第二十四話「見届ける責任」
それからまもなく、列車――ユティーシア急行グリフィン八号は、何事もなかったかのように、再び軽快に走り出した。
ニルとレシアの人払いの結界のおかげで、外で起きたことは、誰にも知られずに済んだ。
車内アナウンスは、急ブレーキと突然の停車の理由を、信号機のトラブルと説明した。
車掌は、狐につままれたように、列車にも乗客にも自分たちにも、被害及び実害が無かったので、どう説明してよいやら。また乗客に無用の不安を与えぬよう、熟慮した結果、そういうアナウンスでお茶を濁したのだった。
そのせいもあって、再運行に大きな混乱は生じなかった。
「いやぁ、信号機のトラブルですか。どのくらい停まってたんだろう? 全然気付きませんでしたよ。昨夜は朝までぐっすりでしたから」
食堂車の円卓を囲んで、少し遅めの朝食を、四人で摂ってるときのことだった。その席上で、ニコやかにそんな話を振るアホな美形が若干一名いた。
「結構こう見えてもぼく、夢を見る方なんですけど、昨夜は一切見なかったくらいで」
「だったら今から見てきたらいいじゃん」
皿の上の真っ赤なラディッシュを転がしながら、アリアは食い気味に言った。
「終わらない悪夢とかさ」
そのラディッシュをぶすっとフォークで突き刺して。
「いつになく目が恐いんだけど……アリア、何かあった?」
フィガーは小声で、隣のホウキ頭に聞いてみた。この陽気にもかかわらず、相変わらず暑苦しい黒のロングコートを着ている。昨夜の戦闘でズタボロにされたヤツではなく、新しいぱりっとしたヤツだ。フェイは同じデザインのコートを十着持っていた。
「女のあの日や……ろーべしゅ」
「ああ、なるほ……どわっふん」
きちんと語尾を言い終わらぬうちに、しゅるるるる!! と二人の首にアリアの流星錘が器用にからまり、コキッコキッと小気味のいい音が二回した。すると、首が変な方に曲がり、二人が円卓に突っ伏して、早々に沈黙したのは、言うまでもなかろう。
「そう生理だからって、イライラしちゃダメだよ、アリア」
「あっ……。もうあんたって子は……はぁ。可愛い顔して、はっきりとそういうことは口にしない。別に私はそういうのじゃないし」
「じゃあなぁに? アクスのことが気になるの?」
くりっとしたレシアのどんぐり眼が、じとーっと浮かないアリアの顔を覗き込んだ。
「レシアには敵わないね。そうだよ。あいつのことが気になってね」
アリアはあっさり認めた。
「やっぱりアリアも?」
「……も? それじゃあレシアも?」
「うん」
コクリと頷くその童顔は、相変わらずの無表情ではあったが、頬は淡く色付いていた。
「――アクス、大丈夫かな?」
「私の豊満なこの胸で、癒してあげるしかないかな」
ただでさえ大きな胸をむぎゅっと寄せて、これでもかと強調する。
「アリア、ずるい」
と、レシアは妬ましげに、アリアの巨乳を見つめた。
「冗談だよ。……私らの出る幕じゃないしね」
アクスとユロの問題だから。それがもどかしく、アリアを朝からイライラとさせていた。
そんな彼女のくぐもった気分とは裏腹に、窓の外は気持ちのいい快晴であった。眩いばかりの陽光、雲一つない青空、山間の緑豊かな風景が、流れる一枚の美しい絵画となって、車窓を鮮やかに彩っていた。いくら美しくとも、朝からこう同じような景色が続くと、誰も見向きもしないが。
「それにしても、偶然なんていう安易な言葉で、片付けてもいいものかねぇ?」
考えてももどかしいだけなので、話題の転換を図る。少しばかり胸にかかることがあった。それについて、レシアの意見を聞いておきたかったのだ。
アリアはゆで卵の殻を剥きながら、話を続ける。
「聖櫃の移送といい、遺跡発見直後に出回った出所不明のリーク・リストといい、ただの旅行者とも思えないアクスとユロの行先といい、イーア・メノスの襲撃、それに混沌教団。レシアが前に言ってたように、何か見えない手に導かれてるようだね。時を同じくして、色々と揃い過ぎてる気がしない?」
言われるまでもなく、レシアもそのことについては、気にはなっていた。
「……でも、それぞれはまだ、点と途切れ途切れの線でしかない。必然性を見出すには、確証ある接点がない。現時点では、偶然の範疇を出ないと、結論付けざるを得ない」
そう言いながらも、レシアの小さな胸には、漠然とした不安が確かに去来していた。
「やっぱりそっか……」
と、アリアは塩を振ったゆで卵を一口かじる。
「とは言うものの、混沌教団に狙われているユロさんといい、自己修復や意識や人格を備えているイレギュラーなアンデッドであるアクスといい、とてもじゃないけど普通じゃないあの二人の動向は気にかけてた方がよさそうね」
「二人の目的地もあれだしね。それは賛成かも。……って、レシア?」
レシアの白く細い指が牛乳の入ったコップを、フェイの方へと押しやるのを見咎めて、
「シリアス調にしゃべりながら、こっそり牛乳をフェイの方にやらないの」
と、アリアが注意するも、悪びれた風もなく、レシアは開き直ってこう答えた。
「だっておいしくないんだもん」
「子供みたいなこと言うわね。おっきくなれないわよ」
「おっきく? アリアは牛乳でおっきくなったの?」
「牛乳のおかげと言っても過言じゃないわ」
ばいんと胸を張ってアリアは応じた。
話は大きく脱線するが、列車は快調に走行中である。オーレリア連邦内の大陸政府主央都アーサーベル・セントラル駅へと向かって。
「じゃー飲む」
と、レシアはぎゅっと目を瞑り、鼻をつまんで、コップの牛乳を一気に飲み干した。
「ぷはっ。私もアリアみたいになれるかな?」
「ちゃんと毎日飲んでたらね。カルシウムは大切だから」
「カルシウム?」
「身長を伸ばすには、骨の形成が大事。カルシウムは骨の成長には欠かせないわ」
「ムネじゃなくホネね……そういうオチね?」
「あら、胸をおっきくするのにも、牛乳などの乳製品は効果的よ」
「ホント?」
「あと、生のキャベツなんかもね。それにピーマン、ニンジン、グリンピースにトマトも効果的。それからレバーと貝類、あとは……」
「ちょっと待って。それ、私の嫌いな物ばかりじゃない」
「ちっ。バレたか。巨乳de好き嫌い克服大作戦失敗か。ちなみに巨乳deのdeは、表記的には小文字のdとeなんで、そこは譲れないんでよろしく」
「それにはなんの意味が……? ――ううん、やっぱりどうでもいいや」
思い直して、レシアはゆるゆると首を振った。聞くだけ時間の無駄である。
逆にどうしてもしゃべりたかったのか、心なしアリアは残念そうな表情を浮かべる。
「――ときに、さっきから物凄い目力を感じるんですけど。黒ローブのツインテールな人がくわっぱぁって、めっちゃこっち見てたりするんですけど。そろそろ我慢の限界かも」
「気にしちゃ負けよ。用があるなら、あっちから話し掛けてくるでしょ。無視よ、ムシ」
「あっ。近付いてきた」
どかどかと足音でイライラ度を表しながら、大股で二人のテーブルに接近してきた。食事やコーヒー片手に談笑していたまばらな客たちが、何事かと皆一様にそちらに注目する。しかし、くわっぱぁっと怪獣ツインテールの巨大な黒目に睨まれて、あわてて皆視線を逸らす。
二人のテーブル脇にくると、バンッと強く卓を叩いて、
「ああ、もう!! なに小一時間、素無視キメちゃってくれてんのよっ。普通気付くでしょうが。めっちゃ不自然にアンタたちのこと、ガン見してたでしょうが!」
ばっさぁと髪を掻き上げて、ユロは抗議の声を上げた。
「用があるなら声掛けな。口があるだろ?」
「うっ……」
「で、何の用だい?」
と、今度はバナナの皮を剥きながら、平然を装ってアリアは聞いた。本当は、真っ先にアクスのことを聞きたかったが、ここにユロがいる以上、彼女もあれからアクスと口をきけてないと容易に想像できた。
「その、まぁ……あれよ、アレ……」
「別に用がないなら、あっちに行きな」
「ある! あるわよっ。ちょ、ちょっと待って……。よしっ。アイツのことなんだけど……シーゼリアンって人の名前が出た途端、アイツの顔付きが急に変わって……つまり……要は……アタシは……どうアイツに言葉を掛けたらいいか、わからなくて……相談……」
指をもじもじさせながら、声は段々と小さくなっていった。しかし、ユロが犬猿のアリアに相談を持ちかけるとは意外だった。でも、その気持ちはなんとなくわかるから、
「――だとさ。フェイ、聞いてた? 何かいいアドバイスはないかい? この中だと、あんたが一番アクスと付き合いが長いからね」
「アドバイスって急に言われても。あんなアホ、ほっといたらええんとちゃうん?」
テーブルに突っ伏していたフェイは顔を上げると、何も考えずにそう言った。
「フェイ、アリとキリギリスのお話って、どんなお話だったっけ?」
にっこりと笑って、レシアが唐突に尋ねた。
「うん? 夏の間、アリたちは冬の間の食料を貯める為、せっせと働いとったにも関わらず、キリギリスは歌を歌って遊び呆けとり、やがて冬が来て、キリギリスは食い物に困って、アリに恵んでもらおうとするが、『夏には歌っとってんから、冬には踊っとったらどないや?』って断られ、キリギリスは餓死する――っちゅう話やろ? それがどないしてん?」
「そう。でも、その話には続きがあるの知ってる?」
「いいや。それは、どないな?」
「キリギリスが餓死するのを、上から見ていた金髪の可愛らしい美少女は、キリギリスをとても哀れに思い、グーパンチでアリの巣を壊し、アリたちを皆殺しにするの」
冷たい陶人形のような顔に、冷え切った声音。フェイの背筋が一瞬にして、凍り付く。
「ちょっと考えてみてね。その金髪の美少女が私で、キリギリスがアクス、アリがフェイだとしたら? さて、この童話にはどういう寓意が秘められているのでしょうか? わかるわよね?」
「いやーっ!? そないな童話、いやー! 本来あるべき教訓的な寓意が、金髪美少女の登場で、見事なまでに台無しや。寓意、言うより悪意や。完全にアリのタマ取る算段や!?」
「あら、教訓ならあるわ。友達を見捨てる輩は、虫に代わってお仕置きよ、by金髪美少女」
と、レシアはどや顔で、手を銃に見立て撃つフリをした。
「……お仕置きちゃうやん。皆殺しってはっきり言うてもうてるがな。
まぁ、言いたいことはわかったけど、ほれでもわいに、どないせぇっちゅうんや?」
頭を抱えるフェイに、アリアが助け舟を出した。
「そもそもシーゼリアンって、紫の剣団の団長だよね? アクスとはどういう関係だったんだい? 一団員と団長って感じじゃない、強い思い入れがあるようだったけど」
「あいつは団長に拾われたんやそうや。わいもそないに詳しくは知らんねんけどな。せやからか、端から見とったら、親子か年の離れた兄弟みたいな感じやったわ。ようガチでケンカしとったけど、ひねくれた態度とりながらもあいつ、団長にだけは心許しとった」
「イリメラ、シシリー……」
フェイの話を聞いて、胸の奥が熱く疼いた。妹達のことが脳裏に浮かんだ。
イリメラとシシリーのこととなると、アタシも頭に血が上って、周りが見えなくなるかもしれない。アクスにとってシーゼリアンは、アタシにとってのイリメラやシシリーと同じなんだ。そう考えると、なんとなくだが、アクスの気持ちがわかる気がした。
「せやから、言うわけやないけど、あいつが取り乱すんもわからんでもない。大方あいつのことやから、一回死んだってのも団長の仇を討とうとして返り討ちにあったとか、きっとそんなトコやろう。大鎌糸目野郎の話が事実なら、それが全くの無駄死にになる。本当に倒すべき相手は、別におったっちゅうことやからな。いくら復活したいうても、やるせないで。ホンマやったら、そこで終わっとったかもしれん人生やってんから。だから、嬢ちゃんには責任がある。あいつを生き返らせたんは、嬢ちゃんなんやろ? 本来、生きるべきではない時間を生きるあいつの存在意義とは何か? ――それを見届ける責任が。
あのアホに直接話す必要は無いけど、しっかりそういう自覚を腹に抱えとったら、掛ける言葉なんて、何でもええとわいは思うけどな」
ゆっくりと言葉を選びながら、穏やかな口調で、フェイはユロにそう語った。
「それっぽいわね。フェイにしたら上出来かも」
「レシア、フェイがまともなこと言ってる!? 明日は雨かも」
「――って、わいだってタマにはマトモなことも言うがな。
とはいえ、多分にわいの推測や。まして最後の方なんか、無理くり意味を見出して、後付けの理由付けしたら、そういうことちゃうかいなぁっちゅうくらいの話でしかない。けど、人と人なんて往々にして、そないスマートにいくモンちゃうやろ? 理由なんてない場合も多いしな。ま、参考程度に」
「人を好きになるのに、理由なんていらないのと同じねっ!!」
と、拳を握って、アリアはあさっての方向に高らかに吠えた。
「……アホらし」
「ありがとう」
ユロはぼそりと礼を言うと、何か気付くことがあったのか、足取りもやや軽やかに、パタパタと寝台車両へと、急ぎ駆け戻っていったのだった。