第十八話「詠唱破棄」
「あの短パン少年が、列車を止めたのか?」
窓越しに、こちらに向かってくるマッシュルームカットの美少年と目が合った。少年の目は緑と黄色、左右異なる色をしていた。
「列車を止めたんは、おそらく後ろの男や」
大鎌を手にした糸目の男が二人に気付き、ニヤッと口角を上げた。
「あの二人を知ってるのか、フェイ?」
「ああ。ヤツらはイーア・メノスの司祭職や。わいらを狙ってきたんとちゃうか? ほんま言うと、わいらはベルネチア教皇庁の正教会員やねん。詳しゅうは話せへんねんけど、ちょいとしたミッションで、お忍び旅行中なんや」
ベルネチア教皇庁の正教会員――つまるところのロンベルク聖教ロア・パブリック教派所属の聖職者のことだ。
「お前が聖職に転職? 担いんでんじゃねぇよ」
「ジョークとちゃうわ!」
「じゃあ何か? お前が神父さま? ありえねぇし、有難味がねぇだろ、それ」
「うっさい、ボケ。神父とちゃう。わいはまだ助祭やけど、ちゃんとした聖職や」
少年の方が挑発的に指を動かす。表に出ろというジェスチャー。
「どうする気だ、助祭さん?」
「完全からかっとるやろ、お前」
「そんなことはないぞ、助祭さん」
あきらめたか、フェイはアクスを一睨みするも、
「まぁ、ええ。そんなこと言うとる場合やないし。人払いの結界を張っとうところをみると、列車及び車内の人間を傷付ける気はなさそうやけど、手出しせんっちゅう保証もあらへん。言うとおり、表に出た方が良さそうやな」
ここは車両後部のラウンジ。後部側壁にある乗車扉を開ければ、すぐにでも表に出られる。だが、そことは別の、客室に繋がる前部の引き戸が、思いがけず乱暴に開かれた。
「ユロ?」
「置いてこうとしたら、絶対許さないんだから!」
アクスの剣を胸に抱き、怒ったような泣き出しそうな顔で、ユロがそこに立っていた。
「いきなり何を言い出すかと思えば……シュッテンバインだってこうして部屋に残してたんだ。置いてくわけないだろうが」
バカバカしいといった顔付きで、アクスは彼女の手からすっと剣を抜き取った。
「信用してないわけじゃないのよ。起きたらアンタの姿が見当たらなくて……」
心細くなったというか、なんというか……という語尾は、ごにょごにょとはっきり聞き取れなかった。
「えっ? オレの姿が何だって?」
面と向かって、そんな恥ずかしいこと、言えるわけがない。
「そんなことはどうだっていいのよ! ああ、もう!! それで、何が起きてるワケよ? 急に寝てたら、すごい音がして、ベッドからいきなり放り出されるわ、何なのよ、もう!?」
「イーア・メノスの襲撃だ」
「また魔女狩り?」
「そっちも狙われる心当たりがあるみたいやな?」
「そっちもって?」
「フェイたちは、ベルネチア教皇庁の正教会員なんだとよ」
ロンベルク聖教の二大教派ロア・パブリックとイーア・メノス――もともとは信じる教えは一緒なのに、教義に至る解釈の相違から対立する両派。それはいつの頃からか、長い歴史の中で、互いを認めぬ深い相克へと発展した。さりとて、近年ではそういった風潮もかなり薄れ、互いに不干渉の融和路線をとっていた。それは両教派とも、広く世間に普及するにつれ、教義が一般大衆化したこともある。教義の真意が薄れたことは否めないが、別にそれは悪い事ばかりではない。かえって良い面もあり、一般信徒同士がロアだ、イーアだと言って、争うことはなくなった。未だ対立の構図を根深く残すのは、むしろどちらも教えの中枢にいる正教会員の聖職連中だった。
「ともあれ先方がお待ちや。どうであれ無視できんやろうしな」
と、フェイは表に出た。その背には、いつもの槍はない。部屋に置いてるままだ。アクスとユロも彼に続いて、湿った草原に降り立った。
草の匂いがした。騒がしいまでに虫が鳴いている。ふと、月を覆う雲が晴れた。
「フェイ、離れて! 取り込まれる!?」
レシアの鋭い声が背後に飛んだ。
「もう遅い」
月光に晒されて、やせぎすな少年が笑った。そして、オーケストラの指揮者のごとく、右手を高々と掲げた。
「せめてこれだけでも」
アリアはフェイに向かって槍を投げた。だが、槍は持ち主に届くことなく、途中で落下した。虚空に突如出現した白色の壁に阻まれて。
白壁はドーム状に膨らみ、フェイたちをあっという間に覆い隠してしまった。
「間に合わなかったね。まさか星に役割を与え、星座を魔法陣に見立て、こんな大掛かりな術式を仕掛けてくるとは……」
「今夜この場所は、星の巡りが悪かった。閉鎖空間術式は発動してしまったら、外側からはどうすることもできない。待つより他に仕方はないわね」
「あのバカ……まぁ、元紫剣仲間のアクスも一緒だったし、なんとかするでしょ。そう信じるしかないわね。けど、解せないのは、呪文詠唱もせず、ここまでの閉鎖空間術式を完成に導いた、あのチビの術者だね。ありゃあ一体何者だい?」
「イーア・メノスの司祭職にして魔術師――異眼のニル。もう一つの通り名は、詠唱破棄」