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オルネフォルの軌跡  作者: はづき愛依
祝福の園 Ⅱ
83/106

10




 次第に空が白み始め、世界がまた、分岐を迎える日までのカウントダウンを刻もうとしていた。


「……ミカエル様」


 建物のへりに腰掛けるベリアルは、下を覗きながらミカエルを呼んだ。ミカエルも縁に近づき腰を屈めると、悠仁が表に出ていた。顔を上げ、二人を見ているようだった。けれど見ているだけで、声は出していない。

 まだ薄暗い早朝にどうしたんだと二人が見下ろしていると、悠仁は道路を渡り、建物の正面にある小さな公園へと入って行った。それが何かの合図だと察した二人はミカエルの翼を使って下に降り、悠仁の後を追った。

 公園は静まり返っていた。当然人気はなく、噴水の水も止まっている。敷地の外と同じ世界なのに、まるで違う空間のようだ。


「よかった、気づいてくれて。部屋から呼ぶと同室の人起こしちゃいそうだし、外に出て何とか気づいてもらうしかないと思って」

「この時間はまだ寝ているだろうに。どうしたんだ」

「寝てないよ。て言うか、眠れなかった」


 目の下の隈がその証拠だった。悠仁は一睡もせずに今朝を迎えていた。


「まさか、一晩中考えていたのか?」

「うん。だって、早く決断した方がいいだろ」

「それで、答えは出せたの?」

「うん……その前に一つ言っておく」

「何だ」

「俺は、ごく普通の人間だ。普通の家庭に生まれて育って、普通の人生を歩んで来た。特別な教育なんて受けてないから、偉人みたいな考え方はできない。本当に普通の人間なんだってこと、わかっててほしい」


 悠仁は何を今更言っているんだろうと、ベリアルは少し首を傾げる。一方で悠仁を心配するミカエルは、その心情の理解に努めた。


「じゃあ、聞かせてくれないか。ユージンの選択を」

「……」


 要求された悠仁は俯き加減になり、決心を言うのを少しばかり躊躇った。


「……俺は……アブディエルの計画を、止めようと思う」

「……それでいいのか?」


 ミカエルが確認で問い質すと、悠仁はまた躊躇いながらも頷いた。


「……めちゃくちゃ悩んだ。本心は、悪を取り除いて平和な世界にしたい。現況が悪くなるのは嫌だし、それがこの世界にとって一番いいことだと思った……でも、悪いやつらにも命はある。平和の為にそいつらの命を見捨てるのは人として正解なのかなって思い始めて、簡単に答えは出せなかった。だけど、この世界の人たちはきっと、平和を望んでる。単純に、幸福を望んでると思う。でもそれは、みんなの共通の願いじゃないかなとも思った」

「じゃあ、悪を助けていいの?」


 ベリアルが問うと、そういう意味じゃないと首を振った。


「助けるとは思ってない。だって、仲間はずれにしてもいいやつらなんだ。平和と幸福を叶える為には、障害でしかない」

「それなら計画を止めちゃダメでしょ。悪はいらないって思ってるのに、何で阻止を選んだの?」

「それは……ルシファーに『助けてほしい』って言われたから。俺は最初、堕天する運命から救ってほしいんだと思ってた。でもそれは、現代のルシファーがどう見られているかを知っていたから、勝手にそう決めつけてただけだった。その観念があったから、俺は間違えた。本当は、アブディエルの計画を止めてほしいってことだったんだ。だから今度こそ、ルシファーの願いを叶えたい。中途半端なままにしたくないんだ」


 悠仁の中で未だに燻っている、選択を間違えた後悔と無念。ルシファーが託した願いの本当の意味がわかった今では、この選択以外を選んでしまったら、ここまで通して来たルシファーの信念も自分の理念も無駄にしてしまう。

 歴史の逆行と、秩序の修正。両方を秤にかけても、天秤は動かなかった。ならば最後は、自身の中に引き継がれた彼の信念のもとに、自分の思いの力で動かす他なかった。そう思っていた。


「だがそれでは、折角築き上げた平和を捨てることになるかもしれないんだぞ?その先には恐らく、破壊と破滅が待っている。再び平和を取り戻すには、何十年とかかるだろう。それをわかっていて、阻止をすると言うのか」


 再びミカエルが問うと、俯く悠仁は堅い表情をして続けて言う。


「……確かに、もう一つの選択をすれば、未来に怖いことなんか何も待ってない。今のまま、みんなが穏やかに平和に暮らしていける。今のままがずっと続いていくことが、これからも当たり前になる……けど、この選択をしたとしても、必ずしも最悪の道が待ってるとは限らないと思う。きっと、多分未来を捨てることにはならないと思う。人間はちゃんとわかってると思うんだ。この世界で一番大切なことは何か」


 平和を守り、命を受け継いでいく。

 悠仁が以前体験したように、この世界の戒めの記憶は受け継がれている。語り部たちの言葉から、写真から、映像から、遺産から、戦争を知らない人々に平和と共に受け継がれている。築かれた平和のありがたみは、みんなが知っている。

 みんな戦争は嫌で、不幸にはなりたくなくて、幸福を望んでいる。平和という全ての人間の幸福は、みんなが守りたいと思っている筈だと。

 平和は世界共通の文化であり、伝統なのだから。


「だから多分、俺が選ばなくても、人間は自然に平和を選ぶ筈なんだ。平和を守ることは、命を守ることにもなるから。平和と命は繋がってる。命を守らなきゃ、平和は生まれない。平和を守らなきゃ、命は絶える……だろ?」


 悠仁は同意を求めたが、何故かベリアルは納得しておらず訝しい顔をする。


「でも、計画の方が簡単に平和を実現できるじゃない」

「だが計画を看過すれば、殺される人間がたくさん出るんだぞ?」

「物質界から悪人がいなくなるんですよ?悪人なんだから死ねばいいじゃないですか」

「……ベリアルさ、堕天したら更に毒舌になってないか?」


 昔も毒舌ではあったが、天使だった頃なら言わなさそうな言葉遣いにあの頃と変わらないビジュアルとのギャップを感じる悠仁。堕天使になった今、ベリアルらしさが色味を濃くして残っているといい方に捉えておいた。


「ユージンは平和と命は繋がっていると言ったが、悪の存在を見過ごすことに抵抗はないのか」

「あるに決まってるだろ。さっきも言ったけど、悪はこの世界の障害でしかない。でも、何が一番大切なのかはみんなわかってる筈だから、俺はそれを信じたい。それに、ルシファーが阻止を望んでるってことは、命を天秤にかけなかったからだと思う。善人も悪人も、等しく同じ命だと考えたんだと思う。それなら俺は、ルシファーの意志を尊重したい」

「あのさユージン」


 悠仁の意志は固まっているようだが、訝しい顔のままのベリアルは異議を唱える。


「こんなこと言うとルシファーへの侮辱になるけど、ルシファーの考えが本当に正しいとは限らないんじゃない?」

「ベリアルがそんなことを言うなんて、驚いたな」

「ボクはずっとルシファーの味方だけど、敢えて聞くよ。さっきからユージンは、ルシファーが…とか言ってるけど、ルシファーの意志に流されてるんじゃないよね」

「そんなことは……」

「恩人だから助けたいとか、間違った選択をしたから挽回したいとかわかるけどさ、この選択は今この場の感覚で考えるべきじゃないの。後悔とか恩義は、今は邪念でしかない。そんなの取っ払っても、ユージンは阻止するべきだと考えてるの?人間としてそうするべきだと思ってるの?」

「ベリアル。折角決心したのに横槍を入れるな」

「これは大事なことですよ。ユージンは、ルシファーの意志に応えたいって強く思ってる。ボクが似た立場だからわかる。これは私情を挟むべき事象ではないし、ちゃんと自分自身の考えで決めるべきなんです。誰かの手を借りて絶対的な平和を掴むか、悪を野放しにしてあの凄惨甚だしい歴史を蘇らせるか」


 ベリアルの両眼に見つめられ、悠仁の表情が強張る。まるで、心臓に銃を突きつけられているようだった。

 十分わかっている。この選択は、蘇らせてはならない過去を手繰り寄せるかもしれないことを。

 ネットで騒がれていた歴史の逆行が現実味を帯びるなんて、先週までは考えたこともなかった。犯罪の増加を心配しながらも、まさかそんなことにはならないだろうと高を括っていた。それが、自分の選択によって現実となる可能性が生まれてしまった。

 決断する前から責任の重圧に押し潰されそうだったが、今は双肩にだけでなく身体全体に、魂に責任が重く伸しかかっている。ベリアルの力が加わって、更に圧迫してくる。

 生きていくことができなくなりそうな程の不安。人生の中で今しか感じないと断言できる程の、言い知れない恐怖。もしも今死んでほしいと言われたら、それが擦れ違っただけの他人だったとしても、その通りにしてしまいそうな気さえする。

 悠仁は、高く高くそびえ立つ山のてっぺんに積まれた不安定な石の上に立たされている。強風に揺れる頼りない責任感が、それを支えていた。


「ユージンの本心を教えて。そうしたらその意志に従ってあげる」


 ベリアルは真剣だった。いつもの棘も槍もしまって、ユージンの本心を知りたいと真っ直ぐに両眼を向ける。

 ユージンの逃げ場はなかった。助け舟も何もない。その身一つしかない。だとすれば、丸腰の自分を見つめ直して信じてみるしかない。


「……また戦争が生まれるのは絶対嫌だし、自分が巻き込まれることを考えると怖いよ。けど、これでいいんだと思う。人間じゃない誰かに世界を操作されるのは、何か嫌だし。それが一番頑丈で安全な橋かもしれないけど、自分たちが造ったものじゃないなら信用しきれない。この世界は俺たちの世界で、天使のものじゃない。何より、俺は人間を信じてる。だから俺は、今の道を選ぶ」


 しかしこの選択は、世界の再生は独断では容認できないという理由もある。逼迫した現況を考えるなら、こちらが最良であると思うしかなかった。まだ見たことのない、恐ろしい魔物を呼び寄せる餌を撒いてしまったのかもしれなくても。


「ベリアル。これがユージンの選択だ」

「……わかった。なら、それに従ってあげる」


 悠仁の本心を聞いて、ベリアルはようやくその意志に同意してくれた。それでも悠仁は、強張らせた表情を崩さなかった。

『第二次方舟計画』は、純粋に物質界を良くする為の計画ではないとわかってしまっている。その計画の一切を人間に知らせないまま進められることは、天界の実情を知る者としては非常に疑わしく、容認できるものではないと思うのも確かだ。

 完全に平和な世界で生きられることは、幸福だろう。しかし、与えられた幸福の世界で、人間は何を幸福として生きるのか。幸せに生きることが当たり前の世界で、何を特別に、大切にして生きるのだろうか。果たして計画は、本当に人間の為になるのだろうか。

 それは誰にもわからない。しかし、今の世界の延長線上でも幸福は得られると、人間は漠然とながら信じている。平和も幸福も、誰かに作ってもらい与えられる一方的なものではないこともわかっている。


「では、オレたちはお前のその意志に従い、計画阻止を続行する」


 空の色が、だいぶグラデーションを帯びてきた。暗幕がゆっくりと引き上げられ、新たな舞台の幕が開いていく。

 道は一つに絞られた。もう後戻りはできない。これから何があろうとも敵愾心を燃やし続け、その意志を貫かなければならない。

 自らが求めた使命の為に。託された希望の為に。




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