第三十二話「ヴィノアとシェスカ」
そのとき、室内の壁掛け電話がけたたましく鳴った。
「中将、第二師団のサガ・ローウェイン大佐からお電話です」
アシュレイが取り次ぐ。
「サガといえばアシュレイ、貴様と同期の。かたや大佐、かたやいまだ万年中尉とは」
嘆息交じりのガウロンに受話器を渡すと、アシュレイは小言の多い上司の視界から外れるように、部屋の隅に移動した。ガウロンは軽く咳払いをして、
「今、取込中なのだが。急ぎの用でなければ、後にしてもらいたい」
と、電話口にむかって性急に告げた。相手は構わず話し出した。
「まもなく五頭の竜が旧市街を抜けます」
「おぬし、セントラルに戻っておったのか?」
「ええ。それより防衛ラインの構築は?」
「ガラクタを見に来たバカ共の避難誘導が先で、そこまで手が回るか」
予想以上の人間が、しかも一カ所に無秩序に集まった状態では、避難の為の人員整理も思うようにはかどらない。その様子を上から眺めていたガウロンは、苛立たしげに電話口に向かって続ける。
「それに言われなくとも、竜ならもうとっくに見えておるわ。だから、群衆どもがパニックを起こさぬよう抑えるので必死だ。他に用がないなら切るぞ」
「風の広場にて竜を迎え撃ちます。もし、抜けられた場合、すみませんが後はよろしく頼みます」
「それを言うために? 部隊は一緒なのか?」
「いえ、部隊はまだ遺跡の方に。それでも大陸政府軍人なら、守らねばならぬでしょう。人々を、街を。そして、正義を」
「おぬしの口から聞くと、そんなセリフもちっともくさく聞こえんな。死ぬなよ、竜殺し」
「ええ、もちろん。あと――」
と、サガが言いかけた折、何の前触れもなく、電話がぷつりと切れた。レキとレイパードのことを話しておきたかったのだが、何度かかけ直すもその後はずっと不通だった。
「大佐、そろそろ」
「広場の封鎖はほぼできてるよ、ダンナ。街の連中が協力してくれた」
電話線を切断し、連絡を遮断。個々を孤立させるのは常套手段か。竜という存在に気を取られ、少しばかり後手に回った感は否めないか。サガは受話器を置きつつ思った。
レイパード・フォン・エルファレオのことは、あの男にまかす他あるまい。今、サガの眼前にある使命は、人々を、街を、竜の脅威から守り抜くことだ。
電話ボックスを出ると、コーヒーの香ばしい香りがした。落ち着いたシックなカフェ。初老の紳士が素知らぬ顔で、カウンター内でグラスを磨いている。
「マスターも避難した方が……」
「ワシはお前さんが洟垂れ悪たれの時からここで店をしとるんじゃ。店を失うことはもう死と同意。今更動く気にはならん。わかったならさっさと行け。お前さんが守れば済むことじゃ」
「そうですね」
マスターはふんっと鼻を鳴らして、サガを広場へと送り出した。その背にヴィノアとシェスカが付き従う。カランコロンとドアベルが小気味のいい音をたてた。
「ヴィノアさん、シェスカさん、二人の命、私に預けて下さいますか?」
「水臭いよ、ダンナ。あたいはどこまでもダンナに付いてくって決めてんだから」
「わわわ、私もです、大佐!!」
シェスカより出遅れた。私の方が大佐をお慕い申し上げてるというのに。一生の不覚だ。
いよいよ五頭の竜が迫っていた。まずは空から引き摺り下ろさなければ。
「感謝します。では、二人とも付いて来て下さい。守り抜きますよ、人々を、街を、正義を!」
と、サガは愛剣を抜き連ね、広場中央へと進み出た。
空の王者たる堂々とした威容を誇り、五頭の竜が姿を現す。
「劫鎖二式、開錠。照らせ、最果ての極帝ペルギュント。無明崩牙の魔矢!」
先頭の竜の左羽を切り去り、光の直線が空へと抜けた。戦闘の口火が切られた。
息を整える間をも惜しみ、次弾を放つ。右腕が真紫に染まり、血を噴こうがお構いなしに、サガは立て続けに四発の光の矢を放った。
「ダンナ……っ⁉」
二頭目の竜も左翼を切り裂かれ、まっすぐ斜めに落下する。三頭目も羽の付け根をやられ、成す術なく重力に負け、きりもみしながら空を落ちる。四頭目の青い奴に至っては腹を貫かれ、苦しげにいななき、近くの煙突に激突して、真っ逆さまに広場端に墜ちた。
最後尾の四つ羽、四つ目の赤い一頭――四竜は右の前羽を撃ち抜かれるも、残り三枚の羽で器用にバランスを取り、時計塔脇をひらりと飛び過ぎた。
「一頭、撃ち損じましたか……」
紫瘴痕が葉脈の様に至る箇所に及んでいた。両腕はすでに血まみれだった。しかし、油断なくサガは二人に言う。
「あれぐらいで仕留められるほど、甘い相手ではありません。四頭はここで絶対に食い止めますよ」
『はいっ!!』
ヴィノアとシェスカは腰の剣を抜き放った。思いは一緒だ。これ以上、サガに無理はさせられない。自分たちがなんとかしなきゃ。二人がサガを庇うように前へ出た。
「七なる風の眷属よ、汝は光、裁きの光。その天より轟くは電霆、閃くは稲妻、其は雷。我が研ぎ澄ませし刃に舞い降りよ! そして、立ち塞がるすべてを薙ぎ払え、雷鋭剣!」
ヴィノアの手にする剣が雷電を纏う。唯一使える魔術でヴィノアは自身の剣を強化する。すなわち魔法剣だ。
「中尉、あたいの剣にも頼むよ」
「こういうときだけ中尉? 仕方ないわね」
と、ヴィノアはシェスカの剣にも雷電を纏わせた。
むくりと茶色の竜がその巨体を起こした。耳をつんざく咆哮。ぐわりと鎌首をもたげると、その竜は三人を見下ろして、大きく息を吸い込んだ。
「来るよ」
「はいよ!」
竜の吐息が来る。
ヴィノアは眼鏡のブリッジを人指し指で押し上げると、一歩前へと踏み出した。