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第五話 禹

 「なんか隠してます? 俺を厩舎に連れてこうとしないのはなぜ」


最近、麗花さんは記憶を取り戻すためにあれを読めだのこれを食えだのと色々渡してはくるもののの、厩舎に連れていこうとしない。


「か、か、か、隠してなんかないぞ」


麗花さんは後退りしながら腰を机にぶつけてしまった。

乗っていた壺が床に落ち、派手な音を立てて割れた。


「嘘ヘタクソすぎかよ!」


本当に気が進まない、という顔で麗花さんはしばしば厩舎に案内してくれた。


 「実は、応龍の元気がない。応龍だけでなく、他の龍もだが、こいつが一番深刻だ」


麗花さんは心配そうに応龍の頬をなでた。

応龍は苦しげな表情で長い首をうなだれている。

俺が口を開くと、麗花さんは何故かビクッとした。


「悪いものでも食べたかなぁ」


俺の感想にホッとしたのか、麗花さんも落ち着いて喋り始めた。


「まさか、魚はきちんと生きのいいやつをやっている。それに厩舎の周りも一族総出で大掃除したばかりだから、石ころ一つない。変なものを食べる余地はない」


「今なんていった?」


「変なものを食べる余地はない?」


「ちがう、その前」


「石ころ一つない」


「それだ!」


俺は河原で御龍氏の人々に小石を集めさせると、厩舎の周りにばら撒いた。

顔を出した翼竜達は嬉しげに鳴きながら小石をつるつると飲み込んだ。


「みるみる元気になっていくな。どういう術を使ったんだ」


「鳥は歯がないから消化のために石を飲むことがままある。これを胃石という。翼竜の化石から胃石が出てきたことはないが、生態が似ているならあり得る話だと思った」


「つまり、私たちが良かれと思って徹底的に掃除したことで、胃石に使う石までなくなってしまったということか」


麗花さんは深々とため息をついた。


「これだから私は、御龍氏ぎょりゅうしはダメなんだ。乗ることは一丁前でも、拳龍氏かんりゅうしのように龍を養い育てる技術は不十分だ。真の龍使いではない」


「俺は龍使いなんかじゃない」


「龍使いさ。事故に会う前よりも、もっと優れた龍使いになったかもしれない」


応龍が首を伸ばして俺に顔を寄せた。感謝の証だろうか、紫色の舌が俺の顔を舐めまわした。こいつは翼竜達の中でも一番の大食漢だから、とりわけ多くの小石が必要だったのだろう。


「事故に会う前は、俺は、どんな人だったの」


「優秀な龍使いだった。だけど、龍のことを愛していなかった。……だから、連れてくるのが怖かった。お前が、“これはもう殺して、帝に肉を献上しよう”とか言い出すかもしれないと思ったから」


「それはひどいな」


「このまま記憶がもどらなかったら、お前は優しいままなのか」


俺が答えられないままでいると、麗花さんは無理に笑顔をつくって言った。


「変な事を言ってしまった。忘れてくれ」


その時、背後から俺たち二人を呼ぶ声が聞こえた。董父の声だった。


 「大司空だいしくうがご視察のために応龍に乗られるとのことだ。三公を乗せて飛ぶとは、拳龍氏の誉れ。記憶がないとはいえ勘は取り戻したようじゃし、しっかり努めてこいよ」


「別な国の人だって主張してるやつに、要人の輸送を任せちゃうわけ???」


抵抗する俺の後ろ頭をぽかぽかと麗花さんの杖が殴りつける。しかし、その感触はどこか柔らかだった。

大司空とは話を聞く限り、建設大臣のようなものらしい。京子さんなら詳しいのだろうが、俺には初耳だ。

大司空は身体に障害を持っているという。

細心の注意をもってお乗せしなければならないらしい。

あれよあれよという間に巡幸の日取りが決まり、ついにその日がやってきた。

その日は雲一つない快晴だった。

天蓋に覆われた牛車から降りたその男は、つくばうように不恰好な歩みで、厩舎の前に待つ俺と応龍の前にやってきた。

大臣というのが本当かと思うほどに小ざっぱりとした飾り気のない衣を身にまとっているが、頭には物々しい冠を戴いている。


姒文命じぶんめいだ」


「お初にお目にかかります、閣下。本日、お供いたします

董隆とうりゅう、こちらが応龍でございます。よろしくお願いいたします」


「うむ……」


姒文命の手を取り、腰を押し上げて応龍の背に乗せる。

応龍はゆっくりと歩き出し、そして駆け足となり、風を受けて離陸した。

今回の視察の道筋は、大河に沿って大司空が手がけた治水事業の進捗とこれまでの成果を確認するものだった。

眼下に広がる光景は俺の常識を圧倒するものだった。

山の稜線の全てが裸になるほどの伐採の末に切り出した木材の上を転がして、夥しい岩石が運ばれる。

岩石は大河の両岸に並べられるとともに、河川の中にも投じられ、河の流れさえも変える。

木材は堤となって水流を抑える。

日本が文明があるんだかないんだかもわからないような時代に、中国ではこのような大事業が行われていたのかと思うと、感嘆の中に若干の悔しさがなくもなかった。

完成しているところの壮大さもさることながら、ほぼ人力で行われる現在進行形の工事の過酷さたるや、上から見ているだけでも木材が倒れたり、岩の下敷きになるといった凄まじい事故を見てしまった。


「どう思うかね」


「……壮大な事業だと思います」


「ははは、上手く言い逃れたな。言っていいのだぞ。お前はひどいことを民衆に強いている。暴君だ、とな」


俺は何も言うことが出来なかった。

きっとこれをやらねば、もっと酷いことが起きるのだろう。

現代でさえ、河川の氾濫は多くの犠牲者を伴うのだから。


「亡き父は優しい人だった。これを強いることがとうとう父にはできなんだ。父は流罪となり、一人寂しく死んだ」


姒文命の目は過去を彷徨っていた。


「父に代わって推挙された私は、必死になってやった。心を鬼にして、多くの人夫たちを死に追いやって、森や河を殺して、ここまでようやく行き着いた。その間に、私の身体は、犠牲者の呪いでも受けたかのようにねじ曲がってしまった。父を死に追いやった帝は私を褒めちぎり、三公の一人にまで昇った」


「素晴らしい行いだと思います」


「しかし、私がどんなに出世をしても、不遇をかこって死んだ父はもどってこない。できた堤が立派でも、岩の下で潰れた人夫達は帰ってこない」


「でも、犠牲になった人たちのことを、あなたは覚えている。忘れない。あなたが必死にやったことも私や他のだれかが忘れずに覚えている。語り継がれる。それではいけませんか」


「……忘れない、か。そうだな。私は、決して、忘れない」


無事に予定通りの時間で着陸し、お付きのものから褒美をどっさりともらって、麗花さん達とご馳走を食べた。

だが、その間も姒文命の悲しげな横顔が脳裏にこびりついて離れなかった。

姒文命が後に伝説上の帝、となって、忘れられずにいる事を知ったのは、全てが終わった後のことだった。

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