも、思いっきり貧乏くじ引いちまったよ。瀕死の魔装顕士連れて、パンピーの私が、あのデカブツ相手にしなきゃいけないんだからね」
「せやから先行け、言うたのに」
「私はアクスやフィガーみたいに人間できてないんだよ。あんたみたいのを信じて自分の背中をまかすなんて、とてもじゃないけど恐ろしくてできっこないね」
よく言うよ。お前が残るって言ったから、あいつらも安心して、先に行ったっていうのに。フェイはあえてそれを口にしなかった。巨乳の頼もしい同僚を横目で見つめ、
「おおきにな」
ただ一言、聞こえないようそう呟いた。