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「ルシファー様は、嘘は吐いていません」
そこへ、別の誰かがメタトロン下命疑惑肯定派として加勢に来た。
「お初にお目にかかります、ルシファー様。わたしは大天使のサンダルフォンと申します」
サンダルフォンは、ルシファーに敬意を払って一礼した。悠仁たちは、今度はサンダルフォンに視線を集める。
「サンダルフォン。何故嘘ではないと言い切れる」
「わたしがメタトロンから直接聞いたからです。時々、神に代わって大命を下していることも。今回の計画のことも」
ミカエルの質問に、サンダルフォンは罪悪感から伏し目がちに答えた。声音は、面責を恐れているようだった。
続けてルシファーが質問する。
「直接とは、ここで会って聞いたと言うことか」
「そうです」
「アラボトは、認められた者以外の立入は禁止されている。普通なら簡単に来られない筈だ。君とメタトロンは、一体どういう関係なんだ」
問い質されたサンダルフォンは、メタトロンを一瞥した。そのあと、ルシファーの質問に包み隠さず答えた。
「……わたしも人間だったのです。エリヤという名で、メタトロンのあとに天界に来ました。その際に、わたしを不憫に思った神が同胞のメタトロンを紹介して下さり、アラボトでなら会ってもいいと許して頂いて、時々ここに来て話をしていました。その会話の中で───」
「神の手伝い?そんなことまでさせて頂いているの?」
「ああ。私から幾つか大命を下している」
「大命を!?凄い!神の代わりにそのご意向を伝えてるだなんて!」
「いや。私が考えた大命を伝えている」
「……君が?」
「そうだ。『不品行になった人間を戒める方法を講じて実行せよ』。『私たちが不寛容であることを人間に教え、中でも悪徒には罰を与えよ』。『首悪を見つけ、不敬虔を正すよう教えよ』。『以後の物質界を良くする為に、善人と悪人を把握させよ』。他にも、私が考えた大命を議会に下している。今度のやつも決まっているぞ」
「……それは…どんな?」
「『人間の存在価値を審査する。改心した人間を試験し、船出の時に備えよ』」
「───わたしが、議会が神の大命だと勘違いしている可能性を言うと、それも承知していると」
「間違いないのか」
「確かにこの耳で聞きました。こんな事実、聞き間違いをできる筈がありません」
サンダルフォンは、罪悪感からルシファーの目を見て肯定することはできなかった。
「……そんな、バカな……」
アブディエルは愕然とする。これまでの功績や築いた地位が揺るがされることよりも、自分の中の何かが音を立てて崩壊していく音が、何よりも恐ろしかった。
「今回の計画も、メタトロンが画策したことです。実は過去に二、三度実行しようとしていて、その度に、そんなことはやめた方がいいと説得をして何とか止めたのですが、もうわたしには無理でした。だから、人間から天使になったという噂があるメタトロンが関与している噂を流し、疑いを持った誰かに全てを暴いて止めてほしいと思ったのです」
自分の力不足を悔やんでいることが、その表情から見て取れた。メタトロンが謀略を巡らすに至った理由を知り、サンダルフォンの気持ちは中途半端だった。だから止めきれなかったのだ。
ルシファーは、推断してから抱いていた疑問をメタトロンに投げかける。
「メタトロンに聞きたい。人間だったと言うなら、何故、同胞を殺すような計画を立てたのだ。善も悪も関係なく、多くの人間が物質界に生きているんだぞ。お前の故郷だったのだから、それを知らない訳がないだろう。計画を実行すれば、故郷は崩壊する。後で後悔しても手遅れだ。お前の人間の心は、なくなってしまったのか。一体どうしてそうなった」
「殺そうと思ったからだ」
メタトロンは無表情で口にした。潜み続けていた悪意が、一瞬顔を出した。込められた殺意がサッと空気を凪ぎ、悠仁は純粋なそれに恐怖する。
メタトロンは側にあった大きな石に腰かけると、忘れてしまう程昔の話だと前置きして、計画を企図した経緯の独白を淡々と始めた。
「───人間だった頃、天使になる前に一度、神から天界に招かれたことがある。そのあと地上に戻ったが、暫くして天使として側に仕えるよう賜った。それは人間として至上の喜びであり、私は二つ返事で天使となった」
それからの日々は幸福だった。神の側にいられるなど、夢のようだと思った。この上ない幸福な時をメタトロンは過ごした。そんな時が過ぎるのは、あっという間だった。
そんな満ち足りた日々が数百年と続き、メタトロンの役目も板に付いた。
「ところが月日の経過と共に、不思議と幸福感は少しずつ薄れていった。ついには地上に帰りたいとさえ思い始めた。しかし、それは叶わなかった」
「神との契約があるからか?」
「そうではない。時間の問題だ。地上の時間が進み過ぎ、文明の進化で私がいた頃よりだいぶ変わっていた。そこは見たことのない、私の知らない世界だった。そしてその世界には、私の友も、家族も、誰もいなかった」
故郷である筈の場所が、気付いた時には全く知らない場所になっていた。
メタトロンが帰る場所は、なくなっていたのだ。
「私が知る者たちは、みんな死んだ。なのに私は、病にもならず、老いず、変わらない見た目のまま生き続けている。とてつもない孤独感を知った途端、命に限りがある人間が羨ましくなった。人間のように寿命がほしくなった」
メタトロンは、きれいな自分の掌を見つめる。
「人間に戻りたくなった」
なのに、知恵を発展させ続けた人間は獲得した力を争いで無為に振るい、平気で他を傷付け、殺している。生きていることが苦しければ、自分で死ぬこともできる。自他の命を自由に扱っているではないか。自分が限りある命を羨んでいるというのに、好き勝手に命を弄ぶ姿が腹立たしく、恨めしかった。
「だから一度全て殺して、この気持ちを晴らしてやろうと思った。しかし、私が直接関わることはできない。だから議会を使ってやろうと画策した。歪んだ人間を正す為に、善人の人間だけを選別し生まれ変わらせるという嘘を思いつき、人間と神の融合をさせようと考えた。元々神の一部だった人間を神と再び一つにさせ、生まれ変わらせるという救済措置をすると、神になりすまして議会に行動を指示した」
神には、人間を救いたいと言って指示を出させてもらっていた。ノアに永遠の命を与え、人間を監視させる役目を考えたのも、自分の無限の生の苦しみを誰かに教えてやりたかったからだった。
「それが、『第二次方舟計画』の真実なのか」
「そんな身勝手な理由で……」
しかし、メタトロンの画策はそれが終着点ではなかった。
「私の目的はそれだけではない。やがてこの計画が、私が画策したものだと知られるだろうとわかっていた。そこからが重要なのだ」
「まだ何か企ててるのか!」
もう十分に酷い計画なのにそれ以上何もしないでくれと、悠仁は耳を塞ぎたい思いだった。
元同胞の心の内など推し量ることなく、句点を打つべくメタトロンは続ける。
「私は仲間の天使たちを欺き、私怨の為に操り、故意に堕天させ、そして多くの人間の命を弄んだ。これは明らかな大罪であり、堕天は確実だと見越していた」
「裁かれることがわかっていながら何故?」
「堕天となれば、私は地獄に堕ちる。そして地獄に堕ちれば、業火に燃やされ、この身は尽きる」
そう。
「……お前の目的は」
「死ぬことなのか」
これ以上生きたくないと望んだ自分を殺すこと。それがメタトロンが作り上げた『第二次方舟計画』の土台であり、最終目的だったのだ。