第二十五話「ユロの性分」
「ここにいたんだ……」
アクスはラウンジにいた。
背を向けたまま、アクスは決まり悪そうに頭を掻いた。
ユロはいつもの調子で言った。
「何、朝なのに黄昏てんのよ。代わり映えしない緑一色のそんな風景、見てて楽しいワケ?」
ほんのわずかな沈黙。
「ちょっと隣……いい?」
「ああ」
依然、窓の方を向いたまま、アクスは無愛想に返事した。
「なんだろう? あの微妙な距離間は?」
「あれは二人の心の距離だね。まだ付け入るスキはありそうね」
物陰から、ピーピング・トムさながら、レシアとアリアがこっそりと二人の様子を窺う。
「でも、ちょっと安心した。死んだことを伝えたときもそうだったけど、アンタって自分のことには全然関心が無いみたいで。どこかいつも冷めた感じだったから。あんな風に感情を露わに怒鳴ったりもするんだって。驚いたけど、なんか身近に感じた」
そう話すユロの横顔は、とても優しげでなんだか面映ゆかった。アクスは鼻の頭をぽりぽりと掻いた。どう返したらいいか、わからず黙っていると、
「アンタ、妙なコト考えてたでしょ? アタシにはわかるんだから」
「妙なコトってなんだよ?」
「行くわよ! アーサーベル」
「ちょっと待て。なんでそうなる? アーサーベルに行けば、お前に危険が及ぶ。わざわざ危ないとわかってる場所に、自分から出向かなくてもいいだろうが」
「じゃあなぁに。アンタはアタシを置いて、一人で行くつもりだったり?」
「うっ……」
「アタシを置いてかない、ってアンタ、昨日の夜、約束したわよね?」
「………………」
「アタシの身を案じてくれるのはうれしいけど、得体のしれない、よくわかんない組織に、いつまでも狙われ続けるのも気味が悪いわ。さっさと白黒はっきりさせときたいって思うのがアタシの性分なワケだし」
「性分って……」
「――シーゼリアンって人、アンタにとって大切な人だったんでしょ? 大切な人の死の真相を知りたいって思うのも、大切な人の敵を討ちたいって思うのも、ちょっとはアタシにもわかるしね」
ユロも大切な人たちを失っている。アクスの気持ちは、痛いほどわかるはずだ。事実、彼女がすべてを代弁してくれていた。
「だから、アーサーベルには行く。アタシも一緒に、アンタとね。当初の目的プラス混沌教団とやらをぶちのめしに。いい? 文句ないわねっ!!」
こちらの意見など関係ない。否応なしの強い口調。
「かなわねぇな……ありがとな、ユロ」
「べべべ別にアンタのタメとかじゃないし。死者蘇生の手掛かりを探るついでなんだから。そう、ついでよ、ついで」
「絶対にユロを危険な目には遭わせない。オレがお前を必ず守るよ」
「……………………うん」
アクスの真摯な眼差しを前に、ユロはただ頷くことしかできなかった。全身が火照り、頬が紅潮するのがわかった。心臓の鼓動が早鐘のようだ。身体の芯に熱いものが芽生え、込み上げてくる。こんな感覚ははじめてだった。
二人は見つめ合う。
「何話してたか全然聞こえなかったけど、あの雰囲気まずくない? 距離が近付いてる」
アリアが指摘するとおり、二人の顔が自然と近付いてく。まさかキス!?
「完全に間違ったムードに酔いしれてるわね。私というものがありながら」
バキッ。手をついていた物陰の壁に亀裂が走る。レシアからどす黒いオーラが立ち昇っていた。
「私の可愛いレシアが……」
アリアはちょっぴりドン引き。
ユロが目を閉じた。
「おっ、アクス。こないな所におったんか」
横合いからの突発的なフェイの出現に、あわててお互い端から端へと飛び退った。
レシアとアリアにとって、このときばかりは、フェイがこの世に存在していてよかったと、唯一思えた瞬間であった。
「へっぶしょん。へっぶしょん! ったらわれ、ぼけぇ」
「きたねぇな。クシャミはちゃんと押さえろ」
「わるいわるい。立て続けに二回。誰かに憎まれ口でも叩かれとうのかも。しかし、なんや? まだギクシャクしとんのか、お前ら?」
ラウンジの端と端、二人の距離を見て、フェイはお構いなく言った。
「そんなことねぇよ。この距離が一番話しやすいんだ。なぁ、ユロ」
「そ、そうよ。このくらいがお互いちょうどイイ距離感なのよ」
「よく言うよ。ムードに流され、粘液接触を試みようとしてたクセに」
と、代わりに物陰から、かなりエロ目の表現でアリアが小声でツッコむ。
「はくしょんっ!」
「くしゅ」
――とその瞬間、二人は同じタイミングでクシャミをしたのだった。
「なるほど。仲がよろしゅうおまんな」
ニヤニヤとフェイは、奥歯に物が挟まったような言い方をした。二人ともかぁっと頭に血が上る。アクスは耳まで真っ赤だった。なぜだがわからなかったが、やたらとこっ恥ずかしかった。ボサボサの赤髪をクシャクシャと掻きむしると、
「それで、何の用だよ」
「別に用はない。部屋行くのに、たまたま通りかかっただけや。ほなな」
と、フェイは本当にただの通りがかりだったらしく、普通に自室へと去って行った。
「オレたちも部屋に戻るか。昨日から一睡もしてないし。寝るか」
「ねねね、寝るって!? ベッドは別々なんだからね!」
「わっ、バカ!? 何言ってんだ。そんな意味で言ったんじゃねぇ。もちろん別々だ」
お互い妙に意識してしまい、それ以上は口も利かず、あっちとこっちを向いたまま、微妙な距離を保ち、部屋へと戻って行った。
一部始終を物陰からこそこそと見ていたレシアとアリアだけが、その場に取り残された。
「アホらし。心配して損した。私たちも部屋戻って寝よっか?」
「そうね。終わらない悪夢とか見ないように、ぐっすりとね」