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第十話「シオンの魔石」(あとがき登場人物紹介)

 二年前――――


 断崖絶壁(だんがいぜっぺき)に建つシオン修道院に、その男は突如(とつじょ)現れた。


 いつもの時の中で、いつもの朝、いつもどおりに妹達の世話を焼く毎日が、ずっと続くと思っていた。


 その男が現れるまでは……。


 その日も普段と変わらぬ朝だった。


「ユロ(ねぇ)、おはよう」


「おはよう、イリメラ。って、だらしないわねぇ、アンタ。寝癖(ねぐせ)もひどいし、ボタンもちぐはぐだし。それに何? その枕は」


 眠そうに目をこすりながら、イリメラは枕を引きずっていた。


「ほえほえ……」


 寝ぼけ顔がまだあどけなくて、思わず抱きしめたくなる。子供の寝顔は天使のようだとよく言うが、イリメラを見てると、そこに寝ぼけ顔も加えなくてはいけない。


「もうしょうがないわね」


 お姉さん風を吹かして、ユロはイリメラの前にしゃがみこんで、服装を整えてやる。ついでに手櫛(てぐし)で髪を()いて、寝癖を()でてなおしてやる。イリメラはこそばそうにしながらも、(のど)をコロコロされる猫のように気持ちよさそうに、成すがままユロに撫でられていた。


 食堂へと向かう廊下での、いつものワンシーン……いや、そこにやかましいのが飛んでくるのが、恒例(こうれい)だった。


「ズルイズルイズル~イ! イーちゃんばっかり。ユロ(ねぇ)、アタシもアタシも」


「きたきた。うるさいのが」


「あ。シーちゃんだ。おはよう」


 間延(まの)びした声で、イリメラはのほほんとあいさつする。相変わらずのマイペースっぷり。


 廊下の端から、朝から元気いっぱいにシシリーが走ってくる。


「ユロ姉、イーちゃん、おはよ。ユロ姉、今日もちゃんと寝癖付けてきたんだからね!!」


「はいはい」


 シシリーはユロに髪を梳かれるのが、とても好きだった。わざわざ素晴らしいまでの寝癖をこさえて、毎朝ユロのもとへと飛んでくるの彼女の日課だった。


「にゃは」

 と、ご機嫌な様子でシシリーもユロに髪を梳いてもらう。


「あらあら、すごい寝癖。毎朝、大変ね」


「おはようございます、シスター・メアリ」


 廊下を通りすがった年配のシスターは、微笑(ほほえ)ましい表情を浮かべた。


『おはようございます、シスター・メアリ』


 イリメラとシシリーもユロに(なら)って、立ち上がってペコリとおじぎをする。


「はい、おはようございます。ユロさん、続けてあげて。その鳥の()(あたま)で、修道院長の前に出るわけにもいきませんものね」


「は、はい」


「……それにしても、こうして見ていると、あなたたち本当の姉妹のようね」


 しばらく(なが)めてはそう言って、ふくよかなシスター・メアリは、大きなお尻をぷりぷりと振って、のしのしと三人の横を通り過ぎて行った。


 ユロは赤ん坊の頃に両親に捨てられた。物心付く前から修道院で暮らしてきた。イリメラとシシリーも()たような境遇(きょうぐう)だった。だからなのか、ユロはイリメラとシシリーを実の妹のように可愛がっていた。二人もよくユロに(なつ)いていた。そこに特に理由などないが、そうして積み重ねてきた時間があり、三人は実の姉妹以上にとても仲が良かった。


「さ、できた。遅れると怒られちゃうから、行こっか」


 右手にイリメラ、左手にシシリーの手を引いて、三人連れ立って食堂へと向かう。イリメラの右手には、さらに枕がずるずるとお(とも)していた。


 過酷な立地からも、シオン修道院は規模的にさして大きくはない。また古びた戒律(かいりつ)からか、年々修道女の数も減り、今では七十人しか起居(ききょ)しておらず、食堂は閑散(かんさん)としていた。


 八人掛けの長机が四列に並べられ、観音開きの扉から一番遠い、食堂全体を見渡せる位置に、修道院長の席がある。ラキソラ修道院長はすでに着席していた。急いでユロたちもいつもの自分たちの席に着く。


 朝食はライ麦パンが二つに、かぼちゃのスープが一皿という質素なもの。


「全員(そろ)いましたね。では、朝食前の祈りを」


 ラキソラ修道院長のしわがれた声が粛然(しゅくぜん)と響いた。皆、胸の前で両手を組んで、目を閉じ、一斉に祈りを(ささ)げる。


『光の(しゅ)よ、あなたの(いつく)しみに感謝します。日々の(かて)を今日もここに、我らにお与え下さることを』


「それではみなさん、光の主の恵みを()()め、いただきましょう」


 そのとき、バンッ!! ――と、両手で観音扉を乱暴に押し開き、その男は現れた。


 鮮麗(せんれい)銀髪(ぎんぱつ)。右眼の下、耳までの刀傷。吸い込まれそうな青い瞳。全てのものを嘲笑(あざわら)うかのように、虚無(きょむ)的に引き(ゆが)められた口端(こうたん)。腰に()びる双頭蛇(そうとうへび)をあしらった曲鞘(きょくざや)。すべてが見る者の目を奪う一種異彩(いさい)を放つ。


「レイパード・フォン・エルファレオ!?」


 思わずアクスはその名を(さけ)んでいた。これはユロの過去のビジョン。アクスの声など届くはずもなかったが、レイパードがギロッととこちらを(にら)んだ気がした。その瞬間に走る言い知れぬ悪寒(おかん)に、アクスは身震(みぶる)いした。


如何(いか)な用事があろうと、このような突然の朝の訪問、いささか礼を(しっ)するのではありませんか。青年よ、後日改めて出直してきなさい」


 ラキソラ修道院長はぴしゃりと言い放った。


「クククククク……」


 両目を(おお)うようにこめかみを親指と中指で押さえ、レイパードは低く笑った。


 ユロやシスター・メアリ、他の修道女たちは、息を飲んでそのやり取りを見守る。


「何が可笑(おか)しいのです?」


「ボクに指図(さしず)する権利も力もあなたは有していない。あなたは自分の役割を理解していない。ボクはシオンの魔石を(もら)い受けに来た。黙ってそれを差し出すのがあなたの役割だ」


「寝言は寝てからにしなさい。そんな要求が通るとでも? さぁ、出て行きなさい」


 ぱっくりと裂けるように、レイパードの口が開いた。笑ったのか?


 ――と思ったら、一瞬の出来事だった。


 ラキソラ修道院長の隣にいた修道女の首が飛んだ。席に残された胴体の切り口から、噴水のように血が吹き上がった。


「見ちゃダメ」

 と、ユロはイリメラとシシリーを強く抱き締めた。


 いつの間に抜き去ったのか、レイパードの左手には、刀身が灰色の剣が握られていた。


 右頬の刀傷から、紫のアザがじわりと首へと広がる。その紫瘴痕(ししょうこん)が彼の異常さをより際立(きわだ)たせ、不気味な凄味(すごみ)を彼の顔に加えた。


 食堂は水を打ったように静まり返っていた。突然の出来事に全員が全員、ただ息を飲む。


「もう一度、言いましょう。ボクはシオンの魔石を貰い受けに来ました」


(おど)しに屈する気はありません!」


 半身を同胞(どうほう)の血で濡らしながらも、ラキソラ修道院長はきっぱりと拒絶した。


「みなさん、何をしているのです。教敵(きょうてき)殲滅(せんめつ)するのです! シスター・ジョーダナ」


「心得ております。邪教徒覆滅(じゃきょうとふくめつ)の術式を発動します! 挽歌(ばんか)『オルフェウスの火水晶(ひずいしょう)』」


 シスター・ジョーダナを中心に、左右に三十人ずつ横一列に修道女たちが展開し、美しい歌声を(かな)で始める。信心深い修道女たちの歌には魔力が宿る。


「ほぅ、これがウワサに聞くシオンの聖歌隊か。中世ゴルビアの流れを組むものだね。術者が周囲から魔力を集めて増幅し、一つの大きな術と成す。錬金術に通じるものがある。シオンは錬金術にも造詣(ぞうけい)が深かったと聞く」


 レイパードの周囲に円錐状の結界が張られる。結界はまるで水晶の牢獄(ろうごく)のようであった。その水晶牢の内部が、突如として燃え上がる。業火(ごうか)(ふち)()めるように広がり、レイパードの体を一瞬のうちに飲み込んだのだった。


「シスター・メアリ、こちらに」


 ラキソラ修道院長は手招きをして、シスター・メアリを呼んだ。


「ここはそう長くは待たないでしょう」


 そう言ってるそばから、水晶牢にピシッ、ピシッと無数に細かいひびが入る。(くだ)けるのも時間の問題だ。


「あなたにシオンの魔石を託したいと思います。あれはとても危険なもの。いきなり剣を抜き放つような狂人の手には、決して渡してはならないものです。これは私の部屋の金庫の鍵。金庫の場所はわかりますよね?」


「そのような大役、私にはとても……」


 シオンの魔石を受け継ぐということは、修道院を預かるのと同義。


「次期修道院長には、慈悲深く、常に心優しいあなたこそ相応(ふさ)しいと、私はかねがね思っておりました。あたら若い命を、このような場で散らすのは忍びありません。ですので一緒に、ユロたちを連れていって下さると助かります。私がここに残らねばならぬ以上、あなたに頼むしかありません」


 シスター・メアリはイリメラとシシリー、そしてユロを順番に見つめた。そのような言い方をされては、引き受けるしかないではないか。シスター・メアリはラキソラ修道院長から、金庫の鍵を受け取った。


「ありがとう、シスター・メアリ」


 シスター・メアリには、掛ける言葉が見つからなかった。無言のまま、ただ(うなず)いて、ユロたちを連れて食堂を出る。右側の修道院長が出入りする専用の小さな木戸(きこ)を使った。


 年季(ねんき)の入った木目(もくめ)の廊下をきしませて、四人は食堂を出て真っ直ぐ進む。窓から見える空はぼんやり曇り、廊下は寒々と薄暗かった。


「ユロ姉……こわいよ」


「……アタシも」


「大丈夫! アタシがアンタたちのこと、何があっても絶対守ってあげるんだから!!」


 ユロはつないだ手にギュッと力を込めた。


「そこを左に曲がって」


 修道院長室へと向かっていた。小さな池がある中庭に面して、左側に奥張(おくば)った部屋が修道院長室だ。ユロがドアノブを回して、開ける。


 室内はとても簡素だった。使い古されて全ての角が丸くなった木製の机に椅子、窓際には赤い小さな実の成った(はち)植えが五つ並んでいる。その机の真後ろに、ディルス地方のとある農村を色彩豊かに描いた、前世紀の不遇の天才画家デュパン・ゴーウェン作の絵が、飾られていた。


「はぁはぁはぁ……」


 息を切らして、豊満なお肉を揺らして、シスター・メアリが遅れてやって来た。


「ユロさん、この鍵でその絵の裏にある金庫から、シオンの魔石を取り出してちょうだい」

 と、シスター・メアリはユロに金庫の鍵を差し出した。


 鍵には血が付着していた。ユロは驚いて、つい取り落としてしまう。


「あわてなくていいわ」


「はい」


 鍵を拾い上げると、額縁(がくぶち)を持ち上げて、壁から外した。その様子を、イリメラとシシリーが不安そうに見ていた。金庫は埋め込み式だ。ダイヤルはない。鍵を差して回すと、簡単に開いた。


 (あや)しい輝きを放つ、こぶし大の黒い石が三つあった。


「これがシオンの魔石」


 躊躇(ためら)いがちに、ユロは手を伸ばした。白い指が魔石に触れる。


 バチッ。何かが弾けるような音と共に、ユロは指先にチクリとした軽い痛みを感じた。


 コツコツコツコツ…………。


 足音が徐々にこちらへと近付いてきていた。思った以上に早い。


「ユロさん、あなたたちはその石を持って、そこの窓から中庭を突っ切ってお逃げなさい」


 そう言うや、シスター・メアリは部屋の外側へ出て、扉を閉めた。


「シスター・メアリ! 扉を開けて下さい。アタシたちと一緒に逃げましょう!」


 大きな体を扉にもたれかからせているのか、ユロがいくら押してもビクともしない。


「こんなことなら、少しはダイエットをしとけばよかったわ。おデブなおばちゃんは足手まといなだけよ。わずかなりとも、ここで時間を稼ぎます。あなたたちはさぁ、早くお行きなさい。私をただのおデブとして、犬死(いぬじに)ならぬ豚死(ぶたじに)させないでちょうだい」


「クククククク……」


 扉の向こう側から、低い笑い声が――


「きた」


「ユロ姉……」


 イリメラとシシリーがユロの袖を引く。


「アンタたちは窓際に行って」


「ユロ姉は?」


「すぐに行くわよ」

 と、ユロは金庫からシオンの魔石をひっ(つか)んで、手荒に(ふところ)に押し込むと、窓際に駆け寄った。


「ラキソラ修道院長、ごめんなさい」


 鉢植えを強引に腕で払い落とす。鉢植えが割れる音に、イリメラがビクッと体を震わした。ユロは窓を開け放った。まずはイリメラを抱えて窓の外に出す。続いてシシリーを抱えて、自身も一緒に中庭へと出る。


「とにかく二人とも走るのよ!!」


 中庭を突っ切って、敷地を出て、森に身を隠せば……。そんな甘い考えでいた。


 背後で窓が割れる音と、壁が崩れる大きな音がした。振り返ると、血まみれのシスター・メアリが、ガレキと共に倒れ込むところだった。


 傍若無人(ぼうじゃくぶじん)にガレキを()みしだいて、銀髪のその男は姿を現した。


「これ以上、付き合うのも面倒だ」


 レイパードはぞんざいに剣を振るった。三連の灰色の斬撃(ざんげき)がほとばしる。


 その斬撃は、無慈悲にもイリメラとシシリーを襲った。二人の背中をざっくりと切り裂き、その幼い命をたやすく奪ったのだった。二人の体は、斬撃の(いきお)いで、ボールのように地面を何度か跳ねては転がって――止まった。


 声もない最期(さいご)だった。二人の瞳からは光が()せ、じわりと身体からは血が流れて、あっという間に大きな血溜(ちだ)まりを作った。残酷な現実に、ユロは茫然(ぼうぜん)とその場に立ち尽くした。


「あああああああああああああ‼‼‼‼‼」


 やがて獣のような彼女の慟哭(どうこく)が、シオン修道院に響き渡った。


「実に興味深い。このボクの魔装『廃絶(はいぜつ)灰皇(はいこう)ヒュプロボス』の斬撃が無効化されるとは。シオンの魔石によるものか? それとも……」


 右頬をべっとりと紫に染めながら、彼は灰剣を片手にゆっくりとユロに近付いた。


「だが、直接的な物理攻撃なら打ち消せまい」


 レイパードが彼女の肩に、手を掛けようとした瞬間――


「ユロさん……」


 名前を呼ばれて、ユロははっと振り返った。尋常(じんじょう)でない流血を押して、レイパードに必死に組み付くシスター・メアリの姿。


「まだ生きてたんだ。しつこい人だ」


「ダイエットしなくてよかったわ。お肉のおかげよ」


「その傷、その出血、死にぞこないが今更(いまさら)何を? 服が汚れるんで、放してくれない?」

 と、レイパードはガッと剣の(つか)で、傷口に容赦なく打撃を加える。その度、シスター・メアリは吐血(とけつ)を繰り返しながらも、その手を決して(ゆる)めなかった。


「シスター・メアリ!?」


「は、放せと言われて、放すものですか。せ、せめて彼女だけでも助けます。

 ユロさん、たとえどれほど絶望しようとも、あなたは生きるのです。生きなくてはなりません」


 シスター・メアリは優しくひとつ(うなず)いた。


「羽を守護する貴塔(きとう)の鳥よ、最果(さいは)て光の行く道を、風に聞く間に(むす)んで照らせ。翼を守護する貴城(きじょう)の鳥よ、()くなき時の行く道を、風に問う間に(つむ)いで(うつ)せ。(うつ)すは光、縮めるは時。我に道成(みちな)る道を導き示せ!」


「魔術師がまだいたなんて。術式は中世ゴルビアのメギストフ式転移術(てんいじゅつ)――『羽と翼の式』か。あ~あ、してやられたよ」


 転移術『羽と翼の式』が発動する。術者及び術者が触れる対象物、対象者を瞬時に、任意の別の場所へと、移動させることができる魔術であった。移動距離は術者の魔力による。


 レイパードとシスター・メアリが光に包まれる。そして、そのままその場を飛び去った。


 あとに残されたのはユロだけだった。


 空が泣き出す。ぽつり、ぽつり……と雨が降り出した。


「どうして、アタシを助けたのですか、シスター・メアリ……」


 雨は次第に大粒となり、本格的に降り出した。ユロの頬を伝い流れ落ちる。それは雨かはたまた涙か、(まぎ)れてわからなかった。絶望に打ちひしがれて立ち尽くす。


 ――不意に。ユロが(はじ)かれたように顔を上げた。今、声が聞こえた。男性とも女性とも子供とも老人ともつかぬ不思議な声。どこからか、声は言った。


「お前の大事な者たちを、生き返らせてやろうか?」


 甘い誘惑。彼女は思わず返事をしてしまう。


「そんなことができるの? アンタは一体誰? どこにいるの?」


「我は、アゼザル。魔石に宿る存在」


 懐からシオンの魔石を取り出してみる。ほのかにどの魔石も熱を帯びていた。


「普段は不安定なもので、(かく)たる意識などないのだが……瘴気(しょうき)()てられたようだ」


「生き返らせるってどうやって?」


「では、(なんじ)に罪深きシオンの死霊術(しりょうじゅつ)を教えよう」


 有無を言わさず、魔石から黒いもやが立ち昇り、ユロの額へと消えた。激しい頭痛。魔石を取り落とし、ユロは頭を抱えてうずくまった。


「……何、これ」


 膨大(ぼうだい)な知識が流れ込んでくるのがわかる。死霊術の偉大なる中興(ちゅうこう)の祖、稀代(きだい)死霊術師(ネクロマンサー)シオン・シフォンの研究知識、研究理論の数々。


 ユロは刹那(せつな)に理解した。


 シオンの死霊術が不完全なことも。死霊術が秘めたる潜在的な可能性も。まさに悪魔の(ささや)きというべきものを。


 ユロは妖しく輝く魔石を拾い上げた。


「可能性は示した。決めるのは汝だ」


 シオンの術式――それは死霊術、つまりは死者蘇生だ。生命の定義への反抗、あるいは創造主への挑戦に他ならない。とはいえ(いま)だ不完全な術式。現段階ではイリメラとシシリーを完全に救うことはできない。肉体の蘇生は可能だが、精神を呼び戻すことは難しい。しかし、針に糸を通すようなものだが、可能性は示された。


 だが、なぜアゼザルという存在は、ユロにかような知識を与えたのだろうか? そこにある思惑(おもわく)よりも、この残酷な現実を変え得る可能性しか、今のユロには見えていなかった。


「アタシの大切なもの……アタシがアンタたちのこと、何があっても絶対守ってあげるから。あの子たちにアタシは言った。何があっても、って。手段があるなら、悪魔にでもすがるわ」


 ユロの目がすわる。心はすでに決まっていた。アゼザルが囁く。


「罪深き新たなる愚者(ぐしゃ)よ、ならば我を使うがよい」


「言われなくても、散々(さんざん)こき使ってやるわよ。使われてこそ道具は本望よね」


「ふっ……」


 アゼザルは満足そうに(かす)かに笑うと沈黙した。魔石に帯びてた熱は雨に濡れてすぐにすっかり冷めた。


「イリメラ、シシリー、アンタたちに言いたいこと、してあげたいこと、まだまだいっぱいあるのよ。さよならも言わずには()かせない」


 ユロはしっかりとした足取りで、二人の遺体へと向かった。


 雨は一層強く、彼女の体を打った。


 ユロは死霊術の核となる黒いその石を、ゆっくりと二人の遺体の上に置いた。


「アゼザル、アタシに力を貸しなさい!」


 シオンがその生涯で辿(たど)り着いて導き出した死霊術は、錬金術をベースとした代償契約による物質変成を基軸(きじく)に組まれていた。しかし、魔石など偶発的な産物によるところも大きく、理論的には非常に不確定な上に成り立つ、未だ不完全なものであった。肉体の蘇生はできても、意思や感情と言った心や(たましい)と呼ぶべきものの蘇生は、まだ一度も成功した(ため)しはない。


 それでもユロは、シオンの死霊術を行使する。アゼザルの何らかの思惑に利用されることも含め、すべて承知の上で悪魔の囁きに乗る。わずかな希望を求め。


「闇を魅入(みい)るは、群青(ぐんじょう)に制せられし智天(ちてん)御使(みつか)い。闇を()るは、深緑(しんりょく)()められし熾天(してん)の御使い。闇を(つかさど)るは、白銀(はくぎん)(おか)されし座天(ざてん)の御使い。闇は(じゃ)、邪は混沌(こんとん)、混沌は闇、堕天(だてん)の領域を守護せし汝ら、反天(はんてん)の御使いに()い願う。我が右眼と左腕を喰らいて、これら(むくろ)たちの死杯天秤(しはいてんびん)(さか)さにせしことを!」


 想像を絶する痛みが走る。


「…………っ!?」


 右眼と左腕の肘から先をもっていかれた。もがれた腕を押さえ、片眼から血の涙を流す彼女を、雨は容赦なく打ち続けた。


登場人物紹介

(登場人物が多くなってきたので整理します。時折、あとがきに挟んでいきます)


アクス・フォード:

魔装顕士まそうけんし。使う魔装は、剣「蒼き炎狼えんろうシュッテンバイン」。元紫もとむらさき剣団つるぎだんのメンバー。赤髪、緑眼。目つきが悪い。一度死ぬも、ユロに出会い、アンデッドとして蘇る。その後、ユロの願いを叶えるため、行動を共にすることに。


ユロ・アロー:

死霊術師ネクロマンサーにして魔術師。ツインテールの美少女。右眼と左腕は義眼と義手。左手は常に包帯を巻いている。アクスを核石アゼザルを使い、蘇らせ、アンデッド化する。シオン修道院出身。同じ修道院で育った妹分のイリメラとシシリーを生き返らせるという願いを叶えるため、旅をしているときに、アクスと出会う。




フェイ・ラオ:

魔装顕士。アクスとは旧知の仲。使う魔装は、槍「螺旋蜂らせんばちメルキナ」。元紫の剣団のメンバー。現在は、ロンベルク聖教ロア・パブリック教派所属の助祭を務める。レシア枢機卿すうききょう直属。ホウキのように逆立てた髪に、夏でも黒のロングコートを着ているが、意外に常識人。


レシア・フレーディア:

ロンベルク聖教ロア・パブリック教派所属の枢機卿にして、世界に九人しかいない魔導師の一人。膨大な魔術・魔導の知識を有し、単独で界門かいもんを召喚するほどの絶大な魔力を誇る。見た目は、十歳ほどの少女。牛乳・ピーマン・人参・レバーなど好き嫌いが多い。聖女リアノ・カシュの再来とも言われる。聖アヌスの聖櫃せいひつの行方をフェイたちと追っている。


アリア・シュテル:

ロンベルク聖教ロア・パブリック教派所属。レシア枢機卿直属。きつね眼の巨乳。武器は、矢印形の分銅が付いた紐状の流星錘りゅうせいすい


フィガー・フィルファディアス:

魔装顕士。使う魔装は、ブーツ「双墜そうつい風鷲かぜわしダーダネルス」。ロンベルク聖教ロア・パブリック教派所属。レシア枢機卿直属。見た目は、絶世の美女だが、生物学上は男。レシアのことが好きだが、相手にされていない。また、ワールドクラスのアホーでもある脳足りん。




ニル・シュライザー:

ロンベルク聖教イーア・メノス教派、黙示録もくしろく履行推進局りこうすいしんきょく所属の司祭にして、世界に三百人程しかいない魔術師の一人。異眼のニル、詠唱破棄の通り名を持つ。まるでエメラルドとトパーズのような美しい緑と黄色のオッドアイズを持つ。大司教の姉がおり、姉のことになると普段の聡明さがなくなり、姉の言葉は至上神聖不可侵だと盲目的に姉を慕う重度のシスコン。


リュース・レオン:

ロンベルク聖教イーア・メノス教派、黙示録履行推進局所属。ニルの相棒的存在。魔装顕士。使う魔装は、大鎌「錆蜘蛛さびぐもヒジュラ」。長身のオカマ。綺麗な男の子が好き。




サガ・ローウェイン:

大陸政府軍大佐。「極帝きょくてい」の異名を持つ。長髪の金髪碧眼の超絶美男子。紫の剣団殲滅戦の武功で大佐へと昇進した。襲ってきたアクスを手加減できず、斬り殺す。ロンベルク聖教ロア・パブリック教の信心深い信徒でもある。かなり頭も切れる。


ヴィノア・テイラー:

大陸政府軍中尉。サガの子飼いの女性武官。黒縁眼鏡の堅物キャラ。色恋には免疫がない。サガを公私混同で慕っている。参謀見習い。サガとは、師弟の関係に近い。


シェスカ・サキ:

大陸政府軍少尉。ヴィノア同様サガの子飼いの女性武官。黒ギャル、巻き毛のイケイケ女子。ヤンキー上がりだから怖いもの知らず。サガのことは尊敬しており、一生付いていくつもり。




レイパード・フォン・エルファレオ:

魔装顕士。使う魔装は、剣「廃絶はいぜつ灰皇はいこうヒュプロボス」。元紫の剣団のメンバー。混沌教団こんとんきょうだん幹部。シオン修道院を襲撃し、イリメラとシシリーを殺害する。ユロの仇。鮮麗な銀髪。右眼の下、耳までの刀傷。吸い込まれそうな青い瞳。全てのものを嘲笑うかのように、虚無的に引き歪められた口端が特徴。

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