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重大事件が発生した。牢獄がある第五天マティに投獄していたグリゴリが脱獄した。彼らの影響で人間の不品行が目に余る結果になったことを罪に問う為、人間と交わった件に次いで二回目の裁判が行われようとしていた矢先だった。
捜索が急務とされ、優秀な公安部が動き程なくしてグリゴリのほぼ全員が確保された。ところが残りの足取りが掴めず、公安部が各層の隅々まで回って捜索しているが、進展がない状況が続いていた。
第六天ゼブル、統御議会議事堂。統御議会は、天界の中枢機関である。
多くの尖塔が印象的な白い外観には、所々に繊細な彫刻が施されている。青銅製の扉は外部からの侵入を固く閉ざし、また神の言葉が漏れないように守っているようでもある。内部は役所同様に柱が立ち並び、天井もアーチ状となっており、巨大なステンドグラスは天界一と言われる美しさだ。
その会議室に議員たちが集まり、楕円形の円卓にそれぞれの定位置に座り会議が始まるのを待っている。
議員は上級各位階から二人ずつ選ばれており、議長のルシファーを含む熾天使の代表者が二名、智天使の代表者が一名、座天使の代表者が二名、そして書記を務める座天使が一名の計六名が在籍している。本来ならもう一人、七大天使であり、智天使の肩書きも持っているウリエルが在籍しているが、暫く前から欠席している。空いている彼の席には、鉢植えの植物が代理人として置いてある。
議長の外衣を纏ったルシファーが会議室に入り上座の議長席に着くと、本日の会議が始められる。
「まずは例の案件だな。状況は?公安部から報告は上がって来たのか」
例の案件とは、脱獄したグリゴリの残党捜索の件だ。勿論議会でも、この案件が最優先事項となっている。
公安部は、統御議会の直轄組織だ。公安部が持つ事案は議会にも通され、捜査の進捗も逐一報告されている。しかし、表立つことのない捜査───つまり、秘密裏に捜査をすることもある為、誰が所属しているかは把握されていない。最高責任者の名前さえ、上級天使だということ以外は誰も知らないのだ。それはルシファーも例外ではない。
因みに議会直属の組織は他に、裁判所や役所も含まれている。
ルシファーの質問に、報告を受けた第一補佐官の座天使・ザフキエルが答える。
「捕らえたグリゴリは、百九十九人。あと一人ですが、残ったのは、統率者のアザエルだと思われます」
「捕らえた仲間に、手懸かりを聞いていると言っていたが?」
「一人ずつ問い質しているようですが、誰一人としてその所在は知らないと。指導者のシェムハザも同様です。アザエルとは知己ではあるようですが、別々に投獄されてからは連絡の取りようがないからわからないと言っているようです」
ザフキエルは肩を竦めて言う。
円卓の端に座る書記の座天使・ラジエルは、本に議事録を書き留めていく。しかしその手は全く動いていないしペンすら持っておらず、見えない誰かが文字を書いているかのように自動で記録されていく。
ザフキエルの報告が終わると、副議長である熾天使のアブディエルが発言する。
「アザエルは最初、物質界の洞窟に閉じ込めたな。その後、天界に移送が決まり、その最中だったのでは?その役目は確か、ラファエル様だったな」
「まさか副議長は、ラファエル様を疑われると?あり得ません!七大天使の一人を罪に問うなど、こちらの方が咎められてしまいます!」
アブディエルの発言に焦ったのは、第二補佐官の智天使・ヨフィエルだ。
七大天使とは、ミカエルを始めとする七人の大天使のことだ。彼らは他の大天使たちとは一線を画し熾天使と同様の位に位置付けられ、ゼブルに居住することを許されている。そして、神から一目置かれる彼らは直接大命を賜ることもあり、天使の中でも稀有な存在だ。グリゴリ事件の際にも、ミカエル、ラファエル、ガブリエル、ウリエルの四人が命を受け、その初期処理に当たった。
「そんなことは言っていない。ただの事実確認だ。もしかしたら何か知っているかも知れないだろう」
副議長の提案に、ルシファーもそうかもしれないと賛同するが。
「だがアブディエル。今のような発言は避けるべきだ。このように誤解を招いてしまう。仮定の話だが、もしもこの中にラファエルを心服する者がいたら、この会議終了後すぐに伝書鳥を彼に飛ばしているだろう。そうしたら君は、次ここに来ても席はないということもあり得る」
七大天使の中でもミカエルら四人は、実力、権力が抜きん出ている。熾天使のアブディエルでも、その力に劣らないとも言えない。
「……すまない。私も前提を用いて話すべきだったな。以後は気を付ける」
「ヨフィエルも、早とちりは何の特にもならないだろう?」
「申し訳ありません」
ヨフィエルは素直に反省した。自身の立ち位置に自覚があるアブディエルも訂正はしたが、その表情は謝罪前と変わらない。
「だが、そうだな。ラファエルに話を聞くのもいいだろう。公安部は彼の所には行っていないのか?」
聞かれたザフキエルが、再び手元の報告書で確認する。
「……いいえ。その報告はありません。公安部もそれは知っていると思いますが、遠慮しているのでしょう」
「彼らも、逆に咎められるのを恐れているのだろうな。なら、私からラファエルに捜査協力依頼の書状を出そう」
残党がいる限り、再び脱獄を許しかねない。公安部には捜索を続行してもらい、最後に接触しているラファエルが僅かでも手懸かりを持っていることを期待することにした。
ルシファーは腕を組み、椅子の背に凭れかかる。
「裁判の予定が大幅に遅れてしまうな……しかし、今回の脱獄は誰の企てなのか」
「そう言えば、アザエルは金属加工が得意ですね。前に、ミカエル様の武器を直したこともあるとか」
報告書に添えられた個人情報を見て、ザフキエルが補足する。確かにアザエルなら、牢獄の鍵を複製できる可能性がある。
「彼が鍵を作って、隙を見て仲間を助け出そうとしたと言うのか?だが、判決前だが、もう堕天は決まっている。脱獄しても無駄だとわかっていない訳でもないだろうに」
「仲間を助けたいという心理が働いたのかもしれません」
「そんなことよりも」
議長のルシファーが話しているというのに、アブディエルが声を張って遮り、全く別の話を始めた。