第十二話 丹朱、水無きに船を下る
丹朱は傲り、維れ漫遊を好み、水毋きに舟を行り、家に朋淫し、用て其の世を絶ちしが若くなること毋かれ。
『史記』夏本紀 帝禹
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祭壇に置かれた鼎には火が焚かれ、左におかれた仮の玉座に舜が腰を降ろしている。右に置かれた玉座は空だ。そこへ向かう石畳には群臣達が整列している。やがて、帝である堯が輿に乗って厳かに石畳を進み、玉座に座った。この後は譲位の詔が読み上げられ、互いの椅子を交換し、舜が帝となるはずだった。
石畳の上を慌ただしく一人の兵士が走ってきた。
堯が静かな声で問いただす。
「これ、重大な国事の場であるぞ。よほどの急時でないのなら……」
「た、太子様、ご謀反!」
途端に儀式の場は蜂の巣をつついたような喧騒に包まれた。
「陛下、陛下いかがいたしましょう!あ、陛下が気を失っておられる」
気を失った堯を群臣達が輿を担架代わりにして横たえる。
舜は決然とした表情で、仮の玉座から立った。
「皆のもの、狼狽えるでない。都には堅牢な城壁がある。守備の軍も丹朱様……いやさ、逆賊丹朱の軍の規模を大きく上回る。何を恐れることがあろうか」
群臣達は舜の冷静さを讃え、場は一先ず収まった。
その時、新たな兵士が石畳を駆けてきた。
「城壁!破られました」
「舜様、舜様いかがいたしましょう!あ、舜様が泡を吹いておられる」
群臣達が次に見つめたのは大司空の姒文命であった。
「まずは状況を正確に報告せよ。なぜ、これほど短時間に城壁が破られたのか」
「は、陸を進む船のようなものが突っ込んで参りまして、攻撃を寄せ付けずそのまま城壁は破られました。その後に夔竜達が侵入して城内の領民が次々に……」
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それは地上戦艦とでも呼ぶべき代物だった。
前方に青銅製の厳しい衝角を備えた、全長70メートル、全幅30メートルにも及ぶ半月型の巨大な船のごとき構造物が、城壁を突き崩し、悠々と進んでいく。
時折、船は停止する。三段構造になった船の中で、慌ただしく人員が上下する。船底に取り付けられた巨大な車輪をラックアンドピニオンによる人力で回しているため、人員の交代が必要なのだ。船底に車輪を取り付けて外からは一見して見えづらくしているのは、ひとつには車輪への攻撃を防ぐため、もうひとつは船が陸上を進んでいるように見せるというまやかしめいた目的であった。
停止した船に近づこうとするものは、船上に取り付けられた大型の弩に射抜かれ、あるいは船に並走する夔竜の餌食となった。
その後に丹朱が服属させた南方の諸民族が進んでいく。民も兵も、情け容赦なくナタでばっさりと切り捨てていく。このような巨大な兵器や怪物を操る丹朱への畏怖が彼らの規律を高めていた。
船上の中央には後年に床子弩と呼ばれたような特大の弩が据え付けられ、その横には盃をくゆらせる丹朱その人の姿があった。
丹朱が盃を挙げると射手が床子弩に岩石を装填する。
「放てッ!」
射出された岩石は、宮城の壁をいとも簡単に打ち砕いた。
「まったく、歯応えのないことよ。折輿、このまま一気に攻め上るぞ!」
「御意」
折輿は夔竜に鞭を打ち、速度を上げた。船も巨大なすりこぎのような不協和音を奏でながら、徐々にかそくしていく。
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「宮殿に移ったのは失策だったか」
射ち込まれた岩石は群臣の幾人かを押しつぶし、凄惨な光景が広がっていた。姒文命は顔を歪ませて嘆いた。
扉が破られる音が響き、続いて獰猛な捕食者、夔竜達が城の中に飛び込んできた。
空中に脚で蹴上られて角で串刺しにされる者、頭だけを食いちぎられてバタバタと身体だけで走る者、次々と兵士や群臣、そして宮女たちが犠牲に供されていく。
「腹ごしらえはそれくらいにしておけ。帝と舜を探すのだ」
折輿の虚ろな声が響く。
「譲位を取り消されるつもりか。そうはさせんぞ」
「いけません、大司空よ!お逃げください」
将軍の庚申が押し留めるも、それを振り解き、
姒文命は、夔竜に乗る折輿の前に立ちはだかった。
「取り消させるなんて……そんな手ぬるいことを我が主がするわけあるまいよ。帝を殺し、舜を殺して、帝位をもぎ取るおつもりさ。さて、お前もついでに殺しておくか」
夔竜の牙が剥き出しになり、文命の前に繰り出された。
しかし、その時、突き出された夔竜の顎の前を何かが掠めた。
夔竜は鼻面から血を吹き出し、苦しげに吠えた。
「庚申、この貸しは高くつくぞ」
巨大な山猫のような獣、シミターキャットに跨った崑崙族の女族長クン・ヤンがそこにいた。崑崙族は一度は敵対したものの、無支祁の討伐で共闘したことから、関係改善の萌が見えていた。そこで和平の協議を行うため、都に客人として招かれていたのだ。
「恩にきるぞ、クン・ヤン!惚れてしまいそうだ、いや惚れた」
「チッ、そういうのはいいんだよ」
つめよる庚申をクン・ヤンは頬を朱に染めつつ押し留める。
一方で、折輿は吠え狂う夔竜の頭を押さえてささやいた。
「だまれ」
水を打ったように静かになった夔竜が、再び3人を見据える。
すりこぎのような音と共に、宮殿の前に地を進む船が到着した。破壊された壁の外から丹朱の声が響く。
「折輿、何を手間取っている」
「この毛玉が邪魔だてしましてね。しばし、お待ちを」
丹朱は盃を掲げた。岩石が床子弩に装填される。
「もういい。まとめて吹き飛ばす」
文命達に狙いを定めた弩の射手は、視界が暗くなったためにその手を止めた。弩の上を巨大な影が覆ったのだ。
「空の龍使いよ、来たか」
折輿がつぶやいた。
上空には、関達、拳龍氏の乗る応龍達が羽ばたいていた。
丹朱が見上げたその空の上から、何かが降ってきた。
丹朱がそれを、その土器の筒を視認するやいなや、船の上に落ちたそれは轟音を立てて爆発したのである。





