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第二十一話「影王シドン」(あとがき登場人物紹介)

 鈍色(にびいろ)の夜空に淡く輝く月――通常空間に復帰した。


「フェイ、無事だったのね」

 と、無表情にレシアは言って、アリアと共に駆け寄った。


「これでもレシアは、ずいぶんとあんたのことを心配してたんだから」


「……ああ、さよか。それより、まずいことになっとうねん」


 風にそよぐ草の音が耳障(みみざわ)りなほどに、一切虫の音が止んでいた。草原は妙な静けさを含んで、何かの気配を色濃く(はら)んでいた。


 アリアから奪うように愛槍を受け取ると、フェイは二人に簡単に事の成り行きを説明した。言われるまでもなく、ただならぬ魔力場を放つ、忽然(こつぜん)と現れた黒々とした異様なその門を見れば、だいたいの察しは付いた。


「どうして召喚を阻止しなかったのよ!? この状況がどういう状況か、わかってんの!?」


 どかどかと大股で、ユロはアクスに詰め寄った。


「なぁ、あの扉は一体なんなんだ?」


 ぼんやりと視線を(ただよ)わせて、アクスはユロに聞いてみた。門が出現してから、肌が粟立(あわだ)ち、体中の血液がざわつく。この感じはなんだ?


「そんなの知らないわよ! 話、はぐらかしてんじゃないわよ!」

 と、ユロはにべもなかった。


 双頭蛇(そうとうへび)(つな)がった尾が左右に分かれて、やおら扉が開かれた。扉は夜よりも深くて濃い、黒々としたもやを吐き出した。あの時と全く一緒だった。一瞬にして辺りを漆黒に染め上げ、もやは周辺に立ち込めた。


「来るわね。責任とって、何があってもアンタはアタシを守るのよ。信じてるんだから」


 ……信じてるか。アクスはフッと微笑んで、ユロの頭をポンポンと()でた。


 しばらくして、もやが晴れると門が消え、門のあった場所に、その絶対的存在は音もなく居た。何百年も前から、ずっとそこにあり続ける大樹の(ごと)き、圧倒的な存在感をもって。


「これが悪魔……」


 誰かが生唾(なまつば)を飲み込むのが聞こえた。


 その()で立ちは、翼みたいな真っ黒なマントを羽織り、甲虫の外骨格に似た黒く底光りのする甲冑を(まと)った、中世の騎士を彷彿(ほうふつ)とさせる。


 仮面の下、赤黒い一つ目が不気味にぎょろぎょろと動いた。周囲の草が、そいつから放たれる瘴気(しょうき)にやられ、次々立ち枯れていった。


「私も見るのははじめてだけど、まさか人型だなんて……絶望的ね」

 さすがのレシアも上ずった声で(つぶや)いた。


 悪魔は大別すると、姿形から人型と獣型の二種類に分類される。人型は獣型とは比べ物にならないほどの、絶大な魔力を(ほこ)ると()われる。竜族すら一撃で(ほうむ)り去る力を有し、たった一体の人型悪魔が古代、大陸の半分を九日で焼き滅ぼしたという逸話も残っている程。様々な文献からも、その禍々(まがまが)しい力は古くから知られていた。


「このピリピリした感じ……生きた心地がせんな」


 影王(えいおう)シドンは音もなく、疾黒帯(しっこくたい)を放った。背から突如、包帯のような薄く黒い帯状(おびじょう)の刃が無数に伸びる。いきなり孔雀の羽さながら、広がったそれら――疾黒帯(しっこくたい)は、変幻自在に曲線を描きながら、各人を一斉に急襲したのだった。


 全方位同時攻撃。


 疾黒帯(しっこくたい)は接触したいかなものとて、仮借(かしゃく)なく押し並べて切り裂く鋭さを持つ。


 リュースはニルの前に立ち、雷銀鳥(らいぎんちょう)魔盾(まじゅん)をもってして、前方からくる疾黒帯(しっこくたい)を防ぎ、自在に左右に回り込むものを、大鎌を旋回(せんかい)させて(はじ)いた。


 フェイは縦横無尽に愛槍メルキナを振るい、アリアは両端に矢印形(やじるしがた)分銅(ふんどう)が付いた紐状(ひもじょう)の武器――流星錘(りゅうせいすい)を巧みに操り、襲いくる帯状の疾黒帯(しっこくたい)を叩き落として、レシアを守る。


「……痛っ!?」


「大丈夫か!? アリア?」


「かすり傷さ。余所見(よそみ)してる場合? 次々来るよ」


 軽くでも触れただけで、服が裂け、肌が切れた。


 のべつまくなし鋭い疾黒帯(しっこくたい)の猛襲に、両者とも防戦一方だった。


 他方、アクスはユロをお姫様抱っこしつつ、飛んだり跳ねたり、ギリギリを(かわ)し、うねる触手のような帯から逃げ(まど)う。隠れる場所もない草原を、必死な形相で走り回っていた。


「ヤ、ヤバイ!? ユロ、押さえてくれ。さっきのジャンプで腸的なモノが、こんばんわしてやがる。中に押し込んでくれ」


 剣は腰の鞘に納めていたが、彼の両手は(ふさ)がっていた。


「えっ!? イ、イヤよ。そんな気色悪い!?」


「言うに事欠(ことか)いて、気色悪いってお前……」


「あっ……!? 切れた……」


「何、何? えっ!? ちょっと痛かったけど……」


「もう気にしなくていいみたいよ。前向いて生きてこう!」


 ユロはしみじみと(うなず)いて、アクスの肩をポンポンと軽く叩いた。


「ちょっと待てい!? それ、今朝のドンマイと同じだろうが。しかもさっき、あっ、切れた…… とか言わなかった? 言ったよね? 絶対言ったよな?」


「ああ、もう!! うっさいわね。腸って超長いんだから、三メートルくらいパッツンいかれてもまだ半分よ」


「……自分の腸、そんなにいかれたんすか?」


 振り向きかけたアクスの顔を、ギュッと両手で(はさ)んで正面に戻し、


「過去は振り返らない方がいいわ」

 と、大袈裟に首を振って、ユロは芝居がかった台詞(せりふ)を吐いた。その後、「ふっ、決まった」的な感じで、どや顔をキメてくる。いや、全然うまくないんですけど……。


 後方では、切られたアクスの腸がこれでもかと言わんばかりに、ギッタンギッタンにされていた。やはり振り返らなくて正解だった。


「とにかく逃げるのに専念しなさい」


 それからしばらく、どれくらいが経ったか? 十分程か。


「ぜぇぜぇ……」

 と、息があがる。もう限界だ。


「――そういえば、あのヒレヒレ攻撃、もう()んでんじゃない?」


 ユロの言う通り、少し前から攻撃は止んでいた。立ち止まり、アクスはユロを降ろすと、息を整えつつ、様子を(うかが)った。見ると、黒く薄い無数の(おび)は横一列に並び、ぴたりと空中で静止していた。


「ど、どうやらこいつには、射程距離があるようだな」


「そんな見れば誰でもわかるようなこと言ってるヒマあったら、お腹の傷を何かで塞いだら? 次は胃とか落とすわよ。それにグロいしね」


「……ユロぉー、オレの腸、元通りになるかなぁ?」


 (さや)に巻いてる(ひも)を解きながら、アクスは情けない声を上げた。


「アンデッドが腸の一つや二つ、気にすんじゃないわよ。なくったって全然問題ないわ。アタシは別に気にしないし」


「断然オレは気にする!」


 非難がましく(うな)り、アクスは恨みがましい目付きで、ユロをじとーと見つめた。


「……わ、わかったわよ。後で拾い集めるの、手伝ってあげるわよ。気色悪いけど。五割がたの肉片があれば、ちゃんと元通りになるから安心なさい。ま、アレから生きて(のが)れられたらの話だけど」


 黒い甲冑姿の悪魔を遠望して、ユロは言った。いつの間にか、ひたすら逃げていたせいか、フェイたちからもだいぶ離れてしまっていた。


 生きた蛇のようにのたうつ疾黒帯(しっこくたい)が、なおもまとわりつくような粘性攻撃を、フェイたちに加え続けているのが見える。フェイもアリアも肩が大きく上下していた。息があがっているのだ。このままではやられるのも時間の問題だろう。


「――よしっ!」


 アクスは上着を腹に(あて)がって、鞘紐(さやひも)でぐるぐるにきつく縛った。これで内臓をそこらに、落とさなくて済む。当面の(うれ)いを解消したアクスは、おもむろに剣を大地に突き立てた。


「腸のカタキ、吹き飛びやがれ! 煉鎖(れんさ)一式(いっしき)開錠(かいじょう)(うな)れ、(あお)炎狼(えんろう)シュッテンバイン。魔堂門(まどうもん)三叉火柱(さんさひばしら)!!」


 炎狼シュッテンバインの首に科せられた魔術の鎖が、アクスによって開錠されると、剣を介し、三叉の獰猛(どうもう)業火(ごうか)が地中に(いきお)いよく放たれた。そして、それらは狂暴な火柱となって、天高く牙を()く。影王シドンを足元から飲み込んで、焼き払ったのだった。


 疾黒帯(しっこくたい)は火に弱かったらしく、一気に燃え広がっては燃え尽き、一瞬で灰と化した。引き換え、アクスの紫瘴痕(ししょうこん)は両肩にまで広がった。


 その間に二人はフェイたちと合流を果たす。


「アクス、助かったよ。って、すごい血じゃない!? それにその紫瘴痕……」


 巨乳を押し付けるように体を密着させて、アリアは心配そうにアクスの顔を(のぞ)き込んだ。


「そんな怪我、たいしたことないわ。一人で立てるから、どうぞお気遣(きづか)いなく」


「私はアクスに声を掛けたんだ。あんたにゃあ聞いてないんだよ。

 アクス、その出血だとふらつくだろ? 私が肩を貸してやるよ、ほら」

 と、ますますアリアはぴったりと体をくっつけた。


「コイツはアタシの連れなの! アタシの連れに、色目使わないでくれる?」


 反対側から、ユロはアクスの腕を引っ張って、アリアから彼を引き()がそうとする。二人の見えない火花にアクスは辟易(へきえき)するも、満更(まんざら)でもない様子だった。


「ただの連れなんだろ? だったら私がアクスに色目を使おうと、彼女でもないあんたにはなんの関係もない話だろ? ねぇ、アクス」


「アタシはそりゃ……じゃないけど……」


 これ見よがしに、意図(いと)的に自慢の豊満バストを押し付け、戦略的上目使いでアクスに(せま)るアリア。体に触れる柔らかい、生々しい肉感とスパイシー・ボブの髪から香る甘い匂いに、かなりクラッときた。


「オレは大丈夫だ。今はそれどころじゃない」

 けど、アクスは最大級の理性を動員して、アリアの肩を引き離した。


 ユロはほっと胸を撫で下ろした。


 紫瘴化(ししょうか)が思った以上にひどく、両腕が(きし)む様な痛みを発していた。声高(こわだか)に大丈夫と言える状態ではなかったが、それよりも今はあの悪魔をなんとかする方策を講じるのが先だ。


「……アクスをからかって遊んどる場合やないで。ほんでどないすんねん、あの悪魔?」


「そんなつもりはないけど……」

 アリアは唇を(とが)らせた。


「あんなもんでくたばるもんとちゃうのやろ。レシア、なんかええ案はないか?」


 全員の視線が一斉に、金髪おかっぱ、(とう)人形のような白い少女に(そそ)がれた。


「この子がアレをどうにかできるっていうの?」


「こう見えてもレシアは、世界にたった九人しかいない魔導師の一人。どこぞのツインテールの貧乳女とは、出来が違うのよ」


「それはアタシのことを言ってるワケ?」


「べつに……」


 出会ってまだ間もないというのに、どうしてこうもこの二人は仲が悪いのだろう? 世の中には、全くもって理由はないのだが、()りが合わない相手というのは必ずいるものだ。それにしても何かにつけて、目の(かたき)のように、互いに食って掛かる。


 そんな二人は軽く無視して、問われたレシアはこう言った。


「悪魔は殺せない。界門(かいもん)を再度開き、強制送還するしかない」


「具体的に目下(もっか)わいらがやることは?」


「今夜の星回りなら、私でもここに界門(かいもん)を再現出させることは可能。だけど、界門(かいもん)の制御と、また新たな悪魔が出て来ないよう防ぐためにも、魔法陣が必要になる。とはいえ、精巧な魔法陣を描いてる時間はない。だから、このタロットカードを定位置に配置して、簡易の魔法陣を形成する」


 ピンクのポシェットから、レシアはごそごそと極彩色(ごくさいしょく)のタロットカードを取り出した。


「悪魔を牽制(けんせい)しつつ、そのカードを配置すればいいんだな?」


界門(かいもん)が開けば、あとは直接悪魔を押し込んで、門を閉じる」


「押し込むって。ずいぶん荒っぽいな」


「ただそんなに長くは界門(かいもん)を開いていられない。向こう側から出てこようとする悪魔を押さえるには、即席の魔法陣では強度が十分でないから」


 アリアの陰から恥ずかしそうにアクスをチラ見していた、引っ込み思案(じあん)な少女の姿は、そこにはなかった。あるのは魔導師レシアの姿。


「……たかだか人間風情(ふぜい)が……」


 不意に、月夜の草原を()くように、ひどく耳障りなダミ声が通った。


 誰しも――リュースもニルも――そちらに目を向けずにはいられなかった。


 蒼い炎の中、赤黒い一つ目がぎょろりと光る。


「悪魔ってしゃべれんねんな」


「変なトコに感心してんじゃないよ」


 蒼炎(そうえん)夜闇(よやみ)を照らし、等しく影をつくった。影王シドンは黒々とした自身の影に、ずるりと没していった。ちょうど泥の沼に、甲冑が自重で沈み込むような感じであった。


 アリアとフェイはすぐ後ろに、強烈な気配を感じた。本能的にフェイは、とりもなおさず前へと飛び退()いた。アリアは確認のためか、わずかに首を回した。その一瞬の判断が、二人の明暗を大きく分けた。


 アリアが膝から、どさりとその場に崩れた。


「アリアーッ!? アリア!!」


 レシアはあわてて走り込み、倒れ込むアリアの体を受け止めた。背中がざっくりと切り裂かれ、おびただしい量の出血。


「ハハハ、ヘマやらかしちゃった。私がレシアを守らないといけないのに……逆だね」


「しゃべらないで。すぐ止血するから!」

 と、アリアをうつ伏せに寝かせると、レシアは傷口に手を当てた。すぐさま治癒術式の詠唱に入る。


「かたまれ! 互いに背を向け、かたまるんや」


 中心に二人を置いて、アクスとフェイ、ユロの三人は集まって、周囲を警戒する。


「何、何? 何が起きたっていうのよ!?」


「あの悪魔、アリアの影から突然、姿を現して、二人を手刀で斬り付けやがった」


 続け様、同様にニルの影からも現れて、シドンはニルを襲った。


 頭上に手刀が振り下ろされる。傷付いた右腕を抱え、茫然と彼は死を覚悟した。


 ――が! リュースが躊躇(ちゅうちょ)なく、ニルを突き飛ばした。


 彼の首へと振り下ろされるはずだったシドンの手刀は、リュースの左腕へ振り下ろされた。リュースの腕が肘先から容赦なく、ばっさりと切断された。


「リュース!? ……どうして?」


 大量の血がニルの(ほお)にも飛び散った。歯を食いしばり、リュースは反撃を(こころ)みた。


絡鎖(らくさ)二式(にしき)開錠(かいじょう)(なぶ)れ、錆蜘蛛(さびぐも)…………」


 だが、しかし!? 死角からシドンの腕が伸びてきて、リュースの喉輪(のどわ)をガッと(つか)んだ。


「がはっ」


 指が喉に食い込み、締め上げる。さらに(すさ)まじい膂力(りょりょく)で、その体を軽々と持ち上げた。リュースは苦しげに足をバタつかせ、抵抗するも、とてもじゃないが外せない。さらに影王(えいおう)瘴気(しょうき)()てられ、掴まれた箇所から急速に紫斑(しはん)が広がる。やがて大鎌が力なく、右手からするりと抜け落ちた。


「何、ボーッとしてんだ! 仲間が殺されてもいいのかよ!」


 ――そこに。無謀(むぼう)にもアクスがシドンに斬りかかっていった。遠目にフェイはぼやいた。


「あのアホ、敵に情け掛けてどないすんねん。敵の敵は味方とちゃうんやぞ」


 アクスの上段からの斬撃は、シドンにたやすく片手で防がれる。だが、あきらめずアクスは遮二無二(しゃにむに)、連続でシドンに斬撃を浴びせかけた。めったやたらな乱れ斬りだ。


 そのうちの一撃が、はからずも甲冑の隙間を(かす)めると、シドンが小さく(うめ)いた。


 ()き出しの白刃を無造作に掴み取り、(わずら)わしい斬撃を止める。ギジギジと剣が鳴く。ビクともしない。片手でアクスの剣を握り、もう一方の手でリュースの喉輪を締め上げる。


「何やってんだ!! 力を貸せ! お前の仲間だろうが」


 リュースの意識は刻一刻(こくいっこく)と薄れ、死へと近付いていく。


 ところが、ニルの視線上にはリュースの姿はなく、ユロの姿があった。金髪の少女から、何やらカードを受け取って、それらを一枚一枚あちこちに配置し回っている。


「殺してでもこの(むすめ)を、アーサーベルへ入れてはなりません。ニル、わたくしはあなたを信じています。わたくしを失望させぬ働きを期待しておりますよ」


 昨日、唐突(とうとつ)に一枚の写真を渡され、甘美な声でそう()げられた。期待に(こた)えなくてはならない。でないと、嫌われる。姉様に嫌われてしまう。姉様に嫌われたくない。今ならあの女を確実に殺すことができる。姉様のご期待にお応えできる。姉様の言葉は至上神聖不可侵なのだ。そのために悪魔をも召喚したのだ。


 暗い感情を抱え、ニルはぼそぼそと氷の矢の呪文詠唱を始めた。


「……ニル……逃げ…て……」


「見殺しにする気か!? お前はそれでいいのかよ!?」


 ニルはキッとアクスを(にら)んだ。


「……二……ル…………ニゲ……テ」


 その際、口から血の泡を噴きながら、声なき声で一心に訴えるリュースの姿が目に留まった。


「くそっ……言われなくても……わかってるっ!」


今にも見殺しにされようとしてるのに、不乱にニルの身を案じるリュース。そんな仲間を見殺しにできるほど、良くも悪くもニルには確たる非情さは無かった。


 ニルは氷の矢を放った。ユロに――――ではなく、シドンに向かって。


 氷の矢に気を取られたシドンのスキを突いて、剣を引き抜くと、アクスは甲冑の隙間(すきま)にその剣を思いっきり刺し込んだ。


「……ぐがぁ! ……」


 剣が刺し込まれた隙間から、黒い瘴気が立ち昇る。確実に()いている。その証拠に、シドンはリュースをアクスにぶつけると、即座に距離を取った。


「いてててて……」

 と、アクスはリュースの身体を押し退()け、その下から()い出た。


「リュース!!」


 (あえ)ぐように(かたわ)らで()き込むリュースに、ニルは駆け寄ると、その背を(いた)わるようにさすってやる。


「……ふざけた真似(まね)を……」


「殺せないとはいえ、悪魔さんも無敵ってわけじゃないんすね?」


 シドンはアクスの攻撃を嫌って、距離を取った。魔堂門(まどうもん)三叉火柱(さんさひばしら)ですらものともしなかったというのに。()けるということは、喰らってはまずい攻撃なのは間違いない。


「……図に乗るなよ、人間……いや、貴様は普通の人ではないな……」


 シドンは自身の影に手をかざした。影から闇色に揺らぐ黒き剣が、ゆっくりと()り上がりくる。異様な冷気が立ち込め、周囲の温度が急激に低下。爆発的に瘴気(しょうき)(ふく)れ上がった。


「いたっ。えっ? ナニコレ?」


 鈍い痛みと共に、ユロの足に紫斑(しはん)が生じる。いや、彼女の足だけではない。


「こりゃまずいな。早よ片付けへんと全員ここで(くさ)り死ぬことなるで」


 星に雲が()かり、辺りがやや暗くなった。


「……我も(たわむ)れが過ぎたか……」


 影王(えいおう)シドンは黒剣を手にし、赤黒い一つ目をゆるりと(めぐ)らした。


 (はや)き黒の形容語句(エピテトン)を冠する影の王は、その(まばた)き程の合間に、もはやアクスの眼前に()た。現れたと表現できるものではなく、まさしく居たとしか表現しようのない現象が起きた。


 いったいナニが起きたんだ? あのときと同じ、真紅の薔薇(ばら)……


 両腕を切り落とされ、胸を斜めに斬り裂かれた。血が噴水のように勢いよく飛び散った。アクスはその場にどさりとくずおれた。


「逃げて――!!」

 ユロは叫んだ。


 横目が(とら)える。頭上に黒い剣。あの黒の大剣を振り落とされたら、核石(かくいし)(くだ)かれちまう……なんとかしないと……。そう思ってみても、身体は思うように動かなかった。


「……あくまで器を出ぬつもりか? ならば器を完全に破壊するまで……」


 シドンはアクスの頭部を踏み付けて、興趣(きょうしゅ)()がれたか、つまらなげに呟いた。


「アンタ、何やってんの⁉ 逃げるのよ! 逃げなさい!! アタシの力になるって約束したじゃない。何、そんなトコで寝てるのよ。お願い。アタシをもう一人にしないで……」


 ユロは声の限り叫んだ。


「誰かアイツを助けて……」


 ユロ……。


回鎖(かいさ)一式(いっしき)開錠(かいじょう)! (むしば)め、螺旋蜂(らせんばち)メルキナ。閃狩刺突(せんしゅしとつ)千魔針(せんましん)!!」


 見かねてフェイが単独で仕掛けた。


「アクスを放さんかい、アホンダラァー!!」


 無茶なのは百も承知だ。槍を突き出す(たび)に、人差し指ほどの赤い針が二十~三十本と出現し、シドンに降り注いだ。だが全然シドンには効いていない。無意味とも思えた。


 その様子はまるで、銃剣を突き出し、玉砕覚悟の突撃を敢行(かんこう)せざるを得ない、哀れで勇敢などこぞの陸軍兵士のようだった。それでも、傷を負わすことはできずとも、気を引くのには十分だった。


 月が雲の陰に入る。シドンの赤黒い一つ目が、フェイの姿を(とら)えた。


 視界の(はし)に黒い剣が飛び込んできた。ほんの一瞬の出来事に、理解がとても追いつかない。人並外れたフェイの反射神経だけは、(かろ)うじてそれに反応し、横に飛ぶ。けれども、即死を回避するのがギリギリだった。がっくりとフェイは膝を付いた。熟したトマトのような血の(かたまり)がボタボタ落ちた。


「なんやねん、これ……!?」


「フェイ、()けな!」


 シドンはフェイの首を落とそうと、剣を振り上げた。その腕に矢印形の分銅を先に付けた紐――流星錘(りゅうせいすい)がぐるぐると絡み付いた。


「アリア、無茶よ。傷はまだ完全に塞がってない」


「アクスも言ってたろ? だからって仲間を見殺しにはできないんだよ!」


 辛そうに顔を(ゆが)めながらも、アリアは流星錘(りゅうせいすい)をぐっと力任せに引いた。


 頭上でわずかに剣が静止した。その一瞬に、フェイは転がるようにシドンから離れた。間一髪、そこに黒の大剣が振り下ろされた。


「はぁはぁはぁ……」


 フェイは傷口を見た。肩口から脇腹まで。致命傷と言ってもいいほどの傷だった。


「もはや魔装開錠(まそうかいじょう)も難しい……わいは戦線離脱や。すまん。あとはまかせた」


 流星錘(りゅうせいすい)がアリアごと、高々と舞い上げられた。シドンは中空で紐を引き絞り、(すさ)まじい膂力(りょりょく)をもってして、アリアを背中から豪快に地面に叩き付けた。傷口が派手に開いた。


「……ぐはっ」


「――アリアっ!」

 と、駆け出そうとした腕を掴んで、ユロはレシアを押し(とど)めた。


 辺りの草木は立ち枯れ、紫の霧が漂う。瘴気濃度が濃くなり、目にも捉えられるほどになっていた。


「アンタにはやらなきゃいけないことがあるでしょうが。もうアタシらしかいないのよ」


 その通りだった。まともに動けるのは、もはやユロとレシアの二人だけ。アクスもフェイもアリアも、ましてリュースもニルも、誰ももうまともに戦える状態になかった。


「アタシらがアイツら助けないと……」


「ユロさん……」


 ギュッと掴んだその手は、小刻みに震えていた。


 一番に駆け出したいのは、ユロさんも同じはずなのに……。小刻みに震えるユロの手に、レシアは小さな手を重ねた。その手にもすでに紫斑が……。


 影王(えいおう)の瘴気が何もかもを(むしば)もうと、ゆっくりと忍び寄ってきていた。時間は限られていた。かつ状況は絶望的だった。されど、ユロの目はまだすべてを(あきら)めてはいない。


「アンタに言われた通りにカードは配置したわ。アイツはアタシがなんとかする。

 ――そこのダミ声!! 調子に乗ってんじゃないわよ。このアタシ、ユロ・アロー様が出てきたからには、アンタなんかボッコボッコのケチョンケチョンにしてやるんだから。覚悟しなさいよ!」


 ビシッとシドンを指差して、ユロは腰に手を当てて、ツインテールを振り振り、堂々と名乗りを上げた。


 まぁ、ダミ声はないな……真っ黒な甲冑とか赤い一つ目とか黒の大剣とか、際立(きわだ)った特徴は(いく)つもあるのに、なぜにそのチョイス? と誰もが疑問に思いつつも、つっこむ気力がない。


 シドンの赤黒い一つ目が、ぎょろりとユロの方を向いた。


 ユロの両足は、生まれたての仔鹿(こじか)ばりにガクガクと震えていた。


 レシアは考える。この状況で今、自分がやらなきゃいけないことを。そう。それは界門(かいもん)を開くこと。魔法陣の中心で手を合わせ、レシアは(しゅ)(つむ)ぎ始める。界門(かいもん)を開くには、詠唱に約三分。ユロさん、なんとかその間を繋いで。と心の中で呟いて。


「アタシだって魔術師の(はし)くれ! (あら)ぶる光を(かたど)金羊(きんよう)よ、(なんじ)に求めるは火すらも滅ぼす(はげ)しき火、それは火の上に君臨する火、炎なり。その務めは無慈悲な制裁。我が前に立ち塞がる魯鈍(ろどん)なる賢者を焼き尽くせ!!」


 ユロの手の平から、すべてを焼き尽くす――――には程遠い、火球が放たれた。


 大層な呪文詠唱の割には、凄まじく貧弱な火球。その火球はにょろっと出現し、酔っぱらいの千鳥足(ちどりあし)さながらヨタヨタと、とりあえずはシドンに向かって飛んでいった。


 全員の目が点になる。完全に時が止まった。


 全員が、シドンさえもその火球の行方を追った。


 時間稼ぎの役割は、果たしていたが……。


 火球はシドンに接触すると、シャボン玉と同等か、もしくはそれ以下の脆弱(ぜいじゃく)さを露呈し、あっけなく割れて、消え去った。


「……人間ごときが我を倒すなど笑止……」


 剣の切っ先をユロに向け、シドンは言った。


「なんて娘かねぇ。無口な影王(えいおう)が間を(たも)てなかったとみえる」


「……丸まま、さっきのくだり、無かったことにしてくれとう。ユロの嬢ちゃん、影王(えいおう)にまで気ぃ(つか)わしとる、ごぶっ!?」

 と、かなりの重傷にもかかわらず、リュースとフェイはツッコまずにはいられなかった。それほどまでにある意味においては、ユロの魔術は力を持っていた。途轍(とてつ)もなくどうでもいい力を。


「そ、そんなのやってみないとわからないじゃない!! えらそうに上から目線で言ってんじゃないわよ!! アンタ、何様よ?」


 さっきのあれを無かったことにする気だ。誰もがそう思った。がっ!! ユロはさらにもう一枚、上手(うわて)であった。


「……って、上様とか俺様とかってさぶいこと言う気じゃないでしょうねぇ?」


「………………」


「あら、図星だった? ちょっとヤメてよね。みんな、こっちを冷たい目で見てんじゃない。もうヤダぁ」


 臆面もなく、この場に流れるどうしようもない空気を全部、影王(えいおう)シドンになすり付けたぁー!?


「なんちゅう末恐(すえおそ)ろしい嬢ちゃんや……できたら敵に回したくない相手やな」


 真顔でそんなことをほざくバカは置いといて――


 ユロの周囲に差した影から、ぬっと腕が伸びてきた。避けようもなかった。喉輪を掴まれ、リュースの時と同じく、喉を支点に体を持ち上げられた。きりきりと首を締め上げられる。息ができない。


 非力な彼女には抗う(すべ)など無く、たった数十秒で視界は(かす)み、意識は遠のいた。


「……アクス、助けて」


 瞳を潤ませ、ユロはそのときはじめて彼の名を口にした。白い頬が紫に染まりゆく。


 ゆくりなく星の輝きが降り注ぎ、魔法陣が(まばゆ)い光を発した。


 そして、レシアの背後に巨大で不気味な黒い門が再び現れた。骨まで震わす轟音と共に。双頭蛇の刻印がある門扉は重々しく、荘厳(そうごん)(たたず)まいをしていた。


 彼女はしっかりと自分の役目を果たした。


「さぁ、開きなさい。狭界(きょうかい)へと繋がる特異の門よ」


 やおら扉は開かれた。

登場人物紹介

(登場人物が多くなってきたので整理します。時折、あとがきに挟んでいきます)


アクス・フォード:

魔装顕士まそうけんし。使う魔装は、剣「蒼き炎狼えんろうシュッテンバイン」。元紫もとむらさき剣団つるぎだんのメンバー。赤髪、緑眼。目つきが悪い。一度死ぬも、ユロに出会い、アンデッドとして蘇る。その後、ユロの願いを叶えるため、行動を共にすることに。


ユロ・アロー:

死霊術師ネクロマンサーにして魔術師。ツインテールの美少女。右眼と左腕は義眼と義手。左手は常に包帯を巻いている。アクスを核石アゼザルを使い、蘇らせ、アンデッド化する。シオン修道院出身。同じ修道院で育った妹分のイリメラとシシリーを生き返らせるという願いを叶えるため、旅をしているときに、アクスと出会う。




フェイ・ラオ:

魔装顕士。アクスとは旧知の仲。使う魔装は、メリケンサック「白断鉄亀びゃくだんてっきアイトロール」と槍「螺旋蜂らせんばちメルキナ」。元紫の剣団のメンバー。現在は、ロンベルク聖教ロア・パブリック教派所属の助祭を務める。レシア枢機卿すうききょう直属。ホウキのように逆立てた髪に、夏でも黒のロングコートを着ているが、意外に常識人。


レシア・フレーディア:

ロンベルク聖教ロア・パブリック教派所属の枢機卿にして、世界に九人しかいない魔導師の一人。膨大な魔術・魔導の知識を有し、単独で界門かいもんを召喚するほどの絶大な魔力を誇る。見た目は、十歳ほどの少女。牛乳・ピーマン・人参・レバーなど好き嫌いが多い。聖女リアノ・カシュの再来とも言われる。聖アヌスの聖櫃せいひつの行方をフェイたちと追っているときにアクスたちに出会う。


アリア・シュテル:

ロンベルク聖教ロア・パブリック教派所属。レシア枢機卿直属。きつね眼の巨乳。武器は、矢印形の分銅が付いた紐状の流星錘りゅうせいすい。ユロとは出会ったその日から犬猿の仲。


フィガー・フィルファディアス:

魔装顕士。使う魔装は、ブーツ「双墜そうつい風鷲かぜわしダーダネルス」。ロンベルク聖教ロア・パブリック教派所属。レシア枢機卿直属。見た目は、絶世の美女だが、生物学上は男。レシアのことが好きだが、相手にされていない。また、ワールドクラスのアホーでもある脳足りん。




ニル・シュライザー:

ロンベルク聖教イーア・メノス教派、黙示録もくしろく履行推進局りこうすいしんきょく所属の司祭にして、世界に三百人程しかいない魔術師の一人。異眼のニル、詠唱破棄の通り名を持つ。まるでエメラルドとトパーズのような美しい緑と黄色のオッドアイズを持つ。大司教の姉がおり、姉のことになると普段の聡明さがなくなり、姉の言葉は至上神聖不可侵だと盲目的に姉を慕う重度のシスコン。ユロ暗殺を目論む。


リュース・レオン:

ロンベルク聖教イーア・メノス教派、黙示録履行推進局所属。ニルの相棒的存在。魔装顕士。使う魔装は、大鎌「錆蜘蛛さびぐもヒジュラ」と指輪「雷銀鳥らいぎんちょうバラケルス」。長身のオカマ。綺麗な男の子が好き。




サガ・ローウェイン:

大陸政府軍大佐。「極帝きょくてい」の異名を持つ。長髪の金髪碧眼の超絶美男子。紫の剣団殲滅戦の武功で大佐へと昇進した。襲ってきたアクスを手加減できず、斬り殺す。ロンベルク聖教ロア・パブリック教の信心深い信徒でもある。かなり頭も切れる。


ヴィノア・テイラー:

大陸政府軍中尉。サガの子飼いの女性武官。黒縁眼鏡の堅物キャラ。色恋には免疫がない。サガを公私混同で慕っている。参謀見習い。サガとは、師弟の関係に近い。


シェスカ・サキ:

大陸政府軍少尉。ヴィノア同様サガの子飼いの女性武官。黒ギャル、巻き毛のイケイケ女子。ヤンキー上がりだから怖いもの知らず。サガのことは尊敬しており、一生付いていくつもり。愛読書は推理漫画の『魔術捜査官レオナルドのカラーファイル』シリーズ。




レイパード・フォン・エルファレオ:

魔装顕士。使う魔装は、剣「廃絶はいぜつ灰皇はいこうヒュプロボス」。元紫の剣団のメンバー。混沌教団大幹部。灰色猟犬グレイ・ハウンドの通り名を持つ。シオン修道院を襲撃し、イリメラとシシリーを殺害する。ユロの仇。鮮麗な銀髪。右眼の下、耳までの刀傷。吸い込まれそうな青い瞳。全てのものを嘲笑うかのように、虚無的に引き歪められた口端が特徴。




ガウロン・バンガード:

大陸政府軍中将。第二十七番遺跡から出土した遺品の守護任務を負い、七百十七点の遺品を主央都アーサーベルまで移送してきた護衛責任者。十字傷のあるスキンヘッドの巨躯。


アシュレイ・エストナク:

大陸政府軍中尉。バンガード中将付の武官。鮮やかなシルバーの髪に青の瞳をした気弱な青年。ガウロンとレキの仲が悪く、いつもその間に挟まれ、ストレスで常時胃痛。


レキ・グロリア:

大陸政府軍中佐。元紫の剣団のメンバー。バンガード中将管轄下の問題武官。右目を前髪で隠した、温度の無い左眼をした、鉄の様に冷たい相貌の男。両腰にそれぞれ朱鞘と黒鞘の長剣を差している。紫剣を裏切り、大陸政府軍人となったいわくつきの人物。

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