第十六話「列車内の出会い」
「サラテールで仕入れた最新情報によると、聖櫃を載せた特別列車が今日、アーサーベルに着くそうだ」
アリアは開口一番、部屋に入ってくるなりそう言った。ここは寝台列車のとある客室。
「ここを出たのが六日前。途中、チンピラまがいの山賊が列車を襲撃したそうだけど、たいした影響もなく、予定通り順調って話だから、もう着いてる頃かも」
「もう少し日数が掛かってくれたら、有難かったけど」
二段ベッドの下側に座って、足をぶらぶらさせてるおかっぱの少女――レシア・フレーディアは、聖櫃の警備が厳重になるのを懸念して、そう応じた。その横にはぴったりと、護衛役を務める無駄にすらりとしたフィガーが、帽子掛けのようにぬぼーっと立っていた。
「あれ? 毛根酷使はどこ行ったんだい?」
ホウキ頭が見当たらない。
「フェイなら、ちょっと野暮用があるから、先に行っといてくれって」
「野暮用? どんな?」
「知りませんよ」
それもそうだ。いちいちそんなことを聞く間柄でもない。それに興味もない。
「そうそう、レシア。ついでに情報屋からすごいリストを入手したんだ」
と、アリアは視線と話を戻した。
さすがに目立つ赤い司祭服というわけにもいかず、本日の小さな枢機卿は、年相応なピンクのフリルが可愛い、フレアスカートを履いていた。髪には揃いのリボンも巻いている。
「すごいリスト?」
アリアの大きな胸を見上げて、レシアは小首を傾げた。
ジーンズのケツポケットに、丸めて突っ込んであった紙の束を取り出して、
「コイツを見て欲しいんだけど……」
紙のしわを丁寧に伸ばしてから、早速レシアはぱらぱらと目を通し始めた。
「アリア、それは?」
「あんたが見ても理解できないよ」
寂しそうにフィガーは、遠巻きに二人の様子を眺める。捨てられた子犬のような目をするが、無視である。アホに関わると、話がややこしくなる。
「七百十七点、二十七番遺跡から運び出された全遺物のリスト。私らが調べてきた実物の情報と照らし合わせても、このリストの信憑性はかなり高いと思われる」
「……そうね」
と、レシアも同意した。
殴り書きのそのリストには、写真こそ無いが、遺物の外観や概要が簡潔明瞭に記載されていた。
「政府が大事そうに抱えているのは、二冊の魔導書と一冊の悪魔書のようね」
リスト・トップの三項目を小さな指で指し示して、レシアは独り言のように呟いた。ざっと目を通しても、それ以外に目を引くものはない。そうは言っても、レシアの目からしたら、これら三冊の本もさほど価値があるとも思えなかった。それより気に掛かるのは、このリストの出所である。
「でも、どうしてこんなリストが出回ってるのかしら?」
「それが出所がわかんないのよ。これだけの情報、政府軍内部のさる筋からの情報提供があったと思われるんだけど……どういう経緯で、これが流出したのか。さっぱりなのよね。
それと、もひとつ不思議なのが、このリストは二か月も前からすでに出回ってたって話でね。この前した報告では、実物の確認に躍起になってて、私らはこのリストには気付かなかったんだけど」
アリアの言葉には、「どうしてこの前の調査のときに気付かなかったのか」と問われたときの予防線が張られていた。しかし、レシアはそんなアリアの言い訳など気にも留めず、
「二か月前? ちょうど二十七番遺跡が発見された頃ね。それでこんなにも詳細なリストが? あらかじめ遺跡に何があったのか、まるで知っていたようね。そう考えると、何らかの意図があるのは明白ね」
何者のどういう目的の意図が働いているのか? 作為を感じるのは確かだった。
「レシア、リストの右端を見て。ついでにセントラルに着いてからの搬送先の指定もある。ナンバー668――聖櫃の搬送先は大大陸博物館。魔術研究所じゃなくね。どう思う?」
「あそこに送るってことは、学術的・美術的な価値しかないと判断してる証拠ね」
「やっぱり。だとしたら、政府の連中はまだ聖櫃の存在に気付いてない」
「そうね。それは幸いね」
レシアはリストを折り畳んでアリアに返すと、ふと窓の外に目をやった。
「有意義な情報じゃなかったかい?」
「そんなことないわ。ありがとう、アリア。ただなにか見えない手に、導かれてるようで……とてもイヤな胸騒ぎがするの」
室内の光を反射して、鏡のようになった窓ガラス。そこに映るレシアの横顔は、無表情だった。相変わらず表情から感情が読み取れない。一抹の不安を感じてるだけなのか、何か心当たりがあるのだろうか。その声音からは判断できなかった。
――――夕暮れが迫っていた。
景色が徐々に速度を上げて、後方に流れ去っていく。列車は動き出した。
「フェイ、乗り遅れたとかないよね?」
サウスブレス駅を後にする。フィガーは流れる駅構内の様子を、ぼんやりと眺めながら、ぼそっと呟いた。
当のフェイはというと――――
「飛び乗っだんはええが、何号車やねん?」
発車ベルと同時に、近くの乗車口に、ギリギリ体を滑り込ませていた。
この陽気にもかかわらず、いつもの黒いロングコートを着用。背には布でくるんだ槍を負う。コートの内ポケットからチケットを取り出すと、車両と客室番号を確認する。
そのとき、おもむろに先頭車両側の引き戸が開いた。カップルが後ろの車両へ移動しようと、通りすがった。
「ちょっと、すんません。ここって何番車両か、わかりまへんか?」
彼女の方は、ツインテールが良く似合う、綺麗な黒髪の美少女である。彼氏の方は、めちゃくちゃ目ツキの悪い、ボサボサ赤髪の少年だった。
この少年、どっかで見たような……相手側も同じような顔付き。つま先から頭のてっぺんまで、じろじろとどちらも相手を嘗め回すように見ていると…………、
『あっ!!?』
お互いを指差して、声を上げるのはほぼ同時だった。
「そのとことんまでの目付きの悪さ、お前、アクスとちゃうんか?」
「そういう大根の葉みたいな頭をしたお前は……フェチ!!」
「そうそう女性の膝裏からふくらはぎのライン、あれ、ししゃもとか言うん? ほんまたまらへんねんなぁ。二の腕のたぷたぷ感も捨てがたいねんけどな――って、何言わせるんじゃ、アホンダラ! フェイや、フェイ。わいはフェイ・ラオやっちゅうねん!!」
「つまらんノリツッコミ。腕を落としたな、フェイ」
「ほっとけーき。わおっ」
「ダジャレに頼るまで、落ちぶれたか。しかし、お前生きてたんだな」
二年振りだった。大陸政府軍が敢行した、紫の剣団殲滅戦以来の再会であった。
「……お、おお。ま、まぁな」
フェイは伏し目がちに、どこか歯切れの悪い返事をした。
「悪い。イヤなことを思い出させた」
後ろ頭を掻いて、アクスも苦い笑いを浮かべた。眩しくもほろ苦いあの頃を思い出して、胸の奥がわずかにうずいた。
「アゼザル、知り合い?」
袖を引いて、ユロが小声で聞いてくる。
「ああ。紫の剣団の頃のな」
「えっ、ええっー!? 紫の剣団ってアンタ、あの伝説的反政府組織の……?」
「ははははは。ええ反応しよるな、嬢ちゃん。わいは、フェイ・ラオや。よろしゅうな」
「ユロ・アローよ。こちらこそ」
差し出された手は無視。ユロはにこりともせず、素っ気ないアイサツをさっさと返して、
「本当にあの紫の剣団のメンバーだったの、アンタ?」
「話してなかったっけ?」
「聞いてないわよ」
「そうだっけ? それでもまぁ、そんな胸倉掴んでまで聞くほどのことじゃないだろ?」
紫の剣団は表向き、大陸政府の七遺跡に対する秘密主義と、遺跡の独占権を公然と批判し、全遺跡を広く大陸全人民に解放することを主張し、活動する自由結社であった。その活動内容は時に、遺跡の一時占拠や不法侵入、遺物の略取など非合法な手段を取ることもあり、行き過ぎた自然保護を訴えるエコテロリズムと並んで、その過剰な活動から遺跡テロリズムと評される反政府組織の一つであった。
「遺跡好きなメルヘンおっさんが作ったバカ・サークルだ、あんなもん」
と、事情通のアクスなどは評するが。
やや半信半疑なところがあったけど、あの黒いロザリオ・キー、本当にリュシヘルムから盗んできたんだ――と、改めてユロは確信する。紫の剣団なら充分あり得る。
「人をあんなふざけたバカ・サークルに引き込んどいて、そんで自分はさっさと勝手におっ死んで。ざけんじゃねぇ、っての」
懐かしい知り合いに出会って、ついグチがこぼれた。
「もしかして、アンタが死ぬ原因となった知り合いの敵討ちって……?」
「ユロには関係ない」
アクスはむっつりと横を向いた。この話は終わりだと強引に打ち切るように。怒っているのか、悼んでいるのか。それ以上、踏み込むのは躊躇われた。
「――そないに二人でぴったり寄り添って、何の話をしとるんや? 婚前旅行の相談か?」
と、フェイがニヤニヤとこちらを見て言った。
「こここ婚前旅行って!?」
顔を真っ赤にして、胸倉から手を放し、ユロはあわててアクスから飛び離れた。
「そんなこと、絶対あるわけねぇだろうが。ユロはただの旅の連れだ。ひょんなことから、そうなっただけ。下衆なかんぐり、すんじゃねぇよ。そういうお前は一人か? 連れは?」
ちらっと横を見ると、鬼の目付きでユロがキッと睨んでいた。なぜか物凄くお怒りのご様子。きまぐれなお嬢様の心情は察しかねる。
「連れならおるで。そやそや、十三番車両に行きたいねんけど、この車両は何番や?」
それを聞くのがそもそもの目的だった。
「十三ならもっと後ろだ。オレたちも行くから、一緒に行くか?」
「こんなトコで立ち話もなんやしな」
窓の外はすっかり暗くなった。月は雲に隠れて、黒いインクを流したような闇が広がる。わずかな光源を湛えた列車は、闇を縫うように進む。
各車両の通路と客室には、すでにランプが灯されていた。
乗り遅れそうになりながらも買ってきた駅弁をキレイに平らげて、少しくつろいでいると、アクスとユロの二人はフェイたちの部屋に招かれた。
自己紹介は済ましてある。
「――まぁ、わいの連れも紹介しとくわ。これもなんかの縁や。ちょー寄ってけや」
と、フェイに勧められるまま、夕方に軽く言葉を交わしていたのだ。
フェイが一三〇五号室の戸を開くと、中にはそのとき三人の美女がいた。
「フェイ、ドコ行ってたんだい? レシアをほったらかして」
「すまん、すまん」
「ん? そっちは?」
と、アリアはすぐに気付いた。
アクスはアリアがやたらと胸がでかいのに、すぐに気付いた。
ユロはアクスの視線の先がどこを向いているのかに、すぐに気付いた。
「……どこ見てんのよ? あのバカは」
誰にも聞こえない程度の小声で、不機嫌にユロはこぼした。
「さっきばったりと車内で会うてな。昔の、紫剣時代のダチでアクス。で、その連れや」
「オレは、アクス・フォード。こっちはユロ・アロー。よろしく」
「そうかい。私は、アリア・シュテル。そんでこの可愛いのがレシア。そこに突っ立ってるのはフィガー。ちなみにフィガーは生物学上の分類では一応男なんで、よろしく」
「一応って。他の学問上の分類では、ぼくは男じゃないって言うのかい、アリア?」
「統計学上では確実にあんたは女だよ。見た目、どう見てもそうだろ? 十人が十人、見た目だけなら女って答えるよ。なぁ、アクス?」
と、アリアは気さくだった。
ふと、クイックイッと強く袖を引っ張られた。
「お腹空いた。さっさと部屋に行くわよ」
振り返ると、ユロがめちゃくちゃ膨れっ面だった。このまま放っておいても、癇癪を起こしそうなので、
「フェイ、それじゃあまた夕食の後にでも。オレたち部屋の確認もまだなんで」
と、適当な理由を付けて、夕方は簡単に別れたのだった。
――窓側の席に着くと、アクスは順々にまず顔と名前を再確認する。
アクスから見て右側――二段ベッド下側に、巨乳のアリアと金髪おかっぱのレシア。左側のベッドには、後ろ手に髪を束ねた美女にしか見えない中性的なフィガー。特徴のある三人は覚え易くて助かる。
「何、鼻の下伸ばしてるのよ?」
ついついアリアの胸に目がいってしまう。アクスは不自然に目線をあらぬ方へ遣る。完全にアリアの胸を見てましたと認めるに等しい素振り。いよいよユロは見た目にも、不機嫌極まりない顔付きだった。
「フェイとは長い付き合いなんだってね」
アリアが気兼ねなく、話し掛けてきた。彼女の腕にしがみついて、その陰からレシアはちらちらとアクスの様子を窺う。にこっと笑い掛けると、ぴょこっとアリアの陰に隠れる。まるで森の小動物だ。
子供には怖がられる性質だからな。アクスは目ツキが悪いので、大概の子供を泣かせてしまうのだ。だから正直言うと、子供は苦手だった。
「付き合いは長くても、深くはない。未だ顔見知りに毛が生えた程度だ」
「よう言うわ。浮いとったお前に、優しく話し掛けたったんは誰やと思とうねん。あのままやったらお前、寂しさにやられて、何色かわからんウサギになっとたからな! ウサギは寂しいと死んでまうねんで。つまりわいはお前の命の恩人やで。その恩人にむかって、顔見知りに毛が生えたくらいって、失礼にも程があるっちゅうねん」
「よく言うよ。ヘマばっかやらかして、絶体絶命のピンチを何度助けてやったか。命の恩人って言うんなら、オレの方だよ、バーカ」
「誰も助けてくれなんて、頼んだ覚えはありましぇ~ん」
昔と変わらず、小憎たらしい顔をしてやがる。このまま続けても、堂々巡りになるだけなので、アクスは話題を変えた。
「ところで、四人はどういう関係なんだ?」
「同僚だよ。それより、アクスたちはどこまで行くつもりだい?」
アリアはさらりとはぐらかして、質問をすり替えた。
「オレたちはアーサーベルまで。大大陸博物館に用があって。そっちは?」
そうアクスが聞き返すと、アリアとレシアは一瞬、顔を見合わせた。
「……何しに?」
「観光に決まってるでしょ」
居心地悪そうに、左腕の包帯をいじっていたユロが、横合いから横柄に答えた。いちいち説明するのも面倒だと言わんばかりに。
「観光?」
「他に何かあるワケ? 他人のアンタたちに、別に事細かに話す必要なんてないでしょ」
ユロはつっけんどんに言って、辺りをじろりと見渡した。レシアがぴょこっと隠れる。
「そういう言い方はないんじゃない?」
とげとげしいその言動をアリアがたしなめると、ユロは強く反発した。
「アンタみたいのに、とやかく言われる筋合いはないわよ」
「アンタみたいのって、どういう意味よ?」
「胸を強調するしか能がないバカ女って意味よ」
と、虫の居所が悪かったのか、ユロは激しくアリアに突っかかった。そうなると売り言葉に買い言葉。
「陰気な黒ローブの根暗女が、言ってくれんじゃないのさ! 自分が貧乳だからって、ひがむんじゃないよ」
「これは発展途上なだけ。誰がアンタみたいな下品なウシ乳を、羨むものですか! 年取って無様に垂れるだけ。あとは衰退の一途よ、一途」
「もともと廃れてる、栄華も極めたこともない貧乳のひがみは、ああ恐い」
「そんなバカっぽい化け乳になるよかマシね。まだ貧乳と言われる方が、慎み深くていいわ。正直そこまで大きいと気持ち悪いのよ」
「これがいいって男の方が多いんだよ。現にアクスもチラ見してたしね」
「いっ!? いやぁ、それは……あれ? その、なんだ……」
――バ、バレてた!? しどろもどろにアクスの目が泳ぐ。見事なバタフライ。ますますユロの表情は険しくなって、不機嫌さに拍車を掛けた。
二人は睨み合う。
さっきまでニコニコとしていたフィガーからも、まったく笑顔が消えていた。ただおろおろするばかり。場の雰囲気は最悪だった。
「ふんっ。アタシ、疲れたから。もう寝るわ」
早口でそう言うや、ユロは足早に部屋を出て行った。
「なんだい、ありゃあ……?」
と、アリアは憮然と呟いた。
フィガーは突然のことに、唖然とする。
「みんな、すまん。あいつ、口が悪くて。別に悪気があったわけじゃないんだ。あいつは人と接するのが、極端に下手なんだ。根はいいヤツなんだが。優しいトコもあるし」
アクスは立ち上がると、アリアたちに頭を下げた。
「出会った頃のお前によう似とるな。大勢おる場では、いつも居心地悪そうにしとったり、人を寄せ付けへん態度とか」
フェイに言われて、改めて気付かされた。あいつは昔のオレに似て、ひねくれ者の不器用者なのだ。大勢の中にいると、自分の居場所を見つけられなくて。人とどう接したらいいのかわからなくて。ずっと修道院という限られた世界で生きてきたこともあるだろう。また過去に重い十字架を背負わされたユロの心が、頑なになるのも無理からぬこと。総じて、人との距離感がうまくつかめないのだ。
昔の自分を見てるようで、苦いものを噛み締めるアクス。
「追わなくていいのか?」
「すまん」
と、アクスも急いで部屋を出て行った。
「気難しそうなお嬢様だこと。アクスも大変だ」
それを見送って、アリアは大袈裟に肩をすくめた。
「レシア、どうかした?」
先程から黙りこくって、レシアはぼんやりとランプの灯を眺めていた。アリアの声も、部屋の喧騒も届いていないようだった。肩を軽く叩かれて、はじめて顔を上げる。
「大丈夫かい、レシア? ぼーっとして」
「……あのアクスって人から、複雑な魔術反応を感じた。これほど複雑に絡み合った高度な術式ははじめて。構成術式がわかったとしても、さっぱり合成理論がわからないわ。
――ただはっきりと言えることは、あの人はヒトじゃない」