第二十八話「唐突な別れ」
――――夜も更けた。一行は考えていた以上に宿探しに難渋した。
ちょうど二日前、セントラル駅の全面封鎖に伴って、レアオーン公国アリアド山にて二十七番目の新しい遺跡が発見されたと、大陸政府の正式発表があったからだ。しかも八日後には運び込まれた――新遺跡から出土した――いくつかの遺物を、大大陸博物館において初公開するという。新聞各紙は一面で、その歴史的ニュースをこぞって報じた。
遺跡の発見は実に一〇〇年振り。当然、主央都アーサーベルは世紀の大発見に沸いた。
そのため、取材陣やら各国の学術関係者、遺物を一目見ようと早くからやって来た一般観光客などで、中心街はごった返し、宿はどこも満室だった。だいぶ離れた郊外まで一行は歩きに歩いて、ボロい宿屋の一室をやっとのことで確保したのだった。
夕食は結局、道すがら見掛けた屋台で済ました。常にアクスの両隣りにはレシアとアリアがいて、宿に着いてからもろくすっぽ話せなかった。
みんなが寝静まるのを待って、ユロはこっそりとひとり、宿を抜け出した。
明日、アタシがいなくなって、アイツはどう思うのかな……って、感傷に浸ってどうする? 思い違いをしてはいけない。目的はあくまでイリメラとシシリーを蘇生させることだ。言うなれば、アクスはその手段でしかない。今、最優先にすべきことは、二人の安全を保障すること。二人の身体が破壊されたら、蘇生どころの話でなくなるのだ。
真夜中の空気は凛と冷たく澄みきっていた。
ベルネスク調の最高建築と謳われるローベンの時計塔を中心に、同じ建築様式を取り入れた石畳が広がる。地元では、風の広場と呼ばれている。その広場の真ん中、儚げに空に手を伸ばす天使ハスメエラの彫像がある噴水前で、レイパードは待っていた。
「よく来たね」
西に傾く欠けた月が、青白く彼の姿を照らし出す様子は、どこか神話めいた趣があった。
かけらの笑みも浮かべず、ユロは相対する。
ごく自然な動作でレイパードは腰の剣を抜き放ち、
「ひとりでって言ったのに。余計なのを連れてきちゃうんだから」
咎めるというよりも、むしろ楽しんでいるといった風情で、
「さっさと出てきなよ」
ベンチの影に声を投げた。屈めていた影が身を起こした。
立ち上がった人影――それはアクスであった。
「どうして、アンタが……」
「ホームで見たお前の顔、泣いてるようだった」
レイパードから一切視線を外すことなく、ただアクスはそう一言洩らした。
ちゃんとアタシを見てくれていたんだ。アタシのために来てくれたんだ。心から嬉しかった。だけど、だからこそ、アクスにはここに来てほしくなかった。誰もこの男に敵うハズもないから。理性で感情を無理矢理抑え付け、別れを受け入れたというのに。
「アンタの顔見たらアタシ……」
決意が揺らいだ。
「下がってろ、ユロ」
アクスも剣を抜き放った。
決心が鈍った。わかっていたハズなのに、ユロは一歩後ろに下がってしまう。アクスの優しい言葉を強く拒絶できなかった。
「キミは団長お気に入りの……たしか、アクス・フォードとかいったっけ? これまた懐かしい顔が。しかし、ここでの再会は奇遇ではなさそうだね」
少し想像力のある者なら、レイパードの口振りから二人は顔見知りで、しかも紫の剣団つながりであることは容易に思い至るであろう。
「やる気だね。カタキでも討ちに来た?」
「カタキ?」
「おっと、要らぬ失言だったようだ」
と、おどけてレイパードは舌を出した。
「何を隠している? 言え」
「随分な口の聞き方だねぇ。隊長に向かって」
「元隊長だ。今はなんの関係もない」
レイパードは過去、紫の剣団四番隊々長を務めていた。ちなみにアクスとフェイは一隊員として一番隊に所属していた。
「実は団長を殺したの、ボクなんだ。おどろいた?」
酷薄な笑みを浮かべ、レイパードはわざと告白した。アクスがどんな反応を示すか、完全に面白がっている。しかし、アクスは意外に冷静だった。
「だとしたら、お前が混沌教団のグレイ・ハウンドか?」
「よく知ってるね」
「探す手間が省けた」
アクスは淡々と言う。自分でも驚くほどに落ち着き払っていた。ふっとレイパードの顔から笑みが消えた。
「……つまんない。退屈しのぎにもならない」
驚きも怒りもない。取り乱しもしない。期待外れの反応に、レイパードは興味を失ったようで、すっと腕を天に向かって伸ばした。
もはやそこに言葉は必要なかった。
灰色の剣の刃先が振り下ろされる。刀傷からレイパードの頬が紫に染まった。目には狂気が走る。口角が牙を誇示するドラキュラのように広がった。
「ククククククククク。切り裂かれなよ」
直線的な灰色の斬撃が、アクスに襲い掛かった。広場の石畳を次々、跳ね上げて飛来する。斬撃というより、砲に近い威力。アクスは飛び込み前転でとっさ、避ける。灰色の斬撃は真鍮のガス灯をたやすくへし折り、曲線を描いて濃紺の空へと突き抜けた。
身を起こすなり、アクスはダッと石畳を強く蹴ると同時――
「煉鎖二式、開錠。唸れ、蒼き炎狼シュッテンバイン。魔衛番の蒼炎刃!」
ぎぅんっ!! 金属が鳴いた。はげしく両者の剣が交錯するのも束の間。腰を落とし、下からの鋭い突きが、アクスの喉を捉える。かろうじて首の可動範囲いっぱいまで傾げ、なんとか躱し切るも、その攻撃はフェイクであった。
「美しくないスタイル。戦闘センスのかけらもない」
左手の重い正拳突きを鳩尾にまともに喰らう。即座、アクスは後方に飛び退いたものの、胃の内容物をその場にぶちまけた。
さらに間髪入れずに乱れ飛ぶ、一撃一撃が突拍子もなく重たい剣撃が、アクスの体力を削っていく。荒く息がはずむ。反撃の余地もない。受け止めるのが精一杯だった。
「ビビった時こそ一歩前へ踏み出せ!」
昔、そんな安っぽい金言を吐く大人がいた。ふと、アクスは無精髭を生やしたとあるおっさんの顔を思い出す。
アクスはぐっと一歩、前へと踏み出した。
がぎっ。蒼剣と灰剣が噛み合い、鍔迫り合う。レイパードは力任せに相手の剣を跳ねのけるや、右手から水平に胴を薙いだ。最低限の動作、半歩後ずさり、ギリギリを避け切る。すかさずレイパードが手首をひねった。斬撃の軌道が反転した。
来る。左から。
跳ね上げられた蒼剣を、アクスは上から下へと振り抜いた。剣の腹を叩かれた灰剣は一気に沈み込み、むなしく空を切った。
だが、振り下ろした剣の柄ごと拳を掴まれた。アクスは刃先の自由を奪われる。
羽を散らして無造作にはばたく鷲のように、兇暴な灰剣が勢いよく水平に舞い上がった。
「一歩踏み出したのは良かったが。……剣に頼り過ぎだね。攻撃が単調なんだよ。チェックメイトだ」
アクスの胸にその切っ先がすうっと吸い込まれ――――
「――――っゃ!?」
ユロの声にならない悲鳴。ついで耳の奥でなにかが砕ける音がした。
咳き込むとどす黒い血の塊。だらりと両手が垂れ下がり、全く身体に力が入らなかった。
レイパードが剣を引き抜くと、支えを失ったアクスの身体は、高所から落ちる紙人形さながら、ゆるりとした動作で倒れ込んだ。
そういえば、オレが聞くと、いつかユロがこんなことを言ってたっけ――
「そんでその核石とやらは、オレの身体のどこにあるんだ?」
「心臓の裏側よ。そこは死んでも絶対に守りなさい」
――って。……守りきれなかったな。ユロも何もかも。
「最後に人型が宿る魔装の正式開錠を見せてあげよう。さぁ、跡形もなく灰に帰せ。囚鎖一式、開錠。尽きろ、廃絶の灰皇……」
「やめて!! ……お願い」
ユロが叫んだ。つらそうに顔を歪めて。
「……もういいでしょ? 既に勝負は着いてる。アタシはちゃんとアンタに協力するから」
レイパードは少し困った表情を見せ、少しばかり黙考する。
「う~ん……わかったよ。へそを曲げられて、千載一遇の『合聖神化』の機会を台無しにするわけにもいかないしね」
不満気な感じではあったが、レイパードは剣を納めた。
「命拾いしたね。どうせ同じことなのに」
核石を失ったアンデッドはやがて土に還る。だけど。ユロはわずかでもアクスに生きていてもらいたかった。ただの自己救済な思いかもしれないが……。
東の空が白み始める。
悲壮に眉をひそめて、最後にユロは振り返った。今にも目の端の涙がこぼれそうだった。
「ごめんなさい」
去り際の彼女の言葉を風が運んだ。レイパードと共にユロの背が朝もやに消えた。
むなしくも不甲斐なく、一人残されたアクスはその場によろよろと立ち上がった。
「ちげぇよ、バカ。オレが礼を言うことがあっても、お前が謝ることなんてなにもない」