第二十三話「混沌教団」
再び意識が暗転した。いや白転というべきか。
「やりおったな」
「相変わらずその姿かよ」
「汝の趣味嗜好であろう」
「うるせぇ」
アクスの精神世界の中、ネコミミ巨乳メイドのアゼザルが彼を迎えた。
「お前には感謝している。助かった」
鼻の頭を掻きながら、アクスはそっぽを向いて礼を言った。
「我は何もしておらぬ。汝の機転となりふりかまわぬ執念の賜物だ。おかげで降魔塔の創出を阻止できた」
ゴウマトウという聞きなれぬ言葉が出てきた。が、アクスは聞き流した。それよりも別に訊きたいことがあった。
「影王はお前のことを知っていたようだが……」
あえてその先を言わず、アクスは言葉を待った。アゼザルが妖艶に微笑んだ。外見はアクスの思考をトレースして生まれた美女だが、中身はそうではないのだとその微笑みを見て、改めて思い知らされた気がした。
「一つ覚えておくといい」
と言って、アゼザルは話し出した。
「悪魔は何を糧とし、何を力と為すか、汝は知ってるか?」
アクスは首を振った。
「悪魔は負の感情を糧とし、力とする――憎悪、悲嘆、高慢、恐怖、偏見、絶望、猜疑、怠惰、羨望、殺意、憤怒、嫉妬、復讐など……それらは動物や植物にはない。人が強く抱くもの。だから悪魔は力を取り込むほど、人の形に近付いていく。それ故、因果なもので、人型ほど強い。悪魔は人の負の感情から、力を取り込んでいるという。そのことを胸に留めておけ」
「何が言いたい?」
「さもあらん。今は判らずともよい。黒く塗り潰された汝の未来への忠告だ。さぁ、もう行くがいい。汝の時は再び刻み始めた」
そう言い残すや、アゼザルはヒールの音を響かせて、白い闇の中へゆっくりと歩いて行った。その背に孤独を感じ、アクスは手を伸ばしかけたが、すぐに引っ込めた。引き止めてはならない気がした。
アゼザルはひとり白い闇の中へと間もなく消えた。
柔らかな感触と甘やかな優しい匂いがした。目を開くと、視界は一面真っピンクだった。
「大丈夫?」
頭の上で声がした。顔を上げると、間近にレシアの小さくて尖ったあごがあった。
「倒れかけたのを、抱き止めようとしたんだけど、無理だった」
どうやらレシアは、倒れかけたアクスの体重を支えきれず、その下敷きになってしまったようだ。――ってことは、このぷにぷにとした、手の平にジャストフィットする途方もなくやらかい物体は……ぷにぷに。
「……あんっ!?」
レシアが妙に艶めかしい声で喘いだ。
「アンタ、何やってるワケ?」
ギギギギギと錆び付いたブリキ人形以上に、ゆっくりと首を巡らすと、ユロが鬼のような形相で腕を組んでこちらを見下ろしていた。
「悪魔倒した次は、女の子を押し倒すって、笑えないブラック・ユーモアね」
「まま、待て。こ、これは違うんだよ」
「その体勢でよく言えるわね。現行犯の極致よね?」
「ああんっ!?」
「おわっ!? こここれは不可抗力だ。なっ、レシア、そうだよな? なんとか言ってくれ」
と、アクスは必死に同意を求めた。
名前、憶えてくれてたんだ。珍しく嬉しそうにレシアは微笑み、これまた珍しく恥じらうように頬を桜色に染めた。これではまるで……案の定、ユロの鉄拳が飛んできた。
「貧乳属性は許せるとして、なんでその子なワケよ……」
空中で三回転半の見事なきりもみ後、アクスはぽてくりと地面に落下した。
「ユロさん、これは色々と誤解で……」
「わかってるわよ」
「……わ、わかってるならなぜ鉄拳を見舞った?」
「なんかムカついたから。文句ある?」
「いっ!? いえ、一切ございません……」
あの状況を蒸し返しても、藪蛇にしかならないので、アクスは口をつぐんだ。賢明な判断だ。
「それよりいいの? アンタの仲間二人ともボロボロだけど。巨乳にいたっては虫の息よ」
「あっ!? アリア! すぐ行くから死なないで」
と、弾かれたようにレシアはあたふたと、アリアのもとへと駆けていった。
全員なんとか死なずに済んでよかった。しかし、アゼザルが最後に残した言葉の意味するところは何なのか? 助けてもらったのには感謝はするが、得体のしれぬ不安と疑問が、アクスの胸の内にはしこりとして残った。それに、高い代価とは? 『未来永劫を投げ打つ覚悟はあるか?』ってヤツは聞いてたが、どういう意味なのか? 『黒く塗り潰された汝の未来への忠告だ』って言葉と関連があるのだろうか? ――わからなかった。心の中で呼び掛けてみても、アゼザルはもう返事をすることもなかった。
「……ほんで、どないケリ着ける気や?」
ニルとリュースの方をアゴでしゃくって、地面に仰向けに転がりながら、フェイが聞いてきた。そうだ、まだ終わってはいなかった。アクスは剣を拾い上げると、二人にゆっくりと近付いて行った。ユロもアクスにくっ付いていく。
ニルは敵意剥き出しでアクスを、その後ろのユロを交互に睨んだ。
大鎌を杖に、さらにニルに肩を借りて立つリュースの喉元に、アクスは無言で切っ先を突き付けた。
「お前っ……!」
今にも飛びかかり兼ねないニルを制し、リュースは口角を上げた。
二人の視線が交差する。
「ずいぶんと余裕かましてるじゃねぇか。切り札を隠してるのが見え見えだ」
と、すんなりアクスは剣を納めた。
「スペードのエースってほどのものはないけどね。ダイヤのエースくらいなら」
「ふざけたヤロウめ。まぁ、いい。とりあえず聞かせてもらおうか。なぜ、ユロを付け狙う? 目的はなんだ?」
三度目の正直となる同じ質問を繰り返した。
「上からは、彼女を殺してでもアーサーベルに入れるな、暗に殺せって指令だね、それしか聞かされていない。目的が何なのかも知らされてなくてね」
「よもやそんな話が罷り通るとでも?」
「まぁ、このザマなんで、自分らの負けは潔く認めないとね。だから自分が知り得る情報については、聞いてくれたら、きちんと答えるつもりさ」
「リュース、勝手な真似は……」
ニルがみなまで言うより早く、
「『力ずくで聞き出してみな』って言ったのは、誰だっけ?」
自身の前言を引き合いに出されては、ニルも引き下がるより他なかった。
「ちゃんと納得のいく説明をしてもらいましょうか? どうしてアタシが命を狙われなきゃならないのよ?」
「話はそもそも、ある組織がきみを拉致し、何かに利用しようと計画を立てていたってのがはじまりでね」
「アタシを? 何のために?」
「さぁ、そこまでは知らない。上も向こうの計画全容を把握してたかというと、甚だ怪しいけど、相手が相手なんで、とにかく計画を阻止しようってことになったみたい。自分らの所に話が回ってきたのも唐突だったしね。それでてっとり早く計画を阻止するには? って考えたとき、相手はきみを拉致し、アーサーベルへと運ぶ計画を立てていた。つまり生かして連れ去る。だったら殺しちゃえば、計画を頓挫させるに至らなくても、遅らせることはできる。その間に情報を集め、対策を練るか。まぁ、ざっとこんな経緯で、きみは僕らイーア・メノスの黙示録履行推進局から、命を狙われることとなった」
「そんな雑な理由で、命狙われるアタシってどうなの……?」
げんなりとした顔でユロはそう言ってから、気付いた。
「ちょっと待って。黙示録履行推進局? 異端審問局じゃなくて? それじゃあ、ある組織ってのが異端審問局ってこと? えっ? どうなってるの?」
てっきり異端審問局の魔女狩りだと思っていたが、どうやら違ったようだ。困惑を隠しきれず、ユロは訊いた。
わずかな間――リュースはすうっと目を細めた。
「……聞いたら、きちんと答えてくれるんだったな?」
些細な変化も見逃すまいと、アクスはリュースの目をじっと見据えた。
少し間を置いて、
「ある組織イコール異端審問局って構図は、あながち間違いじゃない。けど、正しくはない。正確には、きみを狙う元凶、ある組織ってのは、魔術結社『混沌教団』だ」
「混沌教団……?」
「ユロも知らないのか?」
と、アクスが聞くと、二人の後ろから不意に声がした。
「古代グタルの大魔導師レイ・バルガによって創設された、秘教を教義の中心にした、神秘主義を掲げる魔術結社だよ。魔術師の端くれのクセに、そんなことも知らないのかい? 胸だけじゃなく、脳にも栄養いってないようだね」
「アリア、もういいのか?」
そこには、これ見よがしに巨乳を突き出し、アリアが立っていた。どうにもユロは反論のタイミングを失い、キッと睨むに止まる。
「聖女リアノ・カシュの再来とご近所でも評判の、レシアの白系魔術をもってしたら、ホレこの通り、もう全快よ」
そのレシアはというと、アリアの治療を終えるなり、フェイの治療に取り掛かっていた。
「――アクス、あんたこそ大丈夫なのかい?」
アリアは必要以上にアクスに密着して聞いた。
「デカ乳、離れなさいよ! そんなにくっつく必要ないでしょうが!」
強引にユロが二人の間に割って入る。
「おや、まぁ。にしても、あんたも厄介な連中に目を付けられたね」
「厄介な連中? どういうことよ?」
「近代に入っての混沌教団は、暴走した神秘主義を振りかざしたカルト教団って、専らのウワサ。神の存在を解き明かし、人の手で神というシステムを構築し、理想の新世界を創造する――なんて、のたまって、人造人間を造り出す為の人体実験を行ってるやら、神種降誕のために生贄を捧げてるとか、非常に黒いウワサしか聞こえてこない連中なのよ」
「人造人間って……」
二人には思い当たる節があった。アリアド山のしょぼい村で遭遇した、濁った灰色の目、灰色の肌、緑の血を流す、人と思えぬ人の形をしたもの。
「そうそう。大陸政府も、混沌教団はAランクの危険団体としてマークしてるしね」
「その混沌教団とやらが、ユロを狙ってるって情報はどこから得た?」
「異端審問局さ。すでに異端審問局は混沌教団の先兵に成り下がっててね。上層部に混沌教団のシンパが多数いて、もはや半数近くが懐柔されている」
「あながち間違いじゃないと言ったのは、広義には、異端審問局も混沌教団も同じ穴のムジナというわけだからか」
「まさかそんなことが……リュース、それは本当なのか?」
驚きを隠し得ず、ニルが聞き返す。派閥は違えど、大元はイーア・メノスという同一教派。その同一教派の信徒、しかも異教徒殲滅を声高に叫ぶ、狂信的ですらある異端審問局の信徒が、秘教などを奉ずるカルト教団に懐柔されるなど、にわかには信じ難い。
「残念ながら、これは確かな筋の確かな情報だよ」
アリアド山で目撃した、竜祭司が操る竜の奇妙な引き際に違和感を覚えたリュースは、あれから独自のルートを駆使し、異端審問局の周辺を嗅ぎ回っていた。その過程で、ユロのアーサーベルへの拉致計画を知り、その計画の裏で糸を引いているのが、混沌教団であるということを知った。だが、連中の最終的な目的については、突き止めるに至らなかった。
「異端審問局の造反……姉様はこのことをご存知なのか?」
「知ってなかったら自分らにこんな指令は出さなかったと思うよ」
爪を噛んで、ニルは考え込む。そんなニルの様子を横目で見ながら、
「ついでだから、一つ忠告しといてあげる。混沌教団には関わらない方がいい。連中は本気でヤバイ。アーサーベルには近付かないことだね。あそこで何かやらかす気だ」
そう言って、リュースは無造作に切り落とされた左腕を、大鎌の切っ先に突き刺して拾い上げると、
「それじゃあ自分らは、この辺で失礼させてもらうよ」
ニルが爪を噛むのを止めると同時、二人の周囲に強風が発生した。
強風にはためくローブを押さえて、ユロは小さな悲鳴を上げた。
爪を噛む素振りは、呪文詠唱を隠すカモフラージュだったのか。気付くのが遅れた。
「あ、そうそう。言い忘れてたことがあった」
巻き上げられた砂埃。その向こうで、わざとらしくリュースが言った。
砂が目に入るのを両腕で防ぎながら、アクスはリュースの姿を追った。
「今回の計画には、グレイ・ハウンドってコードネームを持つ、混沌教団でも五本の指に入る大幹部が関与してるらしいよ。そいつは二年前、大陸政府を動かして、当時、世界最強と謳われてた剣士――シーゼリアン・グラッテ率いる自由結社『紫の剣団』を、一夜で壊滅に追い込んだ首謀者なんだって」
「なんだと?! それはどういうことだ?」
砂埃の隙間から、イタズラっぽく微笑むリュースの顔が見えた。
「しかも、シーゼリアンを殺害したのも、極帝じゃなく、本当はそいつだって。まぁ、せいぜい気を付けることだね、紫剣の生き残りども」
一際強い風が吹き抜けると、いつの間にか、二人の姿はその場から忽然と掻き消えていた。アクスの伸ばした手は空を切る。
「おい、待て!? 待ちやがれ! ドコに行きやがった? 出てきやがれ!!!」
「……もう無理だよ。さっきのは、『風迷いの渡り船』っていう高等転移術。発動に時間はかかるけど、術行使後、追跡されないよう魔力を拡散し、痕跡を消すから追い切れない」
フェイの治療を終え、こちらに歩いて来ながら、レシアが丁寧に術の解説をしてくれた。
だが、アクスはキッときつく彼女を睨み付け、
「うるさい!! ヤツはドコだ! どういうことなんだよ!? おっさんを殺したのは、大陸政府と極帝のヤロウじゃなかったのかよ? クソがぁぁぁ!!!!!」
レシアはびっくりして、フェイの背に隠れた。
「チッ。あの糸目、嫌がらせにイタチの最後っ屁みたいなモン、残していきよってからに。それに紫剣の生き残りども、って野郎言いやがった。わいだけやなくアクスの素性も知っとったみたいやし、ヤツの情報網は侮れん。それだけに信憑性も高いから、なおのことタチ悪いで……」
と、フェイは舌打ちした。
ユロはあきらかに冷静さを失ったアクスをなだめるように、
「まぁ落ち着きなさいよ。その子に怒鳴っても、どうなるものでもないでしょ? アンタが熱くなるのもわからなくもないけど――」
「お前にオレの何がわかる? 出会ってたかだか三日そこらで。オレのことを知りもしないくせに。知った風な口を聞くな!!」
と、アクスは冷たく言い放つと、ユロの真横を通り過ぎようとした。そのとき肩が触れた。ユロはバランスを崩して尻餅をついた。無視して通り過ぎようとするアクスを、フェイが呼び止めた。
「ちょー待てや」
振り返りざま、思いっきりぶん殴られた。
「いてぇな。いきなり何すんだ? ああ?」
口の端が切れていた。手の甲で血を拭って、ガンを飛ばす。
「なんや、お前の態度がムカついたよってな。ちょーアタマ冷やせや。追ってもどうなるもんでもなし」
アクスは眼光鋭くフェイを睨み返した。
「わかっとらんみたいやな。ほんなら敢えて聞いたる! 死んどるモンと生きとうモン、比べられへんのはようわかっとるけど、どっちが今、大切やねん? 履き違えんなや、アホンダラァ。お前の目に今一番に映るモンは何や?」
アクスはうしろを顧みた。そこにはただ悲しげなユロの眼差しがあった。
「――チッ。わいはもう車内に戻るわ。けったくそ悪なったからな」
「私らも戻るよ。レシア、行くよ。ほら貧乳娘、あんたもだよ」
アクスに一瞥をくれるが、アリアは何も言わず、二人を促して車中へと戻る。今は一人にしておいた方がいいだろうと。