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悠仁も驚き困惑する。その言葉を素直に信じられる訳がなく、敵だったことを思い出したようにアブディエルを問い質す。
「……て、て言うか。絶対適当なこと言ってるだろ!じゃあ。じゃあさ。隠蔽する程の罪って何か言ってみろよ!」
「人間の女性と交わったんですよ」
アブディエルはひと呼吸も間を置かず、容赦なくあっさり答えた。更なる衝撃発言に、悠仁は言葉に詰まる。
「……人間と、って……どういうことだ」
「グリゴリ事件は勿論覚えていますよね。ルシファー様はその時、奴らに紛れて人間の女性と交わったんです。そうですよね」
「……よく突き止めたな」
ルシファーは明確な肯定をする代わりに、アブディエルの努力を認めてやった。
悠仁は素直に受け入れられなかった。アブディエルの言葉は、端から信用していない。けれど、信頼するルシファーが彼の言葉を肯定している。隠蔽の事実を認めたくないのに、理性が冷静に正しい答えを教えようとしてくるのを必死で反発する。
「……本当に?嘘ですよねルシファー。ルシファーはそんなことしない。きっと何か弱みを握られて言わされてるんだ。罪も隠蔽も絶対嘘だ」
「嘘ではない。紛れもない事実だ」
「質の悪い嘘を吐くな!それなら証明するものはあるのかよ!」
「それなら、ここに一つある」
アブディエルが身体を半回転させると、連れていたもう一人の姿が薄暗い中に浮かび上がる。
「アスタロト!?」
アスタロトは状況を把握しているのかいないのか、相変わらずボーッとした面構えで佇んでいる。
「何故アスタロトが一緒にいる。後追い堕天をした筈だぞ」
「彼はルシファー様の大罪を語る上で、重要な証拠なのですよ」
「……本当なのか。アスタロト」
ミカエルに問われたアスタロトは答える。
「……オレ、知ってる……間違いない」
過去と未来に精通する彼がそう言うのであれば、アブディエルの主張もルシファーの肯定も嘘ではないと言うことになる。否が応でも、大罪と隠蔽は真実だと受け止めるしかない。
「俺は信じないぞ!」
それでも、生き証人の証言で固められた事実を悠仁は認められず、頑として拒絶を続ける。
「ルシファーは独立をしたくてわざと堕天したんだ。罪を犯したなんて言うのは、天界に戻りたくないから嘘を吐いてるだけだ。それに、アスタロトはお前に言わされてる可能性がある。アスタロト以外の証拠はあるのかよ、アブディエル!ルシファーの力で隠蔽したんなら、証拠なんて出てくる訳がない!」
往生際の悪い悠仁の主張に、アブディエルはゆとりを持った心で答える。
「証拠ならアスタロトの他にもある。記憶媒体ヤダティ・アサフで、物質界にいるルシファー様の姿を確認した。どんな力をもってしても、あれの偽装は不可能だ。故に、ルシファー様も証拠隠滅の操作はできなかった。だから代わりに、ラジエルに口封じをさせたのですよね?」
アブディエルの問いかけに、ルシファーは無言で応答した。
最後の一手もさらりと受け流された。盤上の駒は、全て黒にひっくり返された。白い駒はもう一つもない。
「……ルシファー。本当に?」
悠仁は、動揺に揺れる瞳でルシファーに問い質した。しかしルシファーは、何も言わず、首も動かさず、目も合わせてくれない。悠仁が求める答えのひと欠片も見せてはくれない。
すると、アブディエルから唐突な提案が出される。
「まだ信じられないと言うのなら、相応しい場で全てを白日の下に晒しましょう。再審をしようとしているのならば、望み通り私が再審を許可します。行うには十分な証拠の提示が必要ですが……そちらで用意したものでは、望まれる判決に対して恐らく不十分ではないかと思いますが、それでもやりますか?」
「……ああ。構わない」
大罪隠蔽は事実だと証明され、再審はもはや何の無意味だ。けれどミカエルは、正式な場所で公平な判断を求めるべく再審を望んだ。
「だが、今は立て込んでるだろ。簡易的になるのはわかっている」
「確かに簡易的にはなってしまいますが、不正が行われてはなりません。ですので、迅速かつ厳正な審判が下される方法と場所を私がご用意しました」
「どうするつもりだ」
その口から、とんでもない台詞が飛び出る。
「神に審判を下して頂きましょう」
「神に…だと!?」
悠仁とミカエルは目を見開いて驚倒する。悠仁にいたっては文字通り倒れそうになって一、二歩下がった。
裁判は裁判所で行うのが基本だ。罪の重さを自分たちで量り、罰を選定し、罪を犯すということがどういうことなのかを学習させる為に、神が天使たち自身で行わせている。その不変の常識を覆すことを、アブディエルは躊躇うことなく言ってのけた。勿論これまで、神が直接審判を下した例は一度もない。異例中の異例だ。
「……で、でも。神様に裁いてもらうなんて、おこがましくないか。これからの物質界が心配で、それどころじゃないだろうし。手を煩わせるだけだろ」
神様の仕事なんて想像できないから言っていることは適当だが、悠仁は尻込みしながら意見してみた。
「心配はいらない。既に神に許可は得ている。御前に伺わせて頂くこともな」
「それはつまり……」
「ルシファー様の再審は、神の御前、アラボトで行う」
それは日本で言えば、裁判所を無視するどころか警察庁も飛び越えて、天皇陛下や上皇がおられる皇居、しかもその中の正殿の高御座の前に赴くようなものだ。ミカエルも困惑した様子だが、目まぐるしい状況の変化に悠仁の思考は緊急停止しそうだった。
決定権も拒否権もないルシファーは、従うしかない。彼もさぞ困惑しているだろうと思ったが。
「……いいだろう」
「ルシファー!?」
「大命をくださる者の所へ行けるのだろう?願ってもないことだ」
怖じる様子は微塵も見せず、再審を望んでいなかった先程とは打って変わって意欲を見せた。
「ルシファー様は快諾されました。お二人も、それで宜しいですか?」
悠仁は自分ではどうにも判断できないので、それはミカエルに任せようと視線を送る。
何故、ルシファーが神の元での再審なら受ける気になったのかはわからない。しかしどちらにしろ、ルシファーの気持ちを無視して自分たちのエゴでやろうとしていたので、神なら全てを総合して正しい判決を下してくれる筈だと考え、ミカエルは首を縦に振った。
「わかった。その代わり、ユージンにも証言をする許可をくれ。ユージンはルシファーと付き合いがある人間だ」
「勿論です。元から、菅原悠仁には同席してもらおうと思っていましたので」
「俺を、裁判に……?」
「貴方は、アスタロト以上に重要な証拠ですから」
俺が、ルシファーの罪の……?
突然ルシファーの大罪と関係があると言われ、悠仁は動揺し不安になる。勿論、関与の心当たりなんてない。グリゴリの事件発生の時期に天界にはいたが、ルシファーに接触したのはその時が初めてだし、何より、現代の物質界に生まれている悠仁が数千年前の罪に関係するのは不可能だ。アブディエルの虚言としか思えない。
悠仁は不安から、無意識に左手首のブレスレットに触れた。
「さあ、参りましょう。神がお待ちです」




