第九話 蚩尤旗
1
無支祁は無人になった治水工事の現場を破壊しながら東進しているという。
ようやく、作戦を実行に移すときがきた。
俺は銅製に作り直した鈴を応龍の首にかけ、もう一つの新兵器をかつぐと、麗花さんと共にその背に乗り込んだ。
庚申とその部隊もこの日のために作った装備を台車を押して運搬していく。
クン・ヤンも今日は剣歯虎にまたがってやってきた。
俺たちが破壊の惨状にたどり着いた時、無支祁は長い鼻に木材を掴んでいた。
その長い鼻がクン・ヤンに狙いをつけた時、俺は上空で鈴を激しく揺さぶった。ゴングならぬ鈴の音が、猛獣と人間という有史以前から続く戦いの始まりをつげた。
無支祁の注意は、狙い通り俺たちに向けられた。
無支祁のつかんだ木材はバットよろしく空中の俺たちに向けて横凪に振り回された。
麗花さんが杖を振り、応龍を上昇させるタイミングの方が早かった。
その隙に、クン・ヤンが吹き矢を連続して撃ち込むと手を挙げて叫んだ。
「じきに身体がしびれてくるはずだ。誘導をはじめろ」
麗花さんがムッとした顔で返す。
「いちいち指図するな!」
応龍の操縦を麗花さんに任せて、俺は新兵器の準備に取り掛かる。
準備をしながら、俺は首元に揺れるループタイを意識していた。思えば遠くへ来てしまった。飛行機に乗ったときは、自分が翼竜の上でマンモスと戦うなんて予想もしなかった。……そんなん予想できるやつはいないか。
荒れ狂う無支祁が追ってくる。時折鼻から投擲される岩石や木をすんでのところで避けながら、亀山の麓までたどり着いた。
「なんだ、普通の沼じゃないか。あの女、私たちを騙したんじゃないか?」
「いや、よく見て麗花さん。水が張っているのは上澄だけだ」
麗花さんも沼の異様さに気づき、口を押さえた。沼の水面は一見綺麗に見えるが、その下にはどす黒い、まったく水と異なる液体が潜んでいた。
2
無支祁が自分たちに追いついた。既に辺りは暗くなりつつあった。俺たちは沼の上を旋回しながら鈴を鳴らしたが、無支祁は上空の俺たちと沼を見比べるようにして、雄叫びをあげるとその場で悔しそうに足踏みをした。
「賢い怪物だ」
「きっと、仲間が穴や沼に落とされて殺される中、上手く立ち回り、生き残った個体もいたんだ。そうして恨みとともに子孫に知恵を残し、代をつないできた」
そのおそらく最後の個体を、俺たちは殺めようとしている。
「しかし、長い闘争の中でも、これを見たことはないはずだ」
俺は新兵器、自力で作ったボウガン、ここが中国だというならば後には弩と呼ばれるものを構えた。
「……お前の持つそれは、蚩尤の弓に似ている」
「蚩尤?」
「数々の武器を発明した大昔の悪いやつだ。黄帝さまと戦って滅ぼされた。武器の製法も、その死とともに失われた、はずだ。その弓は壁画でしか見たことがない」
俺は狙いを定め、引き金を引いた。
矢は、直線的な軌道とともに無支祁の片眼を射抜いた。
無支祁は耳を大きく広げて、苦痛にわなないた。
その時、ようやく庚申達が追いついた。
「片側の脚に大索をかけろ!」
五十人前後の配下の兵士たちが何本もの荒縄をかけて作った巨大なロープーー大索ーーを運び出す。勇敢にも脚元に飛び込んだ兵士の幾人かが、踏み潰されてトマトピューレみたいになってしまったが、なんとか2本の脚に大索を巻きつける事に成功した。
庚申自らも大索をしっかりと握る。
「せぇのッ!」
掛け声とともに庚申達は大索を力の限り引いた。
重心を崩した無支祁が横倒しに、沼へと倒れ込んだ。
無支祁は立ち上がろうとするが、長い体毛に粘着質の半液体状のものがへばりつき、思うように地面に上がれない。
もがけば、もがくほど、沈み込んでいく。
やがてもがく四肢や鼻にも、力が入らなくなっていく。
沼のほとりに剣歯虎にまたがったクン・ヤンがいた。自分の射った痺れ毒の効果を目の当たりにしても、その顔に喜びはなかった。
悲痛な声とともに、無支祁は黒い沼に引き摺り込まれていく。
「なんなんだ、あの泥みたいなのは……恐ろしい」
「あれは、瀝青の沼、天然のアスファルトの池、タール・ピットだ」
舗装素材として優秀なアスファルトあるいはタール、これらは天然にも存在する。稀に液状となって地表に噴出し、湖のようになるものがあり、それをタール・ピットと呼ぶ。この中から不幸にも溺れ死んだ有史以前の動物の化石がよく発見されることは俺もよく知っている。あと、これは京子さんの受け売りだが、鼻削ぎなどの何らかの刑罰を受けて沈められた古代人の骨が発見されることもあるのだと言う。
庚申達は既に勝鬨を上げはじめた。
ほぼ全身が沈みつつある無支祁は、長い鼻だけを沼から伸ばしていた。一秒でも長く生きようとするその姿を見て、俺は罪悪感に胸を締め付けられた。
無支祁の鼻が見えなくなると、俺は作った鈴を沼に投げ落とした。そして、しばらく真っ暗な湖面を眺めていた。
「空を見てみろ」
麗花さんの声で顔を上げると、亀山の山頂から赤い帯状の光が空に伸びていた。
「オーロラ?しかし、こんな低い緯度の地域でオーロラなんて……」
「私たちはあれを蚩尤旗と呼んでいる。天下が乱れる予兆だ」
俺は空を覆っていく血のように赤いオーロラを、ただ見つめていた。





