始め
『マズローの欲求段階説。それは心理学者マズローが人間の欲求を5段階に体系化したものである。それらの欲求は段階となっており、下から生理的欲求、安全の欲求、社会的欲求、自我の欲求、自己実現の欲求となっている。これらの欲求は下から充足されていき低次元の欲求が満たされると上の欲求を満たそうとする。その時、低次元の欲求が一旦満たされるともう逆行することはない。つまり今ある欲求が満たされれば次の欲求へ進んでいくのである。また、自己実現の欲求だけは際限がない。さらに高く欲求を満たそうとする』。
この成熟した社会では多くの人が高次元の欲求をすでに満たしている。それは多くのことに何にも不自由なく過ごせることを意味する。それでは我々は何のために生きているのだろうか。それはあくなき欲求を満たすため、さらにいえば「なりたい自分を追求するため」に人は生きている。それは現代の職業をみても明らかだろう。数十年、数百年前にはなかった職業が今の世の中を動かしている。その一つに彼はアイドルというものをみた。人を魅了すること、それによって得られる名声、人気、金。「自己実現の欲求」という「究極」を追求していこうとするその職業に彼は憧れた。しかし彼には特質する才能がなかった。ルックスもダンスも歌もアイドルにとって必要最低限のものが全くなかった。それでも夢見た彼は一念発起する。
「新グループ結成!新メンバー募集中!」。その発表は日本中の空気を大きく渦巻くようだった。プロデューサー森繁剛。元々作詞や脚本を行っていたが女性アイドルのプロデューサーでも名声を手に入れた。これまで多くのアイドルを作り上げ、20年以上業界のトップを走り続けてきた。代表的なのが「プラネット系」と呼ばれる姉妹グループ、「ヴィーナス」と「マーズ」がある。どちらも多くの支持を集め、国民的人気を博しているが作ったのは長女ヴィーナスで10年以上前、マーズでも5年前と新鮮味がなくなった。次第に人気が伸び悩みその間に外国のアイドルが参入。独占していたはずの国内市場を蝕まれ危機的状況に陥っていた。これに手を打とうと関係者は新たに新グループの結成を決めた。しかし秋山は気分屋で現在はドラマなどの脚本に力を入れている。プロデューサー森繁の名は字面だけとなった。関係者の中では常に怒号が鳴り響き今にも破裂しそうな風船のようだった。それでもやってくる新メンバーオーディションに関係者は次第に鬱屈な気分となっていた。岸を離れた船はさっそく沈没しそうになっていた。