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夜明けを迎えたあと、一睡もしていなかった悠仁はベッドに戻って寝直した。一気に色々と押し込まれたが、一回寝て起きれば何とかリセットしてしまえるだろうと眠りに就いた。
五時間後に目を覚ました時には、相部屋をしていたカナダ人は既にいなくなっていた。挨拶代わりの「Good Luck!」と書かれた紙を残して行ってくれていた。
朝食は、昨日も行ったカフェで摂った。ミカエルは今日もケーキを頼み、朝からよく甘いものが食べられるなと悠仁は呆れたが、もう見慣れてしまった組み合わせに何も言わなかった。
飲食しながら、三人は今後の方針を話し合う。
「現在オレたちは、アブディエルのあとを追っているかたちだ。だがそれでは、計画を阻止できない。だから考えたんだが、アブディエルがこれから狙うであろう人間の目星を付け、先回りをするのがいいと思うんだが」
「そうですね。後手後手に回っていたら、何もできないですしね」
「今までのターゲットは、主に武装勢力だった。あと、さっきネットで調べてみたら、犯罪者の謎の獄中死が世界中で相次いでるらしい。日本国内でも類例が確認されてるみたいだ」
「オオカミ以外にも、アリも狙われてたってことだね。そいつらの次は、どんな人間を狙うんだろう。もっと大きな悪だと何だと思う?」
ベリアルに問われた悠仁は、ベーグルサンドを咀嚼しながら考える。
「力を持った悪……武装勢力のその上だとすると……独裁国家の統治者とかかな」
世界から戦争はなくなっても、絶対君主制はなくなってはいない。世界法律は武力の廃止と戦争抑止を目的とするものであり、人権のあり方を是正するものではないので、自由を許されていない国民は未だ存在し、違法に軍事力を保持し軍事政権を継続している疑いのある国もある。現に、その独裁国家や政権を認めずクーデターを企てる者が現れており、国連もそれを看過することをよしとしていない。
「国連は今度は、全ての人間の自由と平等が保証される法律を作ろうとしてる。だから、独裁を続ける国は民主主義を数年以内に実現させる政策を掲げてるけど、実際は口だけで内情は変わってない。未だに国民を縛って苦しめてる統治者がいるなら、狙われる可能性は十分にあると思う」
「よし。じゃあ、その独裁国家の統治者に的を絞ろう。ところでユージン。武装勢力はまだ存在しているのか?」
「調べてみる」
悠仁は朝食を片手に、スマホの検索エンジンやSNSを使って情報収集する。ネットの情報によると、消えた武装勢力はこれまでで七つあり、現在活動が確認されているのは大小合わせて十五〜二〇のようだ。各国それぞれで殲滅や取締りに尽力しているだろうが、邪天使が動いている為に減っては増えている状況だった。
「そっちの方はどうします?見捨ててしまうと、ユージンの意志に反することになりますけど」
「そっちには、別の者を向かわせよう。オレたちには優先すべきことがある」
「別のって。そう言えば、他にも仲間がいるんだっけ」
「二人だけの同盟なんて寂し過ぎるし、ミカエル様が一緒とは言っても心許ないでしょ」
「ちょっと傷付くが、それにはオレも同感だ」
確かに二人だけは寂しいし、ミカエルがいても頼るには力不足かもしれない。それに、部として認められていない同好会みたいだ。
ルシファー天界復帰同好会……何だかゆるい。全然頼れない。
「では、すぐに協力を仰ごう」
食事を終えて表に出ると、懐から出した一枚の紙をミカエルは折っていき、折り紙の鳥を完成させた。それにメッセージを吹き込み掌に乗せると、折り紙の鳥は翼をカサカサさせてグロツワフの街から飛んで行き、空に溶けた。それから三人は、落ち合う場所へと向かった。
グロツワフ市内を流れるオーデル川は川幅が広い箇所があり、そこには幾つかの小島がまとまっている。それぞれの島は橋で繋がっていて、対岸と行き来することができるようになっている。
その一つの、公園になっている島を落ち合う場所にした。今度は何があってもいいように、ミカエルは事前に人払いの術を施した。
悠仁は時間潰しに、滑り台が一体となったジャングルジムに登り始めた。
幼稚園年少組の頃に、公園のジャングルジムから落ちたことがある。擦りむいた腕と膝から出た血を見て、もう死ぬんだと言うくらい泣きじゃくったのを思い出した。登らなくなって十年は経つジャングルジムは、手応えがない程小さかった。
小学校低学年を過ぎてから遊具で遊ばなくなり、カードゲームやマンガに夢中になった。マンガは今でもよく読んでいて、最近は異世界転生ものに手を出し始めたが、まさか自分が二次元的展開に巻き込まれるとは人生の予定に全くなかった。
人生何が起こるかわからない。大学受験失敗も、どういう縁かルシファーに出会ったことも。
悠仁はジャングルジムの一番上に腰かけ、下にいる二人に問いかけた。
「なあ。何でルシファーは、俺に助けてほしかったんだろう」
「さぁ。頼りたい仲間がいなかったんじゃないの?」
「でもさ。物質界にいる間に情報収集してたんだから、仲間にできそうな天使はいたんじゃないか?ベリアルとか堕天組もいたんだしさ」
「少なくとも、ボクたちにはそういう話は来なかったよ。もしボクたちを頼りたかったら、こっちに戻って来てくれた筈だし」
「ルシファーが行方不明になって、捜さなかったのか?」
「捜そうと思ったけど、議会が見つけられないのにボクたちが見つけられる訳ないでしょ。多分あの人も、ボクたちに迷惑をかけないようにしたんだと思う」
するとベリアルは話の途中で、上にいる悠仁を突然睨み付ける。
「だからボクらを頼らなかった。だから頼られたユージンが気に食わないの」
「いきなり因縁つけられても……」
そこはルシファーの心配りに感謝をするべきだ。
二人の喧嘩が始まる前に、ミカエルも所感を話し始めた。
「身内を頼らなかったのは、ルシファーに思うところがあったんだろ。あいつは“和”を大切にする奴だ。堕天した仲間を取り込み天界に物申して、その末に衝突することを危惧したんだ。戦争なんてことになれば、両陣営に被害が出るのは避けられない。そうなることを回避する為に、悩んだ末に当事者に協力を乞うことにしたんじゃないか?物質界に関係しているなら、当事者の人間に選択を委ねた方がいいとな」
「いや、それはわかるけど。とんでもない重圧がかかることを想定してなかったのかな」
胃にでかい穴が開く寸前だったんだけど、と莫大なストレスを抱えた悠仁は胃のあたりを擦る。ストレスは未だにどっしりと居座っている。
「ユージンが再起不能になれば、ボクがルシファーの役に立てたのに」
「元天使が言うことかよ。頼るの俺じゃなくても他に……」
ふと悠仁の口が止まる。
「どうしたユージン?」
「いや。俺以外に仲良くしてた人間ていたのかなって」
「いなかったのかもな。掟ではないが、昔とは違って天使の存在は公になってはならないという暗黙のルールがある。人間と接触するなら、正体がバレないように細心の注意を払わなければならない。あいつもそれを知っていて、あまり知り合いは作らなかったんじゃないか?」
「じゃあ、仲良かったの俺だけなんだ」
最初は大学のサークルO.Bとしてルシファーと出会ったが、本当はサークルなんてやっていなくて、知り合いなど一人もいなかったのだろうか。だから、悠仁が真人のことで友達に電話をした時、知らないと言われたのだろう。
そんなルシファーが、ルールがあったにも関わらず悠仁と親密になったのは、唯一心を許せ、繋がりを作りたいと思った人間だったからなのだろうか。




