第五話 五女・巴とその娘たち
六階は、今までのフロアと全然雰囲気が違います。
大小のコンピュータが並び、様々な計器類が複雑につなぎ合わされているここは、巴ファミリーのお部屋がある階で、研究エリアでもあるの。
ラウンジ兼共同研究室には誰もいないみたいだから、お部屋を回ろうかと思ったそのとき、一角から声がしました。
「やあパパ、恵理姉さん、おはよう」
そこいたのは、巴ママの小学五年生の長女、司ちゃん。小さな体をエルゴノミクスチェアにちょこんと乗せて、静かに考えごとをしていたようです。機材に隠れて気付かないところでした! 見ているモニタにはたくさんの図やグラフが並んでいます。
「もしかして徹夜?」
「まさか。一時間前に起きたところだ。規則正しい早寝早起きこそが、研究には肝要なのだよ」
言いながら、自分で淹れたらしいコーヒーをすする。
寝ぐせもなく整えられた髪に眼鏡、地面を少し引きずる白衣。巴ママに似て小柄な体が特徴の司ちゃんは、とっても頭がいいんです♪
そして、ラウンジを囲んで複数あるスライド式のドアの一つがシュンと開いて、次女の命ちゃんもやってきました。
「おはよう。みんな健康そうで何よりね」
年齢にしては背が高く、スタイルのいい命ちゃんは、白衣と眼鏡が大人っぽい印象。
「丁度いいから診察しましょう。パパ、おなかを出して」
すぐ済むからと促され、服をめくったお父さんのおなかに、命ちゃんが聴診器を当てます。朝からいい光景を見れました♪
「うん、正常。おくちも開けて? はい、のどの奥まできれいよ。次は試験管のこの線まで唾液を入れて」
手際よく検査を進める命ちゃん。我が家の小さなお医者さんです♪
「よし、今朝の数値の入力しておこう」
命ちゃんからもらったデータ見ながらキーボードをカタカタする司ちゃん。
「難しそうだね」
「そうでもない。それに、恵理姉さんにも関係のあることなのだよ。見てくれたまえ」
「これで何が分かるの?」
示された画面には数字がたくさん並んでいるけれど、私にはさっぱりです。
「一言でいえば、生物学的にも遺伝学的にも、恵理姉さんとパパの相性は最高ということだね」
「え、え、え~……えへへぇ……♡」
そんなこと、ここで言わないでよ~! 後でこっそり教えてくれればいいのに。ほっぺにがんばって力を入れるけれど、すぐに、にへら~ってゆるんじゃうのが自分でも分かる。も~、司ちゃんったら! お父さんにも聞かれちゃったじゃない♪
どんな顔をしているのかな、と横目でお父さんを見ると……誰とも目を合わせず、斜め上の天井を見上げていました。もう、いっつもそうなんだから!
「何か聞こえない?」
お父さんったら、またまた、そんなことを言って……ってあれ? 本当に聞こえる気がする。
がしょん、がしょん――。
大きくて重いものが動くような音。どんどん近付いてくるようです!
「――完成したのか」
司ちゃんがつぶやく。
すると、このホールから放射状に伸びるいくつもの通路、その中でも一番大きなものの奥にある扉が開き――現れたのは、箱。
白い横長の直方体が、上面から伸びた四本の長い関節肢を器用に動かし、壁や天井に張り付きながらこちらへ向かって進んできます。
そして、あっという間に私たちの眼前までやってくると――その六面と四脚をがしゃがしゃとスライドさせながら変形し――たちまち全長五メートルはある人型のロボットになりました!
純白の装甲に覆われたスマートかつ重厚な姿。身を屈めていても迫力は十分。その鋭角的な頭部のアイカメラを青く点滅させながら、白い巨人が電子的音声でつぶやきます。
「――変形、完了」
この声は! 三女の揺ちゃん! いつの間にこんなに大きく!?
バシュッ!
ロボットの胸元が開くとコックピットになっていて、小さな女の子が座っていました。薄金の右目と翠玉の左目のオッドアイ。不敵な様子で口の端を吊り上げ、不思議とよく通るささやき声で言います。
「起動、成功」
この子が三女の揺ちゃん。
……大きくなってはいなかったようです。それに、いつもはロボットではないんですよ。
「かっこいい……!」
驚きをひとまず飲み込んだ私の口から、感嘆の声が漏れました。
ロボットを作っているとは聞いていたけれど、こんなにすごいものが出来ているとは思っていなかったからびっくり!
「本当にできたんだ……!」
お父さんも驚いています。
「大きいね」
『外部ユニットを接続するともっと大きい』
私がロボットに近付いて白く硬い脚を撫でると、ホールの壁面モニタに文字が表示されます。
揺ちゃんは脳波でコンピュータを遠隔操作できる不思議な力を持つ子で、家じゅうのカメラやモニタも全て揺ちゃんの管理下。口数は少ないけれど、その分モニタも使ってお話しできるの。
「この子、名前はあるの?」
「ヒュペリオンだね」
「シナツヒコじゃなかった?」
私が尋ねると司ちゃんと命ちゃんがばらばらに答えます。
「白百合はそよ風にゆれて、だよぉ……」
そして、三つ目の名前を口にするのは、お部屋から影のようにひっそりと出てきた、四女の帳ちゃん。
真っ黒な服にロングスカート。前髪に隠れ時折のぞく右目は水底のように深い青、あらわな左目は血のように濃い赤。生来のオッドアイである揺ちゃんとは違って、帳ちゃんの両目はカラコンなんだ♪
けれど、その三つの名前は、揺ちゃんによると――。
『どれも』『不採用』
だそうです。そして、複数のモニタに極太明朝体で表示して、正解を教えてくれました。
『名称:未定』
『現在募集中』
『応募は揺の部屋のポストまで』
「おはよぉ……パパ……ぐふふ、いいにおい……♪」
みんながモニタを見ている間、パパの周りをぐるぐる回っている帳ちゃんは、魔術が得意!
従来の魔術儀式をエコに改良する自由研究が高く評価され、世界暗黒魔術協会主催の『夏休みこども禁術コンクール』で入賞したこともあるんだよ♪
「今日からみんなそろって……連休を過ごせるなんてぇ……日頃の儀式の成果……♪」
「連休は儀式と関係ないだろう。暦の巡りなのだよ」
「それもあるけどぉ……誰も予定が入ってないのは、儀式のおかげだよぉ……」
司ちゃんのつっこみも気にせず、帳ちゃんは、命ちゃんから採りたてのお父さんの唾液を分けてもらっています。
「いい材料も手に入った……。これで、もっと強い儀式ができるよぉ……」
そんなやり取りを前に困惑気味のお父さんは、とりあえず帳ちゃんの頭を撫でました。
「はぅぅ……パパの手……グレミディオ戦記の宵闇卿みたい……。温かくて、危険な衝動を秘めて――」
「そうかな。むしろ一話の領主みたいだっ♪」
そのとき、お父さんの近くから別の声が!
「奇襲に気付かないところがそっくり♡」
不意に耳に息を吹きかけられたようで、お父さんがびくっとする。
でも、みんなが声の位置に注目しても、誰もいません。
「こっちだよ! 今度の発明は成功だね~♪」
この声は、と思う間に、お父さんの目の前にエナメルピンクと蛍光グリーン混じりの髪がじわじわ出現してきます。続いて、サイバーゴーグルに覆われた可愛いお顔♪
やっぱり、五女の彩ちゃんだ!
「ステルススーツはいい出来みたい」
でも、裸!
ステルススーツって何? 何も着ていないってどういうこと?? ううん、それより――。
「あり、透過率を間違えたかな」
こっちがあわあわしているうちに、彩ちゃんの白い肌がぴっちりしていて光沢のあるスーツに覆われていきます。
「えへへ、ちゃんと着てるよ~」
≪ザン≫≪ネーン≫
ゴーグルの両目に文字が点滅表示されます。彩ちゃんはガジェット作成が得意! ステルススーツは新発明みたいですね。
「お、これいいじゃーん」
「わあ……まことにすばらしいでありますな!」
彩ちゃんがロボットに興味を示したとき、その声をかき消すほどの歓声がしました。
歓声の主は、虫眼鏡を片手にとてとてと走り来て、ロボットにかじりつく勢いで観察を始めます。
この子は、六女の真ちゃん。大きな眼鏡に作業着姿の機械いじりが得意な子で、この『名称:未定』くんの製作にも大きく関わっているんだよ。
「変形成功の瞬間はモニタールームで見ておりましたが、動く実物を見ると感激もひとしおでありますなぁ」
「がんばったね」
「父上! それほどでも。揺殿の手柄ですので、朝からそんなに熱いくちづけをせずとも~♪」
お父さんはそんなことしていないけど……これは真ちゃん流のおねだりかな?
「異常な興奮指数を感知。……推測通りパパ発見」
今度の声のほうには、短い髪の女の子。こちらは七女の廻ちゃん♪
「簡易走査の結果、パパのたんぱく質含有量が推奨量より-0.03%。至急補給しゅべし」
銀河の彼方へつながっているような神秘的な目でパパを見つめて言う。廻ちゃんは深宇宙の存在に自由に接続できるらしくて、そのおかげか計算が得意! 見ただけで色んな数値を言い当てられちゃうの。
「これから朝食だから大丈夫だよ」
お父さんはそう言うけれど、廻ちゃんは引き下がりません。
「とはいえ、油断は禁物。健康管理は最優先行動目標。パパの体はパパだけのものではないでしゅ。なぜならばこれから、私たち六十四人の次世代娘とそれぞれ八人ずつ、合計五百十二人の子どもを作らなければならないのでしゅから」
「いや、それは無理だよ……歳も歳だし」
苦笑いするお父さん♪
「そんなことはないわ……」
天からの声。直後。
ウィィィィィ―――ン……。ガション。ウィユーン……。
天井が開き、丸いリフトに乗った巴ママが降りてきます。
「まもなく世界に……シンギュラリティが……到来し、人類は……実質的な……不老不死を……手に入れるわ。パパは……とこしえに健やかに……私たちと……愛し合うのよ……♡」
世界規模の研究機関に所属する巴ママに言われると、説得力があるなぁ。
確かにお父さんは、お母さんたちの健康管理と日頃の運動のおかげで、とっても元気! 私たちのお母さんのお父さんでもあるから、同級生のお父さんたちより一世代ほど上のはずなのに、あまり変わらなく見えるくらい。
それに巴ママの姿だって、小学校のアルバムからほとんど変わっていないしね!
「というわけで……みんなおはよう。それから……この子も」
何だかもじゃもじゃしたものがリフトから伸びたキャッチャーアームで運ばれ、クッションとともに床へ優しく転がされた。それは、毛むくじゃらの妖怪・けうけげん!
……ではなくて、巴ママの八女にして末っ子の創ちゃん。
ごろごろ転がって……パパにぶつかりました。まだ眠っているようです。パパの足に抱きついて、すぴすぴ鼻ちょうちんをふくらませています♪
「おお……創殿の眠りぶりは今朝も素晴らしいでありますなぁ」
真ちゃんが虫眼鏡を手に近付くと、ぱちん! 鼻ちょうちんが割れちゃいました!
「むにゃ……。ちゅっ」
起き上がった創ちゃんが、真ちゃんをしっかりハグして、キス……!
「なんと愛らしい……。しかし、今朝はまだ父上にもキスされていないというのにこれは……」
お顔を真っ赤にしてあわてる真ちゃん。
「おはよう創」
「んちゅ」
創ちゃんを抱き上げようとしたパパにも、寝ぼけキッス!
おねむな創ちゃんはキス魔なんです♪
創ちゃんは、全身が隠れるくらい伸ばしているくせっ毛に包まれながらよく寝ているけれど、寝ぼけながらでも簡単なプログラムなら組めちゃうくらいすごい子なんですよ。
そんな創ちゃんの可愛らしい寝顔がよく見えるように、リフトから降りた巴ママがその髪を手ぐしでとかしてあげ……ようとして、届かず、お父さんに屈んでもらっています。眼鏡越しに我が子を見つめる表情はとても優しい。
「……どうすれば起きるのかしら」
「眠り姫を目覚めるさせる方法は一つなのだよ」
巴ママと司ちゃんのやり取りから、みんなの視線がお父さんに集中。
「さっきしたけどね……創のほうから」
「では、目覚めるまで……何度でもしましょう。……全員に」
困り顔のお父さんへ、巴ママがくちづけます。
「にゃふふ……」
創ちゃんの寝顔はとっても安らかです♪