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オルネフォルの軌跡  作者: はづき愛依
祝福の園 Ⅱ
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2




 やがてトラムが目的地の最寄り駅に停まり、そこから歩いてノアが働くベーカリーに到着した。黄緑色の外壁で、客を迎える可愛らしい女の子のイラストが扉のガラス窓から見える。

 人格者の子孫なのに、ベーカリーで働いてるのか。経営者なのかな。

 清潔な店内には少ないイートインスペースがあり、カウンターには焼きたての胚芽パンやライ麦パン、サンドイッチやドーナツなどが並べられている。

 先に買い物客がいたので、三人は会計が終わるのを待ってレジの店員にノアを呼んでもらうよう頼んだ。


「ノアくん?なら、もう上がりだからそろそろ……あ。丁度来た」


 話していると、店の奥から一人出て来た。茶色の緩い天然パーマに、程よく肉付いた体躯のポーランド人の青年だ。


「ノアくんお疲れ様。ついでにお客さん来てるよ」

「オレにですか?」


 ノアと呼ばれた青年は悠仁たちを見た。

 ノアは、悠仁が勝手に想像していた経営者ではなく、このベーカリーで正社員で働くパン職人だ。それに、人格者のような雰囲気もない。ポーランド国内の何処にでもいそうな、普通の二十代の青年だ。

 訪ねて来たという東洋人三人を紹介されたノアは、友達にもSNSにもそんな知り合いはいないので、明らかに困惑し訝っている。

 初対面の会話は、ミカエルが勝手出た。


「ノア・ヘンリックだな」

「そうですけど……貴方々は?」

「雲上からの使者と言えばわかるかな」


 言われてすぐにはピンと来なかったノアだが、少なからず縁があると察するとその眉は顰められた。

 怪しまれていると感じる悠仁は、相手にされなさそうだと思った。きっと新手の詐欺か何かだと思われて、門前払いされると半分諦めかけたが。


「突然訪ねて来てすまない。話がしたいんだが、少し時間をもらえないか」


 ミカエルが交渉すると、勤務時間を終えて帰るところだったノアは話を聞いてくれるようだった。

 ひとまず店を出たが、ノアの眉は顰められたままだ。取り敢えず、天使だという信憑性を確実にしないといけないので、悠仁の時と同じく問答無用かつ激痛不承知の方法で、ミカエルとベリアルの正体を明かした。額に穴が開いたかと思うくらいの、生まれてこの方味わったことのない痛みに蹲ったノアだったが、僅かな間に二人の外見が変貌したことに目を丸くした。


「ほ、本当に、天使……」

「一人は人間だけどね」

「オレはミカエルと言う。こっちは、今一緒に任務に当たっている相棒だ」

「ミカエルって、あの有名な?」


 物質界でも知れた名高い天使だと聞いて、ノアは更に驚いた。

 これ以上ノアに訝しがられてはいけないと、ミカエルはわざとベリアルの名前は伏せた。姿は天使の頃と変わらないが、堕天使だと気付かれれば拒絶されてしまう。ここまで来るのに時間がかかっているのに、更に時間をかける無駄はしたくない。


「天使が何でこんなところに……」

「オレたちは、あることを調査する為に物質界に来ている。その調査の関係で、頼みたいことがあるんだが」


 ノアは再び眉を顰めた。


「……何でしょう」

「話せることは話す。物質界にとって大事なことかもしれないんだ。できれば協力してもらいたい」


 落ち着いて話せる場所がいいと言うミカエルの要望に、少し渋った様子でノアは自宅へと案内してくれた。


 ノアは、郊外の「ブロック」と呼ばれる集合住宅で一人暮らしをしている。家具付きの部屋で、緑を貴重とした落ち着いた雰囲気になっている。毎日炊事もするのでキッチンには調理器具が一通りあり、道具の中にはパン作りに必要なものも揃っていた。

 悠仁たちはテーブルに座り、お茶をもらった。ノアは一応もてなしはしてくれるが、さっきから最低限の言葉しか話さずずっと表情が優れない。お茶を出し終えても、三人と一緒に座らずに立っている。


「それで。頼みとは一体何でしょうか。また神様から何か言われて来たんですか」

「いや。そうじゃない」

「神様の命令じゃないんですか?」

「ああ。神は関係ない」


 ノアは何故か不機嫌だった。どうやら、最初から顰められていた眉はそれなりの意味があり、一同を歓迎していないようだった。


「本当ですか?またデカい舟を造れと言われても、あんなものはもう二度と造りませんよ。オレは先祖とは違いますからね」

「舟とは、方舟のことか?」

「あれの所為で酷い目に遭って来たんです。神様の命令を聞いてあんなもの造ったから、先祖たちは……」


 ノアは徐々に眉頭を寄せ、段階的に感情を露にする。自分たちに対して何らかの不満か怒りを抱いていると、ミカエルは感じた。


「あの舟は素晴らしい働きをした。何せ人間だけではなく、多くの動物の命も助けたんだからな。ノアの一族だけが助けられたのも、他の人間とは違い正しい人間だったから、信用した神が助けたんだ。誇りに思っていいんだぞ」

「あんなもののどこに誇りを持てって言うんですか。綺麗事を言わないで下さい。一族がどんな思いをして生きて来たか、知らないんですか!?」


 ノアの眉間の皺が深くなる。フォローしたつもりのミカエルは口を噤んだ。

 抱いていたのは恨みだった。ノア一族が辿った顚末を知らないミカエルではないが、同情心を見せたところで火に油だと一旦口を閉じた。ベリアルも何となく知っているが、ミカエルに倣って黙っている。悠仁は、初っ端から歓迎されていないムードに、来てよかったのだろうかと困惑する。


「まさかそんなことはないと思いますが、何も知らないと?それとも、見て見ぬ振りなんでしょうか。天使様も案外らしからぬ仕打ちをするんですね」

「ノア。それは……」

「貴方たちは満足しているでしょうが、オレたち一族はそんな感情は微塵もない。あのあとに生まれた人間から礼賛されたと思ってるかもしれないけど、そんなものは束の間だった。栄華は遥か昔に泥水に投げ捨てられた。そんなことも、人間の永い歴史の一瞬の出来事にしか捉えていないんでしょうね」

「そんなことは……」

「それなら改めて、この直系の子孫から教えて差し上げますよ。あの大洪水のあと、一族がどんな運命を歩んで来たか」


 ノアは、一切表に出ることのなかった、身内にしか語り継がれていない一族の歴史を、ずっと腹の中に溜まっていた怒りと共に話し出した。それは、神に認められた誇り高き一族の、凍える程に冷たく暗然たる道のりだった。




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