表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
オルネフォルの軌跡  作者: はづき愛依
祝福の園 Ⅱ
87/106

14




 三人は小島を繋ぐ橋を渡り、休日で人手がある道を新市街地まで走り続けた。


「どっ、何処まで走るんだよ!」

「追って来てはいないようだし、この辺で大丈夫か」


 ミカエルが後方を振り返って確認し、数百メートル走り切ったところで足を止めた。悠仁は肩から荷物を下ろすと両膝に手を突き、はあっはあっ、と肩で息をする。対して、ミカエルとベリアルは全く息が乱れていない。

 悠仁は思った。アブディエルに狙われ始めてからよく走っているが、自分ばかりが損をしている。それ以外の損な役回りも全部アブディエルの所為だ、ケリが着いて謝ってくれたら全部チャラにしてやろうと勝手に決めた。

 呼吸を無理やり整えた悠仁は、ミカエルに聞く。


「俺たちは、これからどうする?」

「このままバチカン市国へ向かう」

「それはわかってるけど。天界に行ったら?」

「ルシファーの再審請求をする。通ればすぐにでも再審が可能になる手筈だ。この状況下だから裁判は簡易的になるだろうが、無罪判決が下されればルシファーの全ての権限が復活する。そうすれば計画の阻止も可能だ。あいつがいる所に連れて行くから、ユージンも説得に協力してくれ」

「うん。まぁ、それはいいけど」

「けど、何だ?」

「……いや。何でもない」


 了解した悠仁だが、言葉の裏では何かを心配していた。

 勿論、ルシファーが天界に復帰できるならそれは嬉しいが、独立を望んでいた彼が裁判のやり直しを希望するだろうかと思った。もしルシファーの気持ちを無視して再審をし、判決を覆せたとしても、天界に戻る意志があるとは思えなかった。

 ベリアルも、それは十二分にわかっているだろう。それでも同盟を組んでまで固い意志を見せるのは、今、真に必要な存在は彼しかいないと認めているからだ。


「先を急ごう」


 悠仁は下ろした荷物を再び肩にかけ、駅へ向かおうと歩みを進めた。

 目の前の交差点の信号は赤だった。当然立ち止まって、他の通行人と一緒に信号が変わるのを待った。

 その時、一台のトラックが明らかに法定速度以上のスピードで、悠仁たちの目の前を横切った。トラックはそのまま青信号を走行する車列に突っ込み、激しい衝突音を響かせた。突如起きた事故に、悠仁と人々は驚愕する。

 トラックはそこで止まるのかと思いきや、スピードを落とさず車を巻き込みながら強引に道路を横切り、向こう側の市庁舎前の広場に乗り込んだ。歩道を歩いていた親子ら数人、イベントで広場に集まっていた人々、警備の警察官が跳ねられた。

 そして広場に乗り込んだ暴走トラックは、中心辺りに到着した瞬間、大爆発を起こした。


「ユージン!」


 ミカエルが咄嗟に悠仁を庇った。悠仁は耳を塞ぎ、しゃがんで目を瞑った。

 間髪を入れず地震のような振動、鼓膜を激しく震わす音、衝撃波が周囲を襲った。

 視界を遮断している間、あちこちで様々な音が響いた。ガラスの割れる音、硬いものが地面や建物の外壁に叩き付けられる音は、何となくわかった。

 十数秒後。ミカエルの身体が離れたのを感じて、悠仁は恐る恐る目蓋を持ち上げる。

 飛び込んで来た光景に目は見開らかれ、息を呑んだ。


「………」


 惨状だった。

 ひしゃげた鉄の塊や散らばったガラスと一緒に、何人かが赤い水の上に倒れていた。まるで狙い撃ちされたかのように。命が選ばれたように。

 その一人の傍らで、子供が狼狽し泣き叫んでいた。不特定に何かを訴えていた。

 周りには、奇声を上げて逃げ惑う人々。煙を上げて折り重なる車。

 鳴り止まないクラクションの中、男性が何かを叫んでいる。女性が頭を抱えて座り込んでいる。ベビーカーの中の幼児が、絶え間なくサイレンを轟かせている。

 広場では爆発したトラックが燃え上がり、勝ち誇ったように黒い煙を上げていた。


「………」


 悠仁には、何が起きたのか考えることができない。しかし、五感だけは状況を敏感に感じ取り、情報を与えられた脳が嫌でも理解させようとする。心がそれに耐えられずに、無意識に呼吸が早くなる。身体が小刻みに震え出す。


「大丈夫かユージン」


 ミカエルは座り込んだままの悠仁の腕を引っ張り、立ち上がらせる。


「行くぞ」

「……えっ……で、でも」

「ボクたちは行かなきゃならないでしょ」

「往生している時間はない」


 ミカエルとベリアルが走り出し、腕を掴まれた悠仁も躓きそうになりながら走るしかなかった。突如降りかかった悪夢は見なかったかのように、混乱する人々の間を縫ってその場から離脱した。


「ちょっと。ちょっと待って!……待てってば!」


 まだそんなに離れていない所で、悠仁はミカエルの腕を振り切って立ち止まった。


「何なんだよこれ!トラックが突っ込んで来て爆発したんだぞ!何が起きたんだよ!」

「テロ」


 ベリアルの一言で、悠仁の心臓がロックオンされる。


「予告された爆破テロだ」

「……テロ……」

「武装勢力の仕業でしょうね」

「だろうな。これが邪天使の影響だ。アブディエルの計画のほんの一端でしかないがな」

「本当にこんなことが起こるなんて、信じ難いですよ」


 悠仁はゆっくりと後退りする。もはや二人の話し声は耳に入っていなかった。

 一度は蓋をしたものが、再び顔を出した。一時的に無理矢理押し込んだだけだったから刺激に耐えられず、我慢できずに塊となって出て来てしまった。そして悠仁は、それを抑えられなかった。


「……………無理だ」

「ユージン?」

「もう無理。帰る」


 悠仁は踵を返して何処かへ行こうとする。ベリアルは腕を掴んで引き止めた。


「帰るって何」

「日本に帰るんだよ!」

「天界に行くんじゃないの?ルシファーの説得は?」

「そんなの勝手にやってくれよ!」


 悠仁は力強く腕を振り解いた。ルシファーの意志を自ら継ぎ、堅い意志をどうにか貫いていた悠仁の、精神の限界だった。


「やっぱり無理だ!この状況に堪えられない!」

「ユージン……」

「俺が決断した未来はこうなるんだろ!?無差別に関係のない人が巻き込まれて、日常が壊されてめちゃくちゃになるんだろ!?もしその原因が俺だって知られたら、俺はみんなに恨まれる!世界中の人間から標的にされる!そしたら俺はどうなるんだ!処刑されるのか?世界をめちゃくちゃにした罪で死刑になるのか!?」

「落ち着けユージン」

「そんなの嫌だ!殺されたくない!」

「おい」

「もう計画なんてどうでもいい!これ以上関わりたくない!俺のことは放っておいてくれ!」

「ユージン。大丈夫だから落ち着け」

「大丈夫な訳ないだろ!」


 ミカエルが宥めようとしても悠仁は振り払い、頑として拒絶する。


「言っただろ!俺は普通の人間なんだよ!特別でも何でもない、そこら辺にいる奴らと同じレベルなんだよ!そんな俺が世界の未来を決めるなんて、最初から到底無茶な話だったんだ!」

「ユージン落ちつ」


 すると、見兼ねたベリアルがミカエルを押し退け、悠仁の頬を平手打ちした。予想外の出来事に、ミカエルは目を丸くする。

 叩かれた悠仁だがそれでは冷静にならず、ベリアルとの口喧嘩が始まった。


「何するんだよ!」

「しっかりしてよ!なに寝言言ってんのさ!ルシファーの願いを叶えるんでしょ!ルシファーを裏切るつもり!?」

「こんなプレッシャー耐えられるかよ!アブディエルの計画なんてもうどうでもいい!あいつの所為で俺の人生めちゃくちゃにされたくない!」

「自分から首突っ込んでここまで来ておいて逃げるの?とんだ期待外れのチキン野郎だね」


 悠仁は煽って来るベリアルの胸ぐらを掴んだ。


「チキン野郎でいいよ!けどお前に何がわかるんだよ!俺のこの苦しみがわかるのか!恐怖が!わからないくせに偉そうに言うんじゃねぇよ!」


 露にした感情をぶつけられるが、ベリアルは微塵も動揺しない。


「悲劇の主人公ぶって満足?おめでたいよねほんと。自分だけが不幸だと思わないでよ。その目は何を見たのさ。今の物質界を見たばかりじゃないの、ねえ?」

「……知るかよそんなこと!」

「弱者はユージンだけじゃない。そんなこともわからないの?現況が苦しいのはみんな同じ。辛いのも、逃げたいのも、怖いのも。あの人間たちみんな同じことを思ってる」


 ベリアルは、自分たちがいた方を指差して言った。悠仁は視線だけを動かした。


「みんな弱者なんだ。非力で、何もできなくて、自分の命さえ咄嗟に守ることもできない。何もできないことをただただ突き付けられる。ボクたちもそう。こんな時でも人間に何もしてあげられない」


 ふと悠仁が視線を下げると、下に垂らされたベリアルの腕の先で、無念の塊が固く実っていた。逃げようとする悠仁への苛立ちからではない震えが見て取れた。ミカエルを見ても、無念を噛み砕こうと必死になっていた。

 ここでできることをやろうと思えば、何でもできるだろう。しかし、ミカエルは掟を破って勝手に干渉すれば罰せられ、悠仁の護衛どころかルシファーの天界復帰の夢を叶えられなくなる。天界の掟に縛られないベリアルでも、人間の運命に干渉したことが天界に知られれば地の底に監禁されてしまい、ルシファーを助け出すことは叶わなくなる。それに二人が罰を受けるだけでなく、同盟を組んだ仲間たちにも迷惑がかかってしまうだろう。

 これまでの時間も労力も信念も、全てが無駄になってしまう。


「……っ」


 ベリアルを掴む悠仁の手に、更に力が込められる。しかし、程なくして力が抜かれ、だらりと垂れ下がった。

 パトカーと救急車と消防車のサイレンが鳴り響く。広場からは、誇り高く黒い煙が上り続けている。

 自分と世界をシャッターで遮りたかった。けれど、できない。悠仁は、世界の二つの行く末を知ってしまっている。どちらも、自分とは切っても切り離せない世界であることも知っている。

 しかし悠仁は、どちらの世界とも繋がっていたくなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ