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オルネフォルの軌跡  作者: はづき愛依
祝福の園 Ⅱ
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 悠仁が泊まっているホステルは、ヨーロッパの老舗ホテルかと勘違いしそうな佇まいをしている。昨夜、アプリを頼って到着したにも拘わらず、目的地を間違えたかと思ったくらいだ。

 外から戻ると、昨日と違う外国人がドア側のベッドの下段にいた。一眼レフカメラを弄っていた彼は、戻って来た悠仁に「やあ、お帰り」と初対面なのに気さくに挨拶してきた。そして初対面なのに、このホステルに来る前にあったおかしな出来事を急にしゃべり始めた。

 最初は戸惑ったが何だか良い人そうなので、気分を紛らわしたかった悠仁は彼との話に興じた。

 彼は、写真を撮りながら一人で世界中を旅している、バックパッカーのカナダ人だった。写真はただの趣味らしい。数日振りにシャワーを浴びたと言う彼の容貌は、インドで撮った写真と見比べると、モジャモジャの髭がないだけで別人だった。

 それから、これまで巡って来た国や地域の話を、カメラに収めた記録と共に話してくれた。日本にも立ち寄り、田舎の美しい原風景がとても気に入ったと言ってくれて、心が和んだ。

 悠仁は、自分とそんなに歳が離れていないことに驚きながら、自分が知らない世界の話を、時計の短針がてっぺんを越えるまで聞いていた。




 長針があと90度回れば、深夜ニ時を指す。真っ暗になった部屋でベッドに横たわる悠仁は、まだ両目を開けていた。寝ようと思ったが、寝付けなかった。


 ルシファーが掴んだ情報が、まさかこんなことだったなんて……あの人が言ってた「助けてほしい」は「堕天から救ってほしい」じゃなくて、「自分が調べた議会の計画を暴いて、アブディエルの暴走を止めてほしい」だったんだ……。

 天界にいた時にそうだとわかれば、どうにかしてアブディエルが間違ったことをしないようにできたのに。でもあの時は、こんな状況になるなんて想像できなかった。と言うか、堕天の運命を変えられないことはひしひしと感じていたんだから、独立の話を聞いた時に堕天以外に助けてほしいことがあるって考えが、何で及ばなかったんだろう……。


 天界にいた時に、もっと行動できたのではないか。ルシファーへの説得を諦めずに粘れば、彼がアブディエルの心の在り方を変えて、議会を正しく立て直せたかもしれない。そうすれば物質界に危機が訪れることはなかった───と、延々と後悔できることが悠仁の頭に浮かぶ。

 しかし、あの日々にはどうしたって戻れないし、なるべくしてなってしまったんだと自分に言い聞かせるしかない。ルシファーは天界から離脱し、議会はアブディエルの独壇場となり、黒い煙を吐き出しながら弛まぬレールをひた走り続けている。そして、巨大な組織を動かす彼の暴走を止められるのは誰なのかは、もうわかっている。

 悠仁は意味のない後悔を捨てて気持ちを切り替え、考えるべきことを考える。


 計画の阻止か。見逃しか。どっちを選択すればいいんだろう……俺一人だけが巻き込まれるんならすぐに決められるのかもしれないけど、懸かってるものが多過ぎるし、重過ぎる。簡単に決められる訳がない。こんな重大な選択、一人で決められない……。

 でも、他の人に全人類が一度死んで生まれ変わることを相談したところで、きっと誰一人聞く耳を持たない。例え説得できて協議で決めるとしても、世界中の人の意見を一致させなきゃならないからすぐに答えは出せない。計画は既に始まっているし、悠長に話し合いなんかしてる時間はない。

 じゃあ、どうすればいいんだ?やっぱり俺が決めなきゃいけないのか?


「逆行か。修正か」


 繰り返す惨劇か。恒久平和か……。


 悠仁自身としては、ルシファーの願いを大事にしたい思いがあった。だから、もしも歴史が逆行した場合のことを考えてみた。どんな風に戦火が広がり、どんな手段が取られ、どんな風景が広がるのか。けれど、教科書や語り部から学んだ片手に乗るくらいのことしか知らない悠仁には、具体的な想像は難しかった。


 命の大切さはわかってる。戦争の残酷さとか悲惨さなんて本当の意味ではわかってないけど、命は守らなきゃならないことだけははっきりとわかる。だから、悪いやつらがこの世界から消えれば、全ての命は人生が終わるまで守られる……そう考えると、アブディエルの計画を肯定したくなる……。

 その方がいいのかな。善人だけが残れば、歴史の逆行もない。

 ……でも、それでいいのか?それが正解なのか?守るべき命は、悪人にもある。なのに、助けなくてもいいのかな。そんなやつらの命なんて、本当にどうでもいいのかな……でも、助けても絶対にいいことは起きない。現状が悪化して、広がって、いつかは世界を飲み込むかもしれない。大切なものが全部、何もかもが壊されてしまう。


「それは嫌だ」


 そんな未来はみんな望んでない。今起きてることだって拒みたいのに、平和に生きてきた俺たちが悪化していく世界で生きていくことに堪えられるのか?そんなの無理だ。急に悪と永遠に共存しろだなんて、できる筈がない。

 じゃあ、悪はいなくなればいいのか?そうすれば平和は守れる。命も守れる。その方がみんな嬉しい筈だ。


「いやダメだ。それじゃあノアさんが」


 計画に賛同すれば、永遠の命を与えられるノアさんが苦しむことになる。俺たちは普通に生きられても、ノアさんだけ普通の人間じゃなくなる。大勢の為にたった一人を苦しめるなんて……。


「……どうしたらいいんだよ……」


 悠仁は掛け布団を被り、丸まってしまう。

 平和を選べば、それに見合った犠牲が生まれる。

 現状を見過せば、必要のない犠牲が生まれる。

 自分の選択で、見知らぬ誰かや身近な人の運命が決まる。悠仁は、何も知らない純粋な頃に戻りたくなった。




 悠仁が頭を抱えて考えている頃、ミカエルとベリアルはホステルが入る建物の屋上にいた。今晩も、万が一の急襲に備えて見張りをしていた。

 遠くでサイレンが鳴り響いている。それに注視することなく、ミカエルはノアの店でテイクアウトしていたドーナツを食べ、ベリアルは星が疎らに散らばる夜空を見上げていた。


「空ばかり見てどうした。天界が恋しいか?」

「何を言ってるんですか。あんな所に未練なんて、微塵もないですよ」

「大抵の者は後悔や未練を残して堕天しているものだが、お前たちのような者は本当に珍しい。清々しささえ覚えるよ」


 ミカエルのその台詞に、ベリアルはフンと鼻を鳴らした。


「未練を残すのは、自分が何者かなんて拘るからですよ。天使でも堕天使でも人間でも、その括りに縛られなければ何処でだって自由に生きられます。拘るから、息苦しくなって血迷ったりするんですよ。何の為に“自分”があると思ってるんですか」


 罪を犯した堕天使と同じにされるなんて心外です、という口振りでベリアルは言った。勿論ルシファーは除外している。


「特にお前はそう思うかもしれないけどな。だが、きっと誰もが、初めから自分がいる組織がいるべき場所だと信じてしまうものなんだ。天使は天使に生まれたから、人間は人間に生まれたからとな」

「不便極まりないですね。そんな人たちには同情を禁じ得ません」

「ベリアルだって、拘る者の仲間だったじゃないか。もしまだ天界にいたら、アブディエルの計画にも賛同していたかもしれない」

「それはあり得ません。ルシファーがいる限り、ボクは彼に従います」

「それはそれで、拘りじゃないのか?」


 指摘されたベリアルは反論ができない。議論に決着が着いたので、ミカエルは別の話に切り替えた。


「ユージンはどうすると思う?」

「さあ?どうするんでしょうね」

「ベリアルは、もしユージンと同じように運命を決める立場になったら、きっぱり決めることができるか?」

「……ボクにはよくわかりません。他人なんてどうでもいいので」

「そうか。お前はそうだよな」


 昔ベリアルが受けてきた差別は知っているので、ミカエルは一笑して受け流してやった。


「果たして、どっちを選択するんだろうか」

「……わかりませんけど、多分、人間が大事だと思う方を選ぶんじゃないんですか」

「人間にとって大事なもの、か……」


 争いは避けたく、平和も命も大事なもので、未来に繋げていきたいもの。そのくらい二人にもわかっているが、価値観というものは個人で違う。悠仁にとって、人生の道標を指し示してくれたルシファーの「助けてほしい」という願いは大事で、阻止と看過のどちらを選んでもおかしくないとミカエルは思っていた。性急に決断を下せるものでもないと。最悪、悠仁の決断を保留にしたまま、アブディエルと対峙することも考えていた。


「託したルシファーもルシファーですけど、厄介にも程がありますよ」

「全くだな」

「人間の選択なんて、たかが知れてる。ユージンだって人間なんだから」


 気付けば、地の果ての光が目覚めようとしてる。夜明けを迎える時間が迫っていた。




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